皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

本日は5月8日ということで「キハ58の日」という記念すべき日ですが、今更キハ58の写真を挙げるにしても何を上げるのか迷いますので、普通にブログの更新を続けたいと思います。今回ご紹介するのは昭和36年度本予算内示で富士重工により製造されたキハ58 54~70のうち1961年5月・6月に製造された54~64をご紹介します。

 

なおこの昭和36年度本予算内示ではメーカー毎に番号が振り分けられましたが、昭和36年5月・6月に製造されたのは日車製の11~30と、富士重工製の54~64のみで、それ以外は昭和36年の7月~9月に製造されています。余談ですがキハ58 23はキハ58で最若番として有名でしたが、製造年月日が古いのはキハ58 54の方でした。

 

今回のグループは富士重工製なので、側面の1位側乗降ドア脇の握り棒が下に長いという特徴がありました。これは最初期車の寸法のままということでした。そのまま昭和42年の平窓最終グループまで製造されているのが非常に興味深いものです。

 

 

キハ58 54

 

↑JRに継承されたキハ58の中で最も製造年月日の古い車であることはあまり知られていませんでした。今回紹介するキハ58 54~64の中では当車のみが九州に配置されました。長く九州内で活躍し1970年以降は都城に配置され急行「えびの」で活躍しましたが、1980年10月ダイヤ改正で減車が行われると捻出され、山形に転じます。山形では暫くはキハ28の4VK搭載車が居ないことから非冷房車扱いで各急行で活躍しましたが、1982年11月改正で4VK付きキハ28が転入すると本格的に冷房が使用開始され、主に急行「月山」「もがみ」で活躍しました。その後1986年11月改正で急行「もがみ」が廃止されると余剰となりますが、同改正で復活した急行「よねしろ」に充当するため秋田に転じました。そしてそのまま同急行用として一生を終えます。

 

外観は1991年に「よねしろ」用アコモ改造と車両更新・機関換装を行いましたが、種車の雰囲気はキハ58 23ほどは失っていませんでした。正面の回転式タイフォンシャッターはそのままでしたが、タイフォン上部の原形のシャッター式用作用箱は撤去され不思議な形状になっていました。放送ジャンパ栓納めは秋田地区に良くある尾灯脇から、盛岡のようなタイフォンの右上付近に移設されていました。

 

 

キハ58 55

 

↑キハ58 55~64は松本に新製配置されましたが、400番代車の投入により1963年には全車移動しています。当車は四国へ転属し、そのまま長く活躍しました。1972年以降は「阿波」等用として徳島へ転じていましたが、1978年10月改正でキハ57が四国に転入したことによる転配で押し出され、55・57・58・59揃って九州へ転属することになり、当車は大分に転じました。しかし大分での活躍は束の間、1980年10月改正の減車により余剰気味となり、1981年に東北地区と九州で冷房車と非冷房車の交換を行った際にその対象となり、1981年に山形に転じます。その後の経緯は先の54番と同じで急行「月山」「もがみ」で活躍しましたが、1986年11月の急行「もがみ」廃止で余剰となりそのまま廃車になりました。

当車は大分時代の姿しか確認できていません。もし山形時代の姿をご存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただけますと幸いです。

外観は、大分時代は短いため徳島時代の形態から大きく変わっていません。初期車の特長であるタイフォン上の足掛けが残っており、放送用ジャンパ栓納めは四国タイプのままでした。

 

 

キハ58 56

 

↑松本を1963年に追われた後は九州に転じ、以降九州を出ませんでした。1972年以降は長崎に配置され急行「いなさ(出島)、弓張」をメインに活躍していたものと思われます。1976年の長崎本線電化後も気動車急行は残っていましたが徐々に減少し、1982年11月のダイヤ改正で廃止されると主に普通列車用となりました。そのため普通列車は急行色と首都圏色の混成が多くなり、これを是正するため試験塗装が生まれ、当車とキハ40 2062がスカ色に似た塗装となりました。ただしドアはベースのクリーム色となっており、後の東北地域本社色にも通じる塗装となっています。しかし結局この塗装は採用されず急行色に復元されましたが、九州内の電車化やローカル線廃止による車両整理により捻出され、JRに継承されずに廃車になりました。
最後は急行色になっていましたがイラストは試験塗装で描いています。若番車の名残でタイフォン上にある足掛けが特徴でした。当車は塗装変更されたものの外板がベコベコで、あまり状態の良い車には見えませんでした。

 

 

キハ58 57

 

