中線の運行系統は大雑把に言って2通りありました。

 

一つは線内ローカル運用で、横浜~厚木間を往復するもの(1965年まで終着駅は小田急河原口駅直下の中新田河原口でしたが、これは厚木駅構内に臨時に設けられた仮乗降場で、丁度小松島線の小松島港のようなものでした。従って本稿では中新田河原口行であっても「厚木行」に統一します)。

 

1960年代前半まではこれに17m級3~6連を充てていました。基本はMc+T+Mc、必要に応じてTc+McやMc単行が増結されます。

 

 

1958年から京浜線電車の二俣川乗り入れが開始されます。当初は朝夕の一部のみで、桜木町駅での着発が限界にあった為だったと聞きます。こちらは73系5M3Tの8連でした。60年代以降は次第に本数を増やし、データイム1時間ヘッドで乗り入れていました。2002年、全線複線化・ホーム10両対応化工事が完成し、京浜東北線の電車の一部が厚木まで入るようになったのは記憶に新しい所です。

 

 

1962年以降、17m級で統一されていた神中線の線内ローカル運用に20m級が混ざるようになります。17m級3~6両をいずれ20m級4~6両に統一する目算があってその試験運用だったと耳にしています。