975年のキハ10 91に始まった朱色5号のいわゆる首都圏色が相模線を真っ赤に染めるのに数年を要しませんでした。

 

そしてそれと軌を一にして神中線の103系化も同時進行で進み、他線に一歩先んじて1978年までに73系は姿を消します。

 

そんな時代の交代劇。

 

 

この頃までに小田急厚木駅と連絡していた旧中新田河原口は正式に厚木駅となり、旧国鉄厚木駅は貨物駅として存続します。その厚木駅での神中・相模両線の接続は少しづつ改善され、神中線電車の到着を十分に待ってから発車するようなダイヤに変貌して行きます。この変貌は当時の「腐れ切った」国鉄の良い面の発露だ、と当時の実物誌で読んだ記憶があります。