皆さま、こんにちは!
今日は謎解きにお付き合いください。
ちなみにこの謎はまだ答えが見つかってません。
その謎を持っていたのは
4年前に訪れた羽越本線・平林(ひらばやし)駅です。
新潟県村上市内にある駅でした。
平林駅は昭和27年に開業した駅。
今ある簡易駅舎は平成10年に建てられたモノで、
それ以前は国鉄時代の木造駅舎が使われていたそうですよ。
日本海からの吹きつく潮風を直に受けないための対策からか、
出入口がホーム側に設置されたユニークな造りの駅舎です。
駅舎の中はこんな感じでした。
元々あった木造駅舎は有人駅時代に使われていたモノで、
現在の簡易駅舎があった位置に建てられてたとのこと。
旧駅舎は簡易駅舎よりも大きく、
駅舎の裏側に旧駅舎の基礎の一部が残されてましたよ。
平林駅が無人駅化されたのは、
羽越本線でCTC(列車集中制御装置)の運用が開始された
昭和47年9月のことです。
構内に昭和47年築の信号機室がありましたっけ。
平林駅は列車の退避が可能な相対式ホーム2面2線構造で
2本のホームは跨線橋で結ばれてました。
国鉄時代からしばらくは、駅舎の反対側にある東側のホームから
外部へのアクセスはありませんでしたが、
国道7号線に面しているために
平成20年に東口と広場が整備されたそうです。
クルマの出入りを見てましたが、
今ではこちら側の方が利用者が多いのではないでしょうかね?
…ざっくりと現在の平林駅について書きました。
どこにも謎がないって?
実は謎は平林駅の歴史に潜んでいるのですよ。
ひとつめは昭和27年に駅として開業する以前、
昭和25年~昭和27年にかけて仮乗降場だった時代がある
ふたつめ、宮脇俊三先生の著書によれば
昭和32年に移転があるらしいのです。
昭和32年の移転歴については思い当たる節があり、
ホームの上にある待合室が昭和33年に造られたモノでしたの。
JR東日本の駅では待合室の更新が進行中。
最近じゃこんな待合室も珍しくなりましたよね。
仮乗降場の時代は無人駅で、
おそらくは現在のような交換設備はなかったはず。
昭和32年に交換設備を設けるために移転、
現在の姿に変わったのではないでしょうか?
そうなると気になるのは、
仮乗降場時代~移転前(昭和32年以前)の平林駅のことです。
残念なことに、いつもお世話になっている国土地理院のサイトには
その時代の航空写真が掲載されてませんでした。
ただし、昭和40年撮影の航空写真を見ると
なんとな~く気になる場所がありまして…
画像の中央に写る平林駅ですが、
そこに行くのに必ず経由しなければならない行路にある場所が
なんだか怪しいと思いません?
ここですよ、ここ!
現在も現役の農業用倉庫がある場所ですが、
仮乗降場~移転前の平林駅はここにあったと推測しました。
そのように思ったのには理由があり、
ホームの中央から南側の石積みが
より古いモノであることに気づいたからです。
古い石積みのホームを辿ると
南端が先ほどの農業用倉庫付近まで伸びてるのですよ。
農業用倉庫は駅前から南下した先にありました。
ズルっこしてグーグルのストリートビューで現地を探索します。
土色の右側に垣根のわずかな切れ目がありますが、
ここが仮乗降場~移転前の
平林駅の出入口だったのではないでしょうかね?
古い石積みのホームは仮乗降場時代に造られたモノ。
宮脇俊三先生が著書に記した「平林駅の移転」は、
構内に交換設備を設けたことにより
駅の中心地が100メートルほど北側に移動した…
を意味していたのではないでしょうか。
羽越本線のこの区間は平林駅をはさんで坂町駅方面が複線、
岩船町方面が単線に変わります。
最後は跨線橋からの眺めで〆ます。
この辺りで採れる岩船産コシヒカリ荒川米は
「白いダイヤ」とも呼ばれているんですって。
さすが米どころの新潟!
憶測ばかりで書きましたが、
仮乗降場時代の平林駅をご存知の方はいらっしゃいませんかね?
駅に移転歴があると知ると
以前の駅の様子が知りたくてワクワクが止まらなくなっちゃうんです。
白いダイヤ、通販で買えます。
平林駅の旧駅舎の写真と移転した旨が掲載されてます。
↑(新津駅方面)
新発田駅
中条駅
平林駅(平成29年4月27日)
岩船町駅
村上駅
越後寒川駅
勝木駅
府屋駅
鼠ヶ関駅
小岩川駅
あつみ温泉駅
五十川駅
三瀬駅
羽前水沢駅
鶴岡駅
藤島駅
西袋駅
余目駅
(↓秋田駅方面)
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