どうしても投稿したい記事がありまして、一時中断していましたが、シリーズを再開致します。
徳満駅訪問旅の翌週である2月6~7の両日で、釧網本線の南斜里駅と石北本線の生野駅を列車で訪問する旅に出掛けたのですが、今回はその前半として南斜里駅篇を紹介します。
ただ、この時の旅もなかなか思うようにいかず、網走へ向かう特急オホーツク1号が空知地方の雪害のため大幅に遅れ、当初考えていた予定を変更せざるを得ない事態に陥ってしまうのですが、その事も含めて紹介させて頂きます。
この日は学園都市線の522Mで札幌駅に出向き、6:38に8番線に到着後向かい側の7番線に入線した71Dオホーツク1号に乗り換えます。
南斜里駅へは、網走15:10発の釧路行4730Dで向かうのですが、オホーツク1号の網走到着から約3時間近く時間が空くため、それを利用して流氷シーズンである1月30日~2月28日の間に運転された臨時観光列車・流氷物語3/4号で知床斜里の間を往復するつもりでした。
この日の編成は下記の通り。冬場に入ってから、中間車の原形エンジン(DML30HSJ)搭載車の投入はキロ182を除きほとんどありません。そのキハ182も、4月に入り3両(509~511)が解体の対象となり、残るは502と508の2両のみ…。
①(指)キハ183-9562 ②(G)キロ182-7552 ③(指/自)キハ182-7553 ④(自)キハ183-8563(全車札ナホ)
今回は1号車の最前部展望席・17番A席を取る事ができました。それも前日の段階で!
この1枚を最後にオホーツク1号の札幌→網走のえきねっとトクだ値30(トク30)は売り切れ。
2枚目に見える733系は6:56に同時発車する千歳線の4828M特快エアポート66号ですが、やはり183系では出足で勝てず、序盤から一気に抜き去られてしまいました…。
流氷シーズンという事もあって、オホーツク1号の乗客は旅行客の姿が多かったです。それでもやはり、コロナ禍以前の1/3程度の乗車率といった処でしょうか。
最初の停車駅・岩見沢駅。ここまでは順調な旅でしたが…。
またしても空知方面で大雪が降り、滝川駅でポイント不転換が発生したため先行列車遅れの影響で7:36着の美唄駅で抑止され、7:50に発車したものの、次の砂川駅でも抑止、ようやく滝川駅に到着する頃には、既に30分程度も遅れていました。
滝川駅のポイント不転換が解消したのも束の間、先行列車がまたも雪のためスリップし立ち往生を起こしたとの事で、オホーツク1号の発車までさらに時間を要するとの事で、車内にはどよめきが起こります。しかし、巡回した車掌に対しては誰も文句を付けている人はいませんでした。もっとも、文句を言うような奴はJRを利用しないのでしょうが。
しかし…網走から乗る予定だった流氷物語3号には接続しないのは確実に…(涙)。
いつ発車するかわからないのでじーっと車内で待ってはいたのですが、その目途も立たなくなってしまったので、「買い物などで降りられる際は車掌にお声掛けください」というアナウンスが流れたため、私は車掌に一声掛けて一旦ホームに出て撮影させて頂きました。
写真は最後尾4号車。
札幌駅を6:00に発車する旭川行923Dと並びますが、最後尾のキハ150-13(旭アサ)は締切回送。この列車はオホーツク1号よりもさらに長い事待ちぼうけを食らっており、当駅で追い抜くオホーツク1号が発車しない事には923Dも発車できないのです…。
先行列車の救出が終わりましたが、閉塞の関係上(?)その列車が深川駅に到着するまでは発車する事ができず、ようやく出発信号機が青になって発車したのが10:17頃。
この時点で既に2時間半近くも遅れてしまいました…。
