青海川駅を発車します。
越乃Shu※Kura(上越妙高~十日町)の車両は新潟市のJR東日本新潟支社・新津運輸区に所属しますが、ゆざわShu※Kura(上越妙高~越後湯沢)として運転される日や柳都Shu※Kura(上越妙高~新潟)として運転される日も含めて基本的に上越妙高駅が起点で、往復の運用(上下別列車として)です。
つまり新津運輸区から上越妙高駅まで回送されて営業れとして往復した後に回送されて所属基地へ戻るわけですが、連続して運転されるときは新津まで戻っているのか、それとも長岡で滞泊しているのか私にはわかりません。
いずれの列車も上越妙高~長岡間で運転区間が重複するのでびゅう旅行商品専用車である1号車のペアシート及びくつろぎシートは日本海側を向いて乗車することになりますし、それぞれの列車の車窓風景のウリであるこの区間を意識した設計であることが伺えます。
この動画の車窓風景は青海川駅~鯨波駅間なのですが、信越海線(ファンなどのあいだで北陸新幹線長野開業前までの信越本線で高崎~長野~直江津間の本州横断区間を信越山線とした通称で呼んでいたのに対し、日本海側を通る直江津~新潟間をそのように呼んでいました)でも最も日本海の風景が楽しめる区間であり、列車の撮影地としても人気の場所であります。乗車しているとわかりませんが、この区間は海岸線に沿って大きくカーブしているので、日本海を背景とした画になる場所なのです。
そのうち最も有名なのは鯨波駅寄りのこの場所ではないでしょうか?
これは昨年の夏に撮影した特急「しらゆき3号」新潟行です。
北陸新幹線が開業した現在ではここを通る優等列車はこの特急「しらゆき」だけになってしまいましたが、かつては昼行最長距離特急列車として大阪~青森間を結んだ特急「白鳥」をはじめ、大阪~新潟間の特急「雷鳥」、上野~金沢間の特急「はくたか」、北陸都市間を結ぶ特急「北越」「かがやき」などの列車が多数往来していました。
特急列車も東京や大阪などの大都市を発着する列車は長い編成のものもありますが、地方の特急列車は短編成化されて寂しい限りです。国鉄時代には食堂車を連結した12両編成や13両編成の列車がこのカーブを誇らしげに走り抜けていたものでした。
鯨波駅を通過すると海岸線から離れて列車は内陸部へと入っていきます。
柏崎駅に停車。向こうに見えるのはE129系の越後線の普通列車です。新潟地区の直流電化区間のローカル列車もほぼこのE129系に統一されつつあり、国鉄型の115系は風前の灯となりました。
海岸線から離れてしまったので2号車のフリースペースを少し徘徊してみます。
新型コロナウイルス感染予防で樽型テーブルの使用は中止、ジャズの生演奏も中止されているのは残念ですが、この状況では仕方ありません。
売店では酒肴となるものや弁当も販売されています。直江津駅前のホテル「ハイマート」は直江津駅の人気駅弁「鱈めし」や「鮭めし」を製造していてこの列車でも販売されていましたが、すぐに売り切れてしまうほどです。
私は純粋に列車の旅を楽しみたかったので、利き酒はやめておき、自分のお土産に特製ボールペンとキーホルダーを購入しました。
路線図には廃止されてしまった「GENBI」(上越新幹線の越後湯沢~新潟間で運転されていた現代美術をテーマとした列車)がまだ削除されずに表示されていました(運転終了の注意書きあり)。
この路線図の赤い太線部分が私たち夫婦が乗車しているゆざわShu※Kuraの運転経路です。
路線図には3通りのShu※Kura以外にも接続する北陸新幹線や上越新幹線、十日町行(発)として運転される越乃Shu※Kuraとの組み合わせでプランを組める長野駅と十日町駅を結ぶJR東日本長野支社の観光列車で飯山線を走る「おいこっと」やえちごトキめき鉄道の観光列車「雪月花」、北越急行(ほくほく線)の「ゆめぞら」も掲載されています。
宮内駅は信越本線に上越線が合流する駅ではありますが、ジャンクションとしての役割は隣の長岡駅が担っていました。
かつて上越線を通って東京の上野駅と金沢駅などを結ぶ北陸方面の列車はこの宮内駅を通過して一旦長岡駅まで進み進行方向を変えて逆編成となって戻ってきて再び宮内駅を逆から通過して、東京方面、そして北陸方面へと向かっていました。
次回へ続きます。