↑キハ58 55と同じく松本を追われた後は四国に転じ、1972年以降は高徳線系統運用が分離され徳島に転じました。1978年に55番と同じ経緯で九州へ転じ、熊本に転属しました。若番車が軒並み淘汰整理される中四国転入車ながらJRに継承され、1988年には直方のジョイフルトレインである「ふれあいGO」に改造されました。その後はJR九州のジョイフルトレイン政策の転換により1994年に廃車になりました。

ワイパー未更新、前面補強も未施工でのっぺりした顔でした。「ふれあいGO」に改造された際に多くの前面パーツが無くなりましたが、制御用KE53栓納めの位置が四国タイプで、しかも放送用ジャンパ栓納めの台座も四国タイプであり経歴を物語っていました。

 

 

キハ58 58

 

↑キハ58 57とほぼ同じ経歴を辿り熊本に行き着きましたが、当車はJRに継承されずに廃車になっています。

キハ58 57に似た形状でしたが、放送用ジャンパ栓納め位置が高く、四国のキハ58系若番車によくある姿になっていました。

 

 

キハ58 59

 

当車も1978年に徳島から九州に転じ、長崎に配置されていました。晩年は長崎の簡易お座敷車「ばってん号」の中間車として主に使用されていましたがそのままJRに継承されずに廃車になっています。中間に挟まっている写真しか見つかっていないので前面形状が不明です。もしご存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただけますと幸いです。



キハ58 60

 

当車は1963年に松本を追われた後は一旦東北に配置され、1964年に九州入りしたものの1970年には鳥取に転じています。そして1972年3月の山陽新幹線岡山開業に伴う列車系統の変更により福知山に転じました。そしてJRに継承されず最後は豊岡で廃車になっています。当車もその姿が発見されていません。もしご存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただけますと幸いです。

 

 

キハ58 61

 

当車は1963年に松本を追われた後は一旦東北に配置され、1964年に九州入りしたものの1970年には鳥取に転じています。ここまでの動きは60番に似ています。その後1972年には60番と同じ理由で捻出され広島に転じます。1982年には急行「ちどり」の減車もあり余剰となり、人吉に転じました。人吉では急行「くまがわ」で活躍しましたがここでも急行の減車により余剰となり熊本に転じたのちにJRに継承されず廃車になりました。
当車は初期車の名残でタイフォン上の足掛けが残っていたことと、広島時代の名残で側面に増設されたサボ挿しが残っていたのが特徴でした。

 

 

キハ58 62

 

↑当車は1963年に松本を追われた後は梅小路に転じ、京都発着の紀伊半島方面の急行で使用されました。1972年の山陽新幹線岡山開業に伴う車両転配では米子管内に転じ、以降同地区で長く活躍しましたが、1982年の伯備線電化により捻出され亀山に転じました。亀山では主に関西本線や片町線、信楽線で普通列車で使用されました。その後1984年の奈良区の運用統合や1985年の急行「きのくに」廃止に伴う和歌山からの転入により余剰となり、JRに継承されず廃車になりました。

当車は米子時代に前面補強されていないと思われ、亀山転属後は名工タイプの前面補強が施工されています。また、亀山では1982年当初キハ28の配置が無いため非冷房扱いとなり、そのためか前位側の冷房用のKE53Cジャンパケーブルは取り外されていました。後位側がどうなっていたのかは不明です。

 

 

キハ58 63

 

↑当車は1963年に松本を追われた後は梅小路に転じ、京都発着の紀伊半島方面の急行で使用されました。1972年の山陽新幹線岡山開業に伴う車両転配では福知山に転じ、後に豊岡で活躍しました。しかし1985年に急行「きのくに」廃止により後期車が流入すると玉突きで廃車になりました。

形態は、後藤工場で前面補強されて整形されており、典型的な福知山・豊岡顔になっていたのであまり特徴がありませんでした。

 

 

キハ58 64

 

↑当車は1963年に松本を追われた後は大分に転じますが、ヨンサントオ改正で福知山に転じました。以降同地区で最後まで活躍し、1986年11月の福知山線電化により余剰となりそのまま廃車になりました。

形態は、後藤工場で前面補強されて整形されており、典型的な福知山・豊岡顔になっていたのであまり特徴がありませんでした。当車は寒冷地に配置歴がありませんがタイフォンがシャッター式になっていたように見えます。もし詳細をご存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただけますと幸いです。

 

 

いかがでしょうか。あまり大きな移動が少ない車が多いですが、四国・九州・東北間の移動は晩年に多くあり、それによって異なる地域の形態の特徴を持った車が他地区にいるという面白さが見える車が結構いますね。

 

 

次回はこの続きで同じく昭和36年度本予算内示のうち、富士重工製で1961年9月製造ののキハ58 65~70をご紹介したいと思います。

 

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

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にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。