本来は石北本線の安足間駅で交換するハズの72Dオホーツク2号とは、滝川~江部乙の間ですれ違いました。通常では見られなくなったキハ183系の函館本線内での上下離合です。
納内駅通過後、函館本線最長の神居トンネルに入り、空知管内から上川管内(旭川市)に入ります。
1月24に訪問した伊納駅(3月12日限りで廃駅)を通過。
ピンボケ気味の画像でゴメンナサイ…。
近文駅通過後、第二石狩川橋梁を渡ると、旭川駅はもうすぐ。
ようやく旭川駅に到着しますが、この時点で既に145分もの延着。
今回の遅れに伴い、オホーツク1号は北見での運転打ち切りが決まってしまいました。
車掌のアナウンスでは「網走まで向かわれるお客様は旭川駅12:41発の特急大雪1号をご利用ください…」と降車を促していましたが、どう考えてもおかしい…。
私を含むほとんどの直通乗客は、車掌のアナウンスを鵜呑みにせず車内に留まりました。
というのも、140分程度の遅れであれば北見駅を13:43に発車する網走行普通4661Dを少し遅らせてでも接続すると思われ、そうすれば網走駅からは南斜里駅まで乗る予定の釧網本線4729Dに乗り継げるからであって、旭川から交替した別の車掌にその事を問い合わせたら、この後大幅な遅れのない限り一応接続する方向である事が伝えられました。旭川まで乗務の車掌の言う通りにしていたら、さらに2時間近くも網走への到着が遅れる事になり、南斜里駅へ行って戻るのも困難になっていた事でしょう…。
画像は、旭川駅の東側留置線に停車中のキハ40 721。
列車はようやく石北本線に入り、3月12日限りで廃駅となった北日ノ出、将軍山の両駅を通過します。
オホーツク1号は愛別駅で運転停車し、キハ54 512(旭アサ)による臨時列車と交換します。
この列車は、車両トラブルにより運休となった網走8:06発の大雪2号の救済列車で、特急の代わりがたった1両というのはお粗末…。しかしそれで事足りる需要という現実はあまりにも哀し過ぎます。
中愛別駅を通過後、撮影の名所である第5石狩川橋梁を渡ります。
3月12日限りで廃駅となった東雲駅を通過するのですが、その少し手前では動物の死骸に群がるカラスが…。状況からして列車に轢かれたエゾシカと思われます。
上川を出た後は北見峠の山道を進み、やがて列車は石北トンネルに入ります。
北見峠を越えて網走管内(※当ブログではそう呼ばせて頂く)の遠軽町に入り、白滝駅でキハ54 509(旭アサ)単行の3582D特快きたみと交換します。通常だと、常紋峠を越えた金華信号場での交換なのですが。
進行左側に瞰望岩が見えてきて、双方とも旭川のキハ40による網走行4663Dと旭川行4622Dが停車中の遠軽駅に到着します。この時点で既に150分の延着で、運転士交替の後、進行方向を変えて13:01に発車します。
ここからは後面展望画像。
今回の旅で訪問予定の生野駅を通過。同駅は翌日に訪問するのですが、何せ停車列車が一日あたり下り2本、上りにおいては1本という少なさで、列車のみの利用で訪問するのは非常に困難な駅の1つでした。
生田原を出て石北本線のもう一つの難所・常紋峠越えにアタックし、タコ部屋労働者の過酷な使役によって建設され、工事中に命を落とした犠牲者の幽霊が出るという心霊スポットとして有名な常紋トンネルを抜け、北見市に入ります。
留辺蘂駅を出ると北見盆地に入ります。
踏切解消のため掘られた北見トンネルに入り、抜けると北見駅に到着します。
思わぬ形でオホーツク1号の終着駅となった北見駅には13:54位に到着。
遅れが2時間を完全に過ぎているため、特急料金払い戻しの対象になります。
車両は折返し準備が済み次第、84D大雪4号として旭川へ向けて出発しますが、それでも所定より30分以上は遅れる事になります。網走などから大雪4号に乗車予定だった乗客は、一体どうしたんだろう?
