の曰くありげな客車は品川客車区に配置されていて、定期点検等は臺頭で代行していたと聞きます。

 

 

職用車である為か時代のせいか室内には座席はほぼ無く、照明も無し。9881に至っては屋根が迷彩のまま、側窓の殆どが板で塞がれています。室内はおろか車外にも斜めの補強材が打ち付けてあって、全く酷い車両であったと幾つかの実物誌に書かれていました。

 

このオヤ9880形式の書類は空襲で焼失しているらしく、その元形式等は追えません。

 

ただ「1908年米国ブリル製」であると言う事だけは多くの職員によって証言されています。

 

この物凄い客車は1953年頃まで使用され、その後職員輸送は臺頭駅からバス輸送に変わりました。廃車体は1958年頃まで相模国分の側線に放置されていたそうですが、何時の間にか姿を消していました。