『新幹線100系物語』とJR西日本の100系 | 鉄道きさらんど

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ちくま新書の新刊『新幹線100系物語』をさっそく読んだ。著者の福原俊一氏が国鉄やJR東海・JR西日本等の関係者や出身者から聞き取ったオーラルヒストリーの手法を取り入れて100系の開発前夜から山陽新幹線での引退までの歴史をつづっている。ただこれが交通新聞社新書ではなくちくま新書で出たのは驚いた。古くは角本良平氏の『新幹線開発物語』(中公新書)近年は佐藤信之氏の『新幹線の歴史』(中公新書)
のように一般出版社の新書で新幹線の歴史や政策のことが取り上げられることはたびたびあったが、特定の車両の開発の経緯や運用等にフィーチャリングした一般の新書は異色ではないだろうか。しかし、決してマニアックな枝葉末節な話に偏らず、それでいて広く浅くもならずバランスが取れていて趣味者にも一般の人にも読み応えがありそうだ。

 

本のテーマとは関係ないが、横書きなのに驚いた。ちくま新書はここ数年くらい買っていないがいつからこうなったんだろうか?

 

100系自体は人気のある車両なので鉄道雑誌はもとより鉄道関連書籍、新幹線関連の書籍に取り上げられ、特に須田寛さんがたびたび出していた『東海道新幹線』シリーズでも紹介されておりその大まかな歴史はよく知られているだろう。ただ、須田氏が100系を国鉄末期に国鉄がいかに明るいイメージを取り戻すかという話題づくりを主眼に置いた車両だと評しており、鉄道趣味者や業界人の一部にもには機能や性能や効率といったハードの進化はなく2階建て食堂車や個室に代表されるようなソフトな接客設備の豪華化ばかりに力を注いで開発されたというイメージがある。車両設計の考え方に革新的な部分はなかったとも。

 

実際はそうとはいいがたい事は一昨年のリニア・鉄道館の望月旭氏の講演で語られている。民間企業的な経営感覚にも通じるコスト管理や効率化や軽量化の追求、デザインの考え方やアコモの方向性などは後のJR車両の範となった。贅沢なお遊び的設備だけのあだ花でなかった。

 

『新幹線100系物語』でも豪華設備だけでない普遍的なお客様第一主義とコスト管理を追求した設計思想やデザイナーが主導するデザインコンセプトなどが0系や200系と100系との違いであると分かる。また、異常時の運用差し替えの際に予約した客に迷惑をかけないよう従来の0系ひかり編成と互換性を持たせるため定員を1285名に揃えたこと(43頁)などは食堂車や個室ばかりにとらわれていると見えてこない100系の手堅さである。実際に外部デザイナーが参加してデザインが決定されること、運用効率化のために定員を従来型車両と統一すること(車いすスペース設置で崩れつつあるがJR東海の新幹線車両がは1323席に統一している)等はN700Sにも受け継がれていると言えるだろう。

 

ところで国鉄やJR東海が発注した(X,G)編成は須田氏の著作などでも取り上げられており有名だが、JR西日本独自発注のV編成や「グランドひかり」等の西日本独自の施策はあまり語られていなく有名ではない。東海道より山陽のほうが世間のなじみが薄く、さらにJR西日本は宝塚線事故で役員が財界活動などをしなくなってから役員クラスやOBの人がメディアで表に出て語る機会も少なくあまり文献などに残されていなかった。須田氏が相談役として近年まで『東海道新幹線』シリーズを出し続けたのに対して山陽のそれは宝塚線事故の少し前に当時の会長の南谷昌二郎氏が著した2005年3月初版発行の『山陽新幹線』(JTBキャンブックス)くらいのものである。

『新幹線100系物語』はJR西日本発足後からのV編成の設計や運用、「グランドひかり」や短編成化改造などの独自の施策をOBから聞き取って詳しく書いておりそこは国鉄やJR東海の関係者の証言ばかりに偏っていた100系の歴史を改めて振り返るのにうってつけである。

 

読んでいて新鮮だと思ったのはV編成誕生の経緯と短編成までの生涯が語られていること。JR西日本が国鉄時代の新幹線車両のうち0系のみを承継したのは南谷氏の著作で「高価な新車の減価償却費を懸念して、経営基盤の脆弱なJR西日本には新車を持たせないという方針」(『山陽新幹線』102頁)が理由というのは知っていたが、もっと詳しく言うと民営化直前のX6とX7の2編成は西日本会社が承継する話があったもののX編成は先頭車が付随車なので「将来の段落ち、つまり山陽「こだま」のような短編成化を考えると、先頭車が付随車の4M2Tでは1ユニットカット時は使えないという話もあって、JR西日本では承継しないことにしたのです」」(『物語』158頁)という事だと知り目からうろこが落ちた。V編成が先頭車を電動車、つまりダブルデッカー車以外は電動車としたのはこだま専用編成への改造で無駄なく車両を活かせるだけと知りやはり100系一族は国鉄時代からJR発足後にかけて、単なる豪華さだけが売りではない効率性や汎用性を持っているのだなと思った。東海道区間では品川駅開業のダイヤ改正でのぞみ型車両に統一することで約18年という短命に終わったが、山陽区間では定期列車では2011年、臨時列車では翌春まで26年以上活躍できた。

 

最後は国鉄時代から車両設計にかかわっていたJR東海の上野執行役員への聞き取りで締めくくっているが、100系がのこしたものは人材と設計思想だという。(『物語』194頁)100系の見方が変わる1冊である。