本来13:43の発車である普通4661Dが接続を取るため待っていてくれました。
私を含む美幌・網走方面への乗客はコチラに乗換となります。
編成はキハ54 519(釧クシ)+キハ40 708(旭アサ)の2連で、最初キハ40のほうに席を確保したのですが、混み合ってきたので空いていたキハ54のほうに移動しました…。釧路の54が石北本線に入る運用で、この2連のまま網走到着後16:17発の釧網本線釧路行4731Dの運用に入ります(キハ40は知床斜里で切り離し)。
所定より約15分遅れで北見駅を発車。
私が乗車したキハ54 519はキハ183系基本番台車からの発生品であるR51Cと呼ばれる簡易リクライニングシートを集団見合い型で配置。終着駅まで特急に乗れなかったせめてもの慰めか…。
終着近い呼人~網走では、結氷した網走湖が見えてきます。
スノーモービルやワカサギ釣りを楽しむレジャー客のクルマが湖畔に駐まっていました。
所定の14:51より約10分程度遅れて、終着の網走駅に到着します。
私が南斜里駅へ向かうために乗車する釧網本線釧路行4729D。通常はキハ54の単行ですが、この日は3日に1度という、流氷物語号に用いられるキハ40 1720(旭アサ・道北 流氷の恵み)+キハ40 1779(釧クシ・道東 森の恵み)を釧路へ回送させるための3連というスペシャル編成。
先頭はキハ54 525(釧クシ・転換クロス)。嬉しい事に2両目のキハ40 1720も客扱いされており(※最後尾のキハ40 1779は締切扱い)、私はソチラに席を確保。流氷物語号に乗れなかったせめてもの慰めになりました。
隣に並ぶキハ183系は、運休となった82D大雪2号になるハズだった車両。
2021年冬シーズンの流氷物語号は、1980年代半ばに発表された道東を舞台にしたミステリーアドベンチャーゲームソフト『オホーツクに消ゆ』とコラボ。
車両も、従来のキハ54形2両からキハ40の『北海道の恵みシリーズ』2両に交代しましたが、コレは水色ラッピング車のキハ54 508が昨年10月に踏切事故に遭遇してしまったからでした。
尚、今回の旅では乗れなかった流氷物語号でしたが、オリジナルグッズ欲しさに運転最終日となった2月28日に改めて釧網本線に出向き、知床斜里→網走で乗る事ができました。その時の事は改めて紹介させて頂きます(一体いつになるか?)。
網走駅ではオホーツク1号の切符の遅延払い戻し証明を受けた後、みどりの窓口で網走→南斜里→生野の乗車券を購入。特に指定はしていなかったのですが、それぞれの片道ではなく連続乗車券として発行してくれました。尚、この時は時間がなく切符購入を優先したため、払い戻しについてはまだ行っていません。
切符購入後、釧網本線4729Dに乗り込みます。
(車内の画像は2月28日乗車時に撮影)
車内に飾られている絵は、『THE JR HOKKAIDO』の表紙絵を担当する藤倉英幸氏による作品。
網走駅を発車後、次の桂台駅の先にある網走トンネルを抜けると、車窓左側にはオホーツク海が広がります。この日は何とか辛うじて流氷の姿を見る事ができましたが、風向きや気温によって大きく左右され、近年はシーズン中でも場合によっては見られない事もあるようで。コレもまた、地球温暖化の影響か…。
(1、2枚目は桂台~鱒浦、3枚目は止別~知床斜里にて撮影)
15:56、知床斜里駅に到着。
駅舎ガラス越しには『オホーツクに消ゆ』のキャラクターをあしらった記念撮影用のパネルがありました。1番ホームには氷漬けされた花の展示物も。
次の中斜里駅。隣の南斜里駅の表示は、同駅の廃止後に清里町のシールが貼られています。
