金華
石北本線・生田原~西留辺蘂間に4年前まで金華(かねはな)という駅がありました。所在地は北見市(旧留辺蘂町)になります。留辺蘂の市街にある隣の西留辺蘂駅から3.5Kmしか離れておらず、駅のそばを国道が通っていますが、駅周辺は人気がありません。それゆえ利用者僅少により2016(平成28)年3月で廃止となり、現在は信号場となっています。
ちょうど金華駅廃止直前の頃、留辺蘂駅が無人化されるという噂があったため、留辺蘂駅を訪ねていました。そこで金華駅が廃止されることを初めて知り、たまたま都合のいい列車があったので立ち寄ってきました。金華までの乗車券は今はなき留辺蘂駅のみどりの窓口で購入しています。JR北海道の緑色の小さなチケッターも今となっては懐かしいです。
廃止直前の金華駅です。昔は駅員がいたであろう広い事務室のある駅舎です。廃止後に「金華駅」の看板は取りはずれたものの、信号場となってからもこの建物は残っていて、冬場は除雪要員の待機場所にもなっているようです。
金華駅は2面2線で列車交換ができ、折り返し設備もありました。廃止されるほど利用客が少ない状態でしたが、廃止まで金華駅の始発・終着の網走方面への列車がありました。手前の西留辺蘂駅に折り返し設備がなく、折り返しついでに金華駅まで運転されていたためです。これは金華駅が廃止され、西留辺蘂発着に短縮されてからも続いています。
ホームから駅舎への入口には「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」という目立つ看板がありました。金華~生田原間には常紋峠という難所があります。その下に掘られた常紋トンネルは長さこそ507mですが、着工から3年の歳月をかけて1914(大正3)年に開通しました。重労働と劣悪な栄養状態から工事期間中に100人を超える死者を出したそうです。その犠牲者を弔うために金華駅のほど近くに追悼碑が建てられていました。
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最初に訪ねた際には追悼碑にいたる階段に雪が積もっていて近寄ることすらできず、2年後の7月に再訪しました。追悼碑は1976(昭和51)年で廃校になった金華小学校の跡地にありました。この頃すでに小学校が廃校になるほど人口が減っていたことが窺えます。
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金華駅前には2~30軒程度の集落があります。しかし、ほとんどが空き家で除雪もされておらず、朽ちるに任せる感じで廃墟化が進んでいました。ざっと見た感じでは実際に住んでいるのは2~3軒程度でした。そもそも人がほとんど住んでいない状態では駅の利用者なんて期待できんわなと思いました。
金華駅から金華信号場になってから、駅舎は封鎖され立入禁止になりましたが、追悼碑の看板は残っています。また、駅舎に面していない側の島式ホームは撤去され、駅舎側のホームは線路に面したコンクリート部分が少し削られ、草ボーボーの状態のまま残っています。もはや列車で訪れることはできないですし、車で訪れる人もいないと思いますが、今はこんな状態になっています。