しなの鉄道・北しなの線に黒姫駅から終点の妙高高原駅まで乗車してえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインに乗り継ぎます。


 ホームから妙高山を眺めます。
 国鉄JR東日本時代を通じて特急列車をはじめすべての列車が停車していたこの駅も北陸新幹線の開業や上信越自動車道の開通、そしてスキー人口の減少などにより寂しい駅になってしまいました。
 この駅に停車しなかった特急列車は大阪~青森・上野を結んでいた初代特急「白鳥」の上野編成。妙高高原駅が田口という駅名の時代でした。
 のちに「白鳥」の人気が高かったため上野編成を独立させて上野~金沢間の初代特急「はくたか」になると田口駅にも停車するようになり、北陸本線と信越本線の全線電化に伴って「はくたか」が電車化されて上越線経由に変更となっても特急「あさま」や後に急行列車から格上げされた特急「白山」はすべての列車が停車していました。
 黒姫駅も国鉄時代末期に急行列車の特急格上げによる増収策が行われると夜行急行の「越前」(後に能登となります)以外の列車がすべて停車するようになりましたが、妙高高原駅の方が格上のような印象が私にはありました。
 牧舎のような黒姫駅の駅舎に比べると妙高高原駅は国鉄時代の早いうちから現在の鉄筋コンクリート造りのありふれた駅舎になっていましたが、駅舎は大きくて黒姫駅より貫禄があるように子供心に感じていたものでした。
 そんな妙高高原駅も現在ではすっかり寂れてしまいました。

 乗り継ぐ妙高はねうまラインの列車が直江津駅からやってきました。折り返し直江津行となります。
 この路線もほとんどの列車は2両編成か4両編成ですが、この列車は6両編成。それでもかつて12両編成の特急列車や急行列車が停車していた頃を知る者にすれば寂しいものです。
 避暑地であり一大スキーリゾート地であり、多くの温泉地を抱えた妙高高原駅には上野から直江津や北陸方面を結ぶ定期列車のみならず、行楽シーズンには関西方面からも北陸本線を経由して多くの臨時列車がやってきていました。

 先月もアップしましたが、妙高高原~関山~二本木間の車窓の美しさといったら私のお気に入りの車窓でもトップクラスに入るほどです。


 上越妙高駅で下車しました。
 自由通路のガラスから妙高山を遠望します。
 画像ではわかりづらいですが、妙高山の左側にはうっすらと長野県側の黒姫山、その向こうに小さく飯縄山が山頂を覗かせています。
 長野県側の飯綱町や信濃町から眺めるのとはかなり違う黒姫山の変貌ぶりです。


「父ちゃん、直江津まで行かないのかえ?」

「母ちゃん、まあ黙ってついてきなさい」

 最近は誰でも自由に弾けるピアノを置いてある駅が増えてきましたね。テレビでもよくやっていますし…。
 私たちが改札口を出たときにはピアノを奏でている方がいらっしゃいました。
 その方が演奏を終えて立ちあがった時に得体の知れない嫌な予感に包まれました。
 危険を察知した私は母ちゃんの手を引いてその場を離れようとしましたが時すでに遅く…。

「父ちゃん、ピアノ弾きたいよう❗」

「ダメです。ねこ踏んじゃったしか弾けないんだから…」

「弾きたい弾きたい~ッ❗」

「聞き分けのないことを言うんじゃありません」

 何とか宥めつつ、わがままを言わないよう諭して駅の外に出ました。


 それにしても…この上越妙高駅は北陸新幹線開業前は脇野田という小さな駅でしたが…。

 7年前…脇野田駅としての最後の春の画像。

 脇野田から200mほど離れた新幹線の駅の方へ線路が移設されて脇野田駅は上越妙高駅に生まれ変わりました。

 次回へと続きます。