2011年3月27日、東日本大震災後の記録です。震災の被害は東北地方を中心に甚大な規模になっていました。津波による計り知れない被害と同時に福島原発の事故被害は想像もできなかったものとなりました。あれから10年を経ても復旧までは世代を持ち越すような道のりとなってしまいました。地震から半月ほどしても鉄道の不通区間は各地に残り、東北本線や常磐線といった幹線においても運転再開のめどがたっていない状況でした。毎朝通勤前に撮影していた総武本線を走る鹿島貨物も運転は再開されておらず、この日は鹿島線まで震災の被災状況を確かめに来ていました。

鹿島貨物の行先は鹿島神宮より先、鹿島サッカースタジアムまで進みます。鹿島線の旅客列車は鹿島神宮が終点でした。鹿島サッカースタジアムまでは徒歩で到達しました。JR東日本鹿島サッカースタジアム駅です。もちろんこの日は全面運休でした。

 

 

静かな鹿島サッカースタジアムです。人気がないスタジアム前にはジーコ像がたたずんでいました。

 

 

ジーコ像と同じように一人たたずむPFを発見いたしました。

 

 

近づいてみればEF651092でした。

 

 

小岩時代、毎日撮影していた鹿島貨物ですが鹿島サッカースタジアム駅まで来たのはこの日が最初で最後になりました。

 

 

鹿島線の沿線では復旧に向け作業が進められていました。

 

 

鹿島の海岸まで歩いていました。海岸ではクレーンを使って漂流物を回収する業者でしょうか。震災から16日後の光景でした。あれから10年が経ち、今はコロナという目に見えない大災害の日々が続いています。今こそもう一度「がんばろう日本」ではないでしょうか。

 

(撮影:SONY Cyber-shot DSC-P8)

 


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