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2020年8月13日(木)


昨夏の日帰り旅、和歌山県の友ヶ島を散策しています。

島の高台から桟橋を見下ろすと、ちょうど定期船が入ってくるところでした。


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旧日本軍の要塞施設となっていた友ヶ島、前回は第3砲台跡を訪れました。

その後は近くのタカノス山展望台に登ります。

息切れ切れに階段を上った先にあった景色は、青い空に青い海。

この眺望だけで、もう最高の贅沢です。


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一等三角点でしょうか、ここが山頂かな?

タカノス山は標高120m程ですが、やはり自分の足で登って山頂に辿り着いた時には達成感がありますね。


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西の方角は、白い友ヶ島灯台の向こうに淡路島。

淡路島が想像以上に近くて驚いているところです。

現在地は紀淡海峡のほぼ真ん中、航路の要所で大小様々な船が行き交います。


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東の方角は、紀伊半島に向かって友ヶ島の無人島群が点在しています。

友ヶ島は、今いる沖ノ島と左に浮かぶ小さな神島、奥へと続く虎島と地ノ島の総称なのです。


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さてタカノス山を下り、続いては先ほど見えていた友ヶ島灯台へ。

頭上を木で覆われた道は本来薄暗いのでしょうが、何せこの日は真夏日で強い日差しがチラチラと差し込んでくる。


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坂を下りきると、綺麗な芝生に小さな池があるキャンプ場に出てきました。

池の名前は蛇ヶ池、凶暴な大蛇が役行者によって退治された伝説が残り、大蛇はこの池を根城としていたそうです。

蛇が棲んでいるかもと思うと、あまりここでひと晩を過ごしたくないよな。


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芝生には糞が転がっており、島に野生動物がいることが分かります。

たぶん鹿だと思いますが、本土から連れてこられたのが野生化しています。


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芝生の奥に海岸が覗いていたので下りてきました。

孝助松海岸とありますが、漂着物のゴミが多く長くは滞在できなさそうです。


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友ヶ島灯台は、島の一番西にある小高い山の上。

見上げると、白い頭がチラッと確認できます。


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また坂道かと愚痴をこぼしながら、せっせと歩きます。

第1砲台跡の脇を通り過ぎ、すぐに灯台に到着。


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日本の灯台の父と讃えられている、リチャード・ヘンリー・ブラントンによる設計です。

最近同じ名前をどこかで聞いたぞと思い調べると、前の年に本土最東端を訪れた時に建っていた納沙布岬灯台もこの方による設計でした。


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国内で8番目に古い西洋式灯台ですが、驚くことにバリバリ現役です。
明治時代に建設された中でも特に歴史的、文化財的価値の高い灯台に選ばれる23基の保存灯台のひとつ。

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狭い紀淡海峡の真ん中に位置するので、灯台の存在が重要になってくるのは当然ですよね。

異国感がある石造の洋風建築、立地も相まってもはや異世界感が滲み出ています。


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灯台の西側には子午線広場。

どうやら島を標準時子午線である東経135度線がかすめています。

写真の標は、子午線を示すものでしょうか。

ここに立つと何かイベントが起こるのかなと考えてしまうゲーム脳です。


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第1砲台跡の内部は、海上保安庁の管理となっているため立ち入りが禁止されています。

普段は入ることができませんが、年に2回の友ヶ島灯台一般公開時にあわせて公開されるとのこと。

第1と付いているので、友ヶ島では一番最初に出来た砲台です。


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断崖絶壁に出てきました。
向いている方角は南から西の方角、視線の先に広がるのはでっかい太平洋と水平線。
うん爽快かな、足元は覗きたくないけど。

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ぐるっと時計回りに島の西半分を回って、最後は第2砲台跡です。
山頂付近にあった第3砲台と違って、海岸線ギリギリの場所にあります。

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詳細な説明は案内板をどうぞ。
明治時代、大阪湾に外国艦隊が侵入するのを防ぐ目的で友ヶ島に造られた要塞施設群ですが、対艦用に造られた砲台は後の第二次世界大戦では航空戦主体となったため、使用されることのないまま役目を終えています。

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海岸線に建つ第2砲台は海からも目に付きやすく、以後の使用を禁止するため爆破処分されています。
ゴロゴロとレンガやコンクリが転がって危ないので、あまり近付かないように。

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次回は、友ヶ島から加太港に戻って昼食と周辺の散策です。

ではではノシ