みなさんこんにちは。前回からの続きです。


「阪神電車 大阪梅田駅(大阪市北区)」改札内で掲出されている、この駅の開業以来の歴史を振り返るパネル展示「大阪梅田駅今昔物語」について、あれこれと取り上げています。



明治末の開業以来、地上駅だった「梅田駅」。
大正から昭和にかけて利用客の増加と、周辺の急速な開発が進み、地下線方式で地下駅に乗り入れることになった…というところまで、触れて参りました。


阪神にとっては、地上駅が梅田の西外れの不便なところにあったこと(現在では西梅田「ハービスENT」のあたり)市内中心部を南北に縦貫する、日本初の公営地下鉄「地下鉄御堂筋線」の開業(昭和8年)もあり、その「梅田駅」や「国鉄大阪駅」に近接する形での、地下駅への移動は悲願だったようです。


阪神梅田地下駅の開業は、1939(昭和14)年3月のことでした。




ところで、その「御堂筋線」は日本有数の利用客数を誇ることで知られています。




同時期の昭和初期には、当時、空前の規模を誇る「御堂筋」が整備された他、周辺の町や村を次々とその市域に組み入れたこともあり、人口は爆発的に増加、大阪は東京を凌ぐ日本一の都市に膨れ上がりました。淀屋橋近辺にて。


また、商工業の発展も著しく「東洋のマンチェスター」という異名がつくほどの、いわゆる「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれる時代に入っていました。


NHKの連続テレビ小説「おちょやん」の主軸になっていた時代が、ちょうどそのあたりです。

わが河内言葉がとても心地よい杉咲花さん、もとい、苦労人の竹井千代ちゃん。
毎朝の楽しみでしたので、今週で終わりやとは至極の残念…余談でした。


ところで、梅田地下駅の出札口には…
当時は、自動券売機などというものはなかったので、乗車券の類はすべて手売りでした。

そんな中、運賃表には「北大阪線 傅法線(でんぽうせん)甲子園線」という文字も見られます。いまは、そのような路線はないのですが…
これについては、また後日の項で。


完成直前の梅田地下駅全景。
広いドーム様の構造に4線路、ホームも乗降が分離されているという、当時としては、大変に規模の大きいものだったようです。しかし…




こちらは、戦後の様子でしょうか。ラッシュ時かはわかりませんが、ものすごい人の波です。

昭和30年代に入ると、激しい混雑ですでに駅設備は手狭になって来たようで、拡張工事もたびたび行われる次第になったとのこと。


ところで、パネル写真の中に気になるものが。こちらも、おそらく昭和30年代と思われます。



いちばん南側の、4番線に停車しているのは丸っこい顔つきの「特急」。
そして、乗り場案内板の下に「神戸三宮まで止りません」とあるではないですか。


現在の「特急」「直通特急」が、実にこまめに停車していくことを考えると、信じられないものがあります。スピード重視だったんですね。
「ノンストップ特急」は、阪神間を25分で走破していたそうです。

とはいえど、つい最近まで「特急」は、梅田を出たら「西宮駅(兵庫県西宮市)」までノンストップやったですし…時代は変わりました。


次回に続きます。
今日はこんなところです。