宮内駅を発車したゆざわShu※Kuraは長岡駅到着後、進行方向を変えて再び宮内駅に向かって発車します。
そして今度は宮内駅を通過して信越本線から分かれて上越線に入ります。
「父ちゃん大変だよう❗汽車が上越妙高に戻っちまうよう❗」
母ちゃんがいきなり叫んだので慌てて口を塞ごうとしたものの時すでに遅く、2号車のフリースペースを飛び越えて3号車からゲラゲラと笑い声が…
(シーッ❗ちゃんと越後湯沢に向かっているから安心しなさい)
そういえば数年前に秋田へ旅行したときに秋田新幹線「こまち」に乗車したときにも大曲駅で進行方向が変わったときも
「父ちゃん❗東京に戻っちまっうよう❗」
と、大騒ぎしたっけ…。
地平を離れてゆくのがここまで進んできた信越本線で、向こう側の高架が上越線の下り線です。
上越線に入って最初の停車駅は小千谷駅。
新潟県小千谷市といえば小千谷縮が有名ですが、越乃Shu※Kuraに乗務されている方々の制服の赤い部分に使用されているそうです。
小千谷駅を出ると、続けて越後川口駅に停車します。越乃Shu※Kuraとして運転される場合はここから飯山線に入って十日町駅へ向かいますが、今回乗車しているのはゆざわShu※Kuraとしての運転なのでこのまま上越線を上っていきます。
画像奥のホームが飯山線のホームです。
個人的には越乃Shu※Kuraとして十日町駅まで運転される列車がそのまま長野駅まで進んで折り返してしなの鉄道・北しなの線経由でえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインに戻って上越妙高駅まで環状運転をしても面白いのに…などと素人考えが浮かんできます。ただ、長野県内では千曲川に沿った車窓風景は進行方向左側で1号車のペアシートやくつろぎシートでは楽しめませんが…。
小出駅に停車中。画像とは反対側、つまり私の背中側には只見線のホームがあります。
只見線は豪雨災害による不通区間が現在でも残りますが、新潟県中越地方と福島県会津地方を結ぶ風光明媚なローカル線であり、全線復旧する日が早く訪れるといいですね。
小出付近からは越後三山(八海山・越後駒ヶ岳・中ノ岳)を眺めながら…と言いたいところですが、1号車のペアシートとくつろぎシートは反対側の車窓を向いた造りなので後ろを振り返らなくては眺めることができません。構造上仕方ないとはいえ、少し残念です。上越線を走行中はペアシートとくつろぎシートは車窓の展望が劇的にいいとはいえない(といっても魚沼地域の風土の薫りが漂ってきそうな風景は魅力です)ので、フリースペースの2号車へ行って大きな車窓から越後三山を楽しんだ方がいいのかもしれません。
私がトラックドライバーだった頃、明るい時間帯に新潟から東京へ戻るときに関越自動車道から眺める越後三山はとても好きでした。とくに今頃の初夏のよく晴れた日には青空に残雪を輝かせる姿が魅力でした。
北陸新幹線金沢開業までは上越新幹線の越後湯沢駅で北越急行経由で金沢方面へ向かう特急「はくたか」が多数運転されていて、六日町駅からほくほく線に入って信越本線の犀潟駅までショートカットして直江津駅から北陸本線に入って首都圏対北陸地方への足を担っていました。
北越急行は国鉄時代に計画されていた路線でしたが、国鉄が抱えていた巨額の赤字のために建設が凍結されていたのを新潟県などが出資する第三セクター鉄道として誕生しました。
新しい路線らしく高架とトンネルにより魚沼丘陵を直線的に通る高規格路線で、新幹線並みの設備を持つ路線で、狭軌(JRの在来線をはじめ多くの私鉄で採用されている1,067mm軌間)では最高の160km/hで駆け抜ける「はくたか」も存在していました。
北越急行開業以前は長岡駅で上越新幹線と北陸方面との特急列車の接続が行われており、長岡駅を出ると直江津駅・富山・高岡のみ停車の特急「かがやき」が連絡していました。
現在では「かがやき」「はくたか」ともに北陸新幹線の列車名として使われています。
最後の途中停車駅は塩沢駅。
画像ではわかりにくいですが、奥に関越自動車道が通っていて、トラックドライバーだった頃には田園地帯にぽつんと見える塩沢駅を眺めながら通過していました。
横断幕を持って出迎えてくださった駅員さんたちと記念撮影です。
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