相模線、厚木駅から茅ヶ崎駅へ | 模工少年の心

急に、 「相模線に乗りに行こう」という思いが膨らみ、先日、厚木〜茅ヶ崎間を乗車してきました。

 

実は、茅ヶ崎〜橋本間を走る相模線には

これまで一度も乗車したことがありませんでした。

こういう時には全線乗車するところですが、

小田急厚木駅で相模線への乗り換えを体験する、相模線に乗って茅ヶ崎に出て、海を見る、という2つの目的に特化して出掛けることにしましたので、橋本〜厚木間の乗車はまたいつかということにしました。

 

☆☆厚木駅での乗換

(小田急厚木駅 相模川の向こうは本厚木駅)


(階段を降りて、JR相模線ホームへ)



 海老名市に所在する厚木駅は、高架駅になっている小田急線からJR相模線への乗換駅ですが、各駅停車しか停車しない厚木駅よりも発展著しい、一つ新宿寄りの海老名駅で乗り換える乗客の方が多いかもしれません。

 

厚木駅の由来、そして、相模鉄道という名称の二つの鉄道の関係については、とても複雑です。

かつて神中鉄道という私鉄があって、それが今の相模鉄道になり、かつて別の相模鉄道という私鉄が国鉄に買収され相模線になりました。

相模鉄道の厚木駅は、今はもう客扱いはしていませんが、貨物駅としての備えだけは残しているそうです。

 

相模線の厚木駅ホームに降り立つと、もう使われていない対向車線用のホームに、米タンと言われたタキ3000、米軍所属の貨車をつなげたDD12形DLが今にもやってきそうで、不思議な感覚を覚えました。

実際には、ホームはJR専用であり、あり得ません。現実に戻って海老名の方向をみると、相鉄の新車、12000系でしょうか?濃紺の車両が1編成、甲種輸送で届けられたまま留置されているのでしょう、このヤードは、相鉄の存在感を発揮しようと努めているように思われました。

そうこうしてうちに、茅ヶ崎方面からの上り電車がやってきました。

相模線は、相模線用として投入された205系500番台の4両編成の電車で全列車が運転されています。

さらに10分ほど過ぎてやってきた上り列車も同じく、205系。

統一されすぎて、面白みがありませんが、東京からこんなに近場でローカル線の雰囲気を味わえる路線が今も残っていることは貴重です。

 

この列車に乗り、茅ヶ崎駅へ向かいます。

 

相模線は、概ね、津久井ダムを端に発した相模川とつかず離れずに走っていて、田園地帯か住宅地かで、風光明媚なところはなさそうです。


厚木駅を出た上り列車は次の社家駅で上り列車と交換待ちします。

しばらくして、やってきた上り列車をやり過ごし、茅ヶ崎へと、また走り出しました。


茅ヶ崎駅に到着。

以前、東海道線のホームからキハ35系気動車が相模線ホームに停車していた頃の

記憶がありますが、錯覚だったようです。

 

特急湘南が停車する時間帯以外には閉鎖されている3.4番線ホームがなく、離れている感が強かったのだと思います。

☆☆相模線に揺られて茅ヶ崎へ

 

茅ヶ崎駅で下車し、湘南の海へと向かいますが、ここで、なぜ、相模線を使って茅ヶ崎に行きたくなったのか、その理由をお話しします。

 

1970年、80年代の荒井由実、松任谷由実さん(ニックネーム、ユーミン。以下敬称なしで統一します)アルバムは、一時期よく聞いていました。

 

「ビュッフェにて」と言う曲のことが気になって、松任谷由実のその頃の曲を聴きながら、「あまり、鉄道は得意ではないな。」と思いました。

(この「ビュッフェにて」については、話が長くなるので別の記事にしたいと思っています。)

 

ところが、1976年のFM放送のスタジオライブで「天気雨」を歌う前に「鉄道が好き」と語っていてるのを知って、少し驚きました。

八高線にも乗りに行ったそうです。

 

その「天気雨」の歌詞の中では、相模線に乗って「茅ヶ崎まで揺られて来た」と歌われていました。

結婚前に住んでいたのは、確か八王子。

八王子から、横浜線、相模線と乗り継いで茅ヶ崎まで行くとは、当然、「彼の高級外車でお迎えだろう」と踏んでいたので、思ったよりも庶民的で、イメージが少し変わりました。

 

それで、東海道線ではなく、相模線に揺られて、茅ヶ崎へ行くことにしたのです。

 

荒井由実の時代では、もう1曲、歌詞の中に鉄道が出てくる曲に、「雨のステーション」という曲があります。

6月のこと、霧がかかって見通せない駅のホームで、出会えるはずもないのに待ち続けて人影を見送った、と歌う気怠い雰囲気が良い感じです。

こちらは、西立川の駅がモデルだそうです。


さて、そんなことで来てしまった茅ヶ崎駅。

海を見ること以外に当てはないのですが、ちょうど昼時だったので「天気雨」の曲とフィーリングが合いそうなお店を探すことにしました。

駅前から、海岸の方角に向かって伸びている道路には、加山雄三通りという名前が付けられています。


それよりも、1本南寄りの高砂通りを行くと、ターナーバーガーという名のバーガーのお店がありました。

ここで、鯖パーガーのセットをいただきました。全く生臭さがない鯖を美味しくいただきました。

さらに歩いていくと、明治時代に川上音二郎・貞奴夫妻の邸宅だった跡地が「高砂緑地」として開放されていました。

茅ヶ崎市美術館には、今回は寄りませんでした。

えぼし号というコミュニティーバスが抜かしていきました。

 

そして、ようやく海が見えました!


途中、サーフボードを自転車に乗せていく人を見かけましたが、近くでやっているのでしょう。

江の島、三浦半島、大島、伊豆半島を確認し、久しぶりの波の音を耳に焼き付けて帰ることにしました。