津軽海峡線はかつて特急白鳥や寝台列車が往来し、青函連絡の要として昼夜ともに殷賑を極めていた。現在でも新幹線や貨物列車は通るものの、北海道へのロマンや憧れを思い起こさせるものではもはや無くなってしまったような気がする。その津軽海峡線の蟹田から半島突端まで伸びる一日数本のローカル線である津軽線はさらに肩身が狭くなって、"さいはて"の哀愁をますます深めてしまったように感じたのだった。

 

 

 

 

 

早朝6時に青森を出る列車に乗り、たどり着いた蟹田はこれまで見てきたどの街よりも深く、冷ややかな雪に閉ざされていた。列車を降りて正面に停まっている気動車はキハ48

かつてこの路線のヌシであった盛岡色のキハ40はすでに居なくなってしまったようだ。今年の3月に勇退したキハへの最後の手向けか、当時は鉄道ファンの姿がちらほらと見えた。

 

 

 

 

蟹田ってのは風の町だね

 

太宰治の小説、津軽の一節を彫ったモニュメントがホーム上に建っている。この時は残念ながら蟹田の風を感じることは出来なかったのだが(とにかく寒くて風邪の予感は感じていたものの‥)

 

 

 

 

列車が発車し、まず車窓に広がるのは、広大な雪原だった。数週間ほど前から降り続いた雪は形あるあらゆるものを地表から消し去ってしまったようだった。見つめていると目が痛くなってくるほど刺激的な自然の白が刺してくる。まるでモノクロで色の無い世界を2両のくたびれたキハに護られながら見続ける。

 

 


 

奥津軽の集落の一つ一つを結ぶように列車は走る。そのせいか山間部を通ることが多い。そして車窓からは想像を絶するほどの雪の神秘を垣間見ることが出来る。木の梢はその芯まで凍り付いているのではないかと思われるほどの雪化粧をして、氷の中に沈んでいるようだ。自然に似つかぬとても奇妙な姿に見えて、次から次に流れてくるそれらからは、かえって人工的な美しさを感じた。

 

そして列車は一時間ほどかけて、津軽半島の突端の三厩に着いた。線路の終わりがすなわち陸地の終わりであるところがなんとも、良い.

 

 

 

 

 

 

 

 

氷漬けの終着駅と街

 

 

三厩は竜飛岬への最寄り駅であると同時に、本州最北端の駅である。駅を出ると、鋭い寒さがダウンのすきまの肌を刺した。こんこんと降りしきる雪が街を異様な静けさで閉じ込めていた。あるいは夜が明けて間もないこの海峡の街には、波の音以外何ものも響かせない静かな夜がいまだに尾を引いているのかもしれない。

 

その完全に近い静謐さの中をすぞろに歩き続けると、津軽海峡の海べりにたどり着いた。

 

 

 

 

海は想像に反して静かに凪いでいて、それは陸と海の境界がわからないほどだった。津軽海峡冬景色のような荒々しく狂う海、みたいなのを期待していたのに、なんだか拍子抜けしてしまった。石川さゆりも「ごらんあんれんがたっぴみんさんきぃ〜」とめいっぱいコブシを効かせて歌い上げた海がこれではさぞかし所在なさげだろうなあ、などとアホなことを考える余裕も出て来た。

 

それでも寒さだけはやはり格別で、遠くの海岸線に見える漁村の家々を尻目に、早々と来た道を戻ることにした。

 

 

 

2両のくたびれたキハは雪の中を静かに耐え忍んで乗りに来るかも分からぬ客をじっと待っていた。冷気に交わる灯油の懐かしい匂いがホームに漂う。

 

 

列車に地元のおっちゃん二人が乗り込んできて互いに早口の津軽弁で会話をしている。初めて聞く生の津軽弁で、興奮してきたな(サンドの芸風)。ためしに少しだけ耳を傾けてみるが、訛りが凄くて全然聞き取れない。ことばの端々は聞こえないことも無いが、どうしても意味をなさなかった。それでも自分の耳はここで意外な適応力を発揮し、あともう少し、あともう少し聞こえれば!という所までいったところで、カラカラカラ‥と大きなエンジン音を立てておもむろに列車が動き出した。せっかくいいところまで聞き取れた津軽弁の話もかき消されてしまうのだった。