点の横浜は神中鉄道時代の施設を改良して「神中1~2番ホーム」と称し、在来の各線と区別していますが、これは今でも変わりません。

 

電車区は線内ローカルとして使用する基本編成と、後に始まる京浜線への直通については東神奈川電車区が、付属編成や一時期存在した駐留軍専用電車等は東神奈川電車区の臺頭支区(後の相模大塚)に配置。この2区体制は全電車103系化され付属編成を使用しなくなる1978年には東神奈川電車区に統一されています。

 

1960年頃の東神奈川電車区(東ヒナ)配属の神中線電車。これらのMTMは基本編成で、これに適宜付属編成が附いた。

 

同時期の臺頭支区(東タト)配属の付属編成。旧34や33、Wルーフ車等、現場では使い辛そうな車両が集まっている。

 

こうした17m級標準型電車が入る前の神中線は、前段で述べたように買収国電や木造10系が闊歩していました。

 

 

富士身延から東神奈川に流れて来た93は戦時中に全て3扉化改造されています。これらの内2扉に復元された車両が後に大井川鉄道へ渡っています。

 

クハは「長い形式名のレコード」保持者として有名な伊那のサロハユニフ。この時点では全室3等車(座席はほぼナシ)になっていましたが、木造で4扉は恐らくこれだけかも知れません。

 

モハは故郷の「奈良田の麦搗き」、クハは同じく「伊那節」を歌っています。余り仲は良くなかったようですね。