965年には神中線から17m級が姿を消し、本格的な73系の時代になります。

 

しかし横浜線と共通の基本編成は東神奈川区、増結車は臺頭支区と言う構図は変化はなく、基本編成が4扉の73系、付属編成は3扉の40系と言う図式でした。

 

臺頭には両運クモハ40に加え、半流砲弾型前照灯の、東京圏では非常に珍しいクハ68が在籍していました。時間帯によっては40+68+40+55等と言う3扉編成(クロスシート含む)が運用されたりと、面白みのある路線ではあったようです。

 

 

こうしたTc+M+T+Mc、Mc+T+T+Mcと言う4両編成が基本で、ラッシュ時はこれに

 

 

このような付属編成をぶつけて6両で運転されていました。1974年に103系が入った時には同時に3扉車が姿を消し、73系は6連化されていました。