昭和39年度決算は、東海道新幹線が開業した年でしたが、決算では約300億円の赤字決算となり、その後国鉄の決算は黒字になることはありませんでした。【この辺は、特定人件費などを除くか否かで考え方が変わってきますので一概に言えないのですが】

 

さて、昭和39年度の監査報告書概説を全文引用させていただこうと思います。

概説

第2次5箇年計画の4年目を迎えた国鉄は、東海道新幹線の完成に努めるとともに、安全の確保を最重点とし、 全力を傾注して事故防止を図り、また、 線路増設、 電化、 車両増備等輸送力増強および輸送の近代化の諸施策を進めてきた。

昭和39年度の輸送量は、旅客については東海道新幹線の営業開始の影響もあって依然として順調な伸びを示し、1674億人キロ(対前年度7.5%増)という成績を収めたが、貨物については工業品の伸びにもかかわらず、大宗貨物である石炭および林産品の減少により、全体としては597億トンキロ(対前年度0.5%減)にとどまった。

この結果、収入総額は6040億円(対前年度5.4%増)となったが、経費総額が6340億円(対前年度22.9%増)となり、300億円の純損失を生じた。昭和39年度の国鉄における重要な出来事は、東海道新幹線の開業と新たな構想に基づく第3次長期計画の実施を決定したことである。 前者については、園内はもとより諸外国においても鉄道の将来に新生面を開くものとして高く評価されており、後者 については、政府に設置された国鉄基本問題懇談会の慎重審議を経て、 国の施策として了承され、昭和40年度から昭和46年度までの7年間に実施されることとなった。

と有りますように、旅客収入は順調に増加したものの、貨物列車の伸びが低かったため。収支として赤字になったと指摘しています。

 

大宗貨物(たいそうかもつ・・・・国鉄の稼ぎ頭と言える荷物輸送のこと)

 

政府に設置された国鉄基本問題懇談会の慎重審議を経て、 国の施策として了承され、昭和40年度から昭和46年度までの7年間に実施されることとなった。

 

この点についてですが,興味深い話があります。
石田総裁の伝記である、「粗にして野だが卑ではない」の著書の中に下記のような記述があります。

引用してみたいと思います。

国鉄は、昭和39年度予算として、いきなり例年の倍以上の2733億円を要求した。

石田が事務当局にハッパをかけた結果である。

中略・・・

だが、大蔵省は当惑した。

総裁乱心とでも行った受け取り方で、国鉄当局を非難するとともに、大幅にその要求を削り、、結局、政府予算案にはほぼ平年並みの1330億円を計上した。

 

今度は石田が怒った。

石田は就任時、池田総理から「できるだけの応援をする」との口約束を得ている。

石田は池田を訪ねて直談判、

「総理が約束を守らぬようなら、辞任する」と息巻いた。石田のことである。もちろん口先だけではなく,本気である。

このため。池田が動き、三八年度内の補正分と39年に優先的に補正する分として、併せて500億円を復活することになった

この辺は、改めて弊ブログ「第5代国鉄総裁 石田礼助とは」でアップしていく予定ですが、国鉄総裁として就任した石田総裁には監査委員長時代の三河島事故、更には就任直後の鶴見事故を目の当たりにして、国鉄の輸送力を抜本的に改善しなくてはいけないと痛感したといわれています。
それ故に、第三次長期計画の推進を進めますが、実は国鉄だけで行なうのではなく、国ガ面倒を見て欲しいと言うことを強く進言しているのですが、国鉄のこうした工事に対して国ガ積極的に介入すると言うことはなく、借金に借金を重ねて改良工事などを行なわなくてはなりませんでした。
石田は、池田内閣が所得倍増計画で国民全体の可処分所得は増加し、それによる油増力の増強が迫られている以上、国鉄だけではなく政府や国会議員も国全体の問題として取り組んで欲しいと訴えるのでした。
 
続く
 

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日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代

 

 

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