みなさんこんにちは。前回からの続きです。



阪神電車 大阪梅田駅(大阪市北区)」改札内で掲出されている、この駅の開業以来の歴史を振り返るパネル展示「大阪梅田駅今昔物語」について、あれこれと取り上げています。


前回に引き続きまして、昭和40年代後半、もしくは50年代と思われる、この駅にも登場した自動券売機について、探ってみることにします。


この当時の、阪神電車の初乗り運賃は「30円(現在は150円)」。それだけでも、随分と隔世の感を覚えるのですが…


気になるのは、見慣れない駅名もずらりと記載されている路線図です。

「梅田駅()」の真上には「西九条駅(、同此花区)」。これは現在でももちろん存在しているのですが、梅田から二つ目の「野田駅(同福島区)」からは、2路線が延びていることがわかります()。



ひとつずつひもといて行くことにします。
の「西九条駅」が終着になっているのは「西大阪線」です。出典①。


府県境を越えた「大物駅(だいもつえき、兵庫県尼崎市)」から本線と分岐、その南側を並走し「大阪環状線・桜島線(JRゆめ咲線)」の「西九条駅」に至っていた、本線のバイパス的性格を持つ路線でした。出典②。

ただ、人口密集地を走っているものの、利用客は少なく、大阪市内においても、のんびりとした雰囲気のある路線でした。しかし…


乗り入れ先の「近鉄電車 大和西大寺駅(奈良市)」で発車を待つ、阪神車両の快速急行。



近鉄線内、高架複々線を行き交う阪神車両。「鶴橋(大阪市生野区)」にて。

その「西九条駅」からさらに線路を東へ「大阪難波駅」まで延伸させ、近鉄電車と相互乗り入れをするに至りました。


2010(平成24)年3月には、この路線延伸を以て「阪神なんば線」と改称されるとともに、逆に近鉄車両が尼崎、神戸三宮までやって来るようになり、神戸・難波・奈良という、あらたな広域ネットワークが誕生したのは、記憶にあたらしいところです。

いまや、本線を凌ぐ8両、10両編成の快速急行が行き交う姿に、大きな変貌を感じます。
近鉄車両による阪神尼崎ゆき。「大阪上本町駅(同天王寺区)」にて。


続いては、別書籍のこちらの路線図から。
1967(昭和42)年当時の阪神電車の姿です。


本線の駅々を見るに、今日と大きな差異はないのですが、本線と「国鉄東海道本線(現在のJR神戸線)」との間には、この当時「国道線」という路線が存在していました。出典③。


「国道線」で使用されていた車両。
その名の通り「大阪・梅田新道交差点」を起点として、山陽路を西へ向かう「国道2号線」に路線を設けていた「路面電車」でした。

この他にも「北大阪線」「甲子園線」という路線も有していました。


本線と同様に、大阪と神戸を結んでいた「国道線」。路面電車としては、日本最長の規模を誇るものでした。出典①。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「カラーブックス日本の私鉄12 阪神」廣井恂一・井上広和著 保育社刊 昭和57年2月発行)
(出典②「レールウェイマップル 全国鉄道地図帳」昭文社刊 2020年12月発行)
(出典③「私鉄ガイドブック・シリーズ第5巻 阪急・京阪・阪神」慶應義塾大学鉄道研究会編 誠文堂新光社刊 昭和42年12月発行)

次回に続きます。
今日はこんなところです。