みなさんこんにちは。前回からの続きです。


「阪神電車 大阪梅田駅(大阪市北区)」改札内で掲出されている、この駅の開業以来の歴史を振り返るパネル展示「大阪梅田駅今昔物語」について、あれこれと取り上げています。



さて、こちらはその「大阪梅田駅」東口。
大阪人にはあまりにも有名なショットですが、行き交う人の波は、実にまばらな昨今です。



この階段を降りますと、すぐにたくさんの改札機が並んでいまして…


その向こうには、行き止まり式のホームが4番線まで見通せます。
電車に乗るにしても乗らへんにしても、通りかかる度、神戸や姫路、という行き先を見るに、わくわくする、昔からの大好きな光景です。


ここでようやく?わたしも実体験した時代のショットが出て参りました!懐かしいですが、上の画面とだいたい同じような場所です。


手元の書籍にその左隣、3番線ホームの、実に印象的なショットを見つけました。

線路の行き止まりの部分には新聞のスタンドがありまして、ようこないにぎょうさん並べよるなあ…というくらい、溢れんばかりの豊富な品揃えだったのを、この写真の通り、幼な心に強烈に覚えています。


こうなると?スタンドのおばちゃんの手元にある、雑誌や新聞の類の内容も気になります。
世の中にはこんなにさまざまの大衆週刊誌、月刊誌があるのかとあらためて感じますが、タイガースのカレンダーが売られているのは、やはり「阪神電車」ならではですね。

ところで、この写真が撮られたのはいつ頃なんやろう?と、ここまで来たら、探ってみないと気が済みません。余計な性分ですね(笑)


夕刊紙の山を、上下ひっくり返してみますと…
画像左上は「日刊ゲンダイ」でしょうか。
見出しに「ポーランド 軍隊投入」とか、右上のには「ワレサ」…とあるのを見つけました。いずれも出典①。

「ワレサ(レフ・ヴァウェンサ、1943-)」は東欧ポーランドの政治家。名前は知っています。


ワレサは1980年代にかけて、当時の独裁政権と対峙する、労働者民主主義組織「連帯」(後に政党化)を結成したことから、厳しい弾圧を受けたものの、後年にはそれを排して大統領に就任、ポーランドの民主化に大きな役割を果たしたとして「ノーベル平和賞」を受賞した…というのは思いっきり、知ったかぶりです(苦笑)

その功績が映画になるほどの人物ですが、おそらくは、その「連帯」が結成された翌年、独裁政権による戒厳令が敷かれた1981年末頃か、翌年はじめ頃のもの、だと思われます。


命がけの、民主化運動に取り組んだワレサ。
日本から遠く離れた東欧にまで、話しが飛躍して恐縮ですが…

疑問が解決したところで、停車しているのは「種別不明の新開地ゆき(神戸市兵庫区)」。
「新開地」は先日も取り上げました「神戸高速鉄道」の駅ですが、先頭車両の貫通扉が開け放たれて、なにやらされているのがわかります。


この箇所には「特急」を示すヘッドマークが掲出されていました。推測ですが、ここまで「特急」以外の種別でやって来たために、これの取り付けをやっている最中でしょうか。出典②。


ここでまた写真を拡大してみます。
「停車駅ご案内」を見ますと、いちばん上の「特急」は梅田を出ると、しばらく停車駅がありません。この時代は「西宮駅(兵庫県西宮市)」までノンストップ運転されていました。

対する「急行」は「野田 尼崎 甲子園 西宮」、
その下の「準急」は、それに加えてさらにこまめに停まって行きます。ちなみに、前回まで取り上げた「国道線 甲子園線」の乗り換え案内があるので、それらが廃止された1975(昭和50)年5月以前に撮影されたものだとわかります。


そして、路線図の端は「山陽須磨浦公園(神戸市須磨区)」。現在は「直通特急」が長駆、山陽電車の姫路まで乗り入れていますが、この当時は「須磨浦公園駅」がその西端でした。



阪神と同じく、ライバルの阪急も、梅田から「須磨浦公園駅」まで乗り入れていました。



ただし、さまざまな理由で、阪急の山陽乗り入れは1998(平成10)年限りで打ち切りとなり、現在は「神戸高速線 新開地駅(神戸市兵庫区)」まで乗り入れ区間は縮小されました。

これも懐かしの「Hマーク」や、正面の飾り帯が復刻された編成でした。その新開地にて。


ところで…このように気になる電光標示も見つけました。現在では「特急」「直通特急」が停車する「甲子園駅(兵庫県西宮市)」。


ひと昔前までは、主に野球開催時のみ臨時停車だったとのことで、些か驚きます。出典②。

そういえば、阪神電鉄のグループ会社「阪神航空フレンドツアー(現在は阪急交通社のいちブランド)」は、確かヨーロッパツアーに特化した旅行商品を取り扱っていることで、昔から知られています。なんという偶然なことで(笑)

(出典①「ヤマケイ私鉄ハンドブック5 阪神」廣田尚敬写真・吉川文夫解説・山と渓谷社刊 1982年6月発行)
(出典②「カラーブックス559 日本の私鉄12 阪神」廣井恂一・井上広和共著 保育社刊 昭和57年2月発行)

次回に続きます。
今日はこんなところです。