いよいよこの日の最大目的地、南斜里駅に到着です。
当初から正式な駅として開業しましたが、駅施設は気動車2両分の長さのホームのみ。
かつては木造の待合室があったようですが、私が初めてこの区間を乗車した1987年時点では既に撤去済みだったように思われます。
16:06、南斜里駅に到着。
私の他に同業者がもう1人降りたのですが、彼は浜小清水から乗車した時からマスクを着けていない不届き者!踏切付近で撮り鉄していた男が彼に声を掛けてきて、その話に聞き耳を立てていたら、どうやら彼らは同じ航空便で道内入りしたらしく…。機内ではマスクを着用していたと思われますが(搭乗拒否されるハズ)、他の公共の場でマスク非着用なんてありえない。コロナ禍においてマスクもせず旅行するなんて愚の骨頂ですよ。きっとpeachのマスク拒否男と同類のメンドクサイ奴なんだろうな…。
ノーマスク男のために気分を壊されましたが、その事は無視して…。
南斜里駅の駅名標です。かなり古びており、おそらくJR北海道仕様に交換されて以来のモノと思われます。発車時刻表は駅名標に貼り付けられており、網走での石北本線接続列車までもが記載されていました。
尚、先程降車した4729Dが隣の清里町駅で交換する釧路発の4730Dが16:24発なので、私はソレに乗って網走へ戻るため滞在時間は18分と短いですが、ホームのみの駅なので手頃ともいえます。
ホーム上の運賃表。
他の駅とは異なる様式です。近隣の駅と主要な駅しか掲載されていません。
コチラは…?時刻表と運賃表が掲出されていたと思われる枠でしょうか。
ホームのすぐ裏は畑なので、疫病予防のため撮り鉄らが畑に入らないように注意喚起する札が立っていました。
駅は、西2線道路踏切のそばにありました。
駅全景。
上からそれぞれ踏切の南側、東側、北側から撮影。南側からもう1枚別アングルから撮った写真が本記事トップ画像です。
尚、踏切から見て南側には知床連峰の一つである斜里岳がそびえるのですが、この日は雲が多くて見る事はできませんでした。
あっという間の18分。網走行4730Dが到着するのでホームに上がります。やはりノーマスクの男も一緒…(彼は知床斜里で下車)。
陽もだいぶ暮れてきました…。何とか日没前に訪問できて良かった、ヨカッタ。
4730Dはキハ54 514(釧クシ・転換クロス)の単行。
南斜里駅から使用する連続乗車券②と、ワンマン列車の整理券。
知床斜里の次の止別駅では、駅舎内に『ラーメンきっさ えきばしゃ』が営業しており、ここのお店の塩ラーメンを一度食べてみたいと思っているのですが、未だ実現してません。
夕闇迫る浜小清水~原生花園(臨)の車窓。
雪の小清水原生花園と湯沸湖沿いを走ります。
終着の網走駅3番線には17:25に到着。
到着後、ひとまず改札を抜けて2時間以上の遅れとなったオホーツク1号の特急料金分¥2210の払い戻しを受ける事にしました。
みどりの窓口横の壁には、釧網本線沿線にある網走市内のもこと保育園の園児によるぬり絵が展示されていました。2枚程剥がれてましたが…。
この日は網走泊ではなく、翌日向かう生野駅のお隣生田原駅近くにある『ホテルノースキング』に泊まろうと思ったのですが、乗車する予定だった17:25発74Dオホーツク4号の車両になるハズの81D大雪1号が、折返し予定だった大雪2号の運休により苗穂から車両を回送する都合上遅れており、石北本線のダイヤは少々乱れていたのでした。
大雪1号が到着しない事には折返しのオホーツク4号も発車できないため、生田原駅到着もかなり遅くなりそうなので、仕方なく17:44発の北見行普通4672Dに乗り、この日は北見泊する事にしました。何度も書きますが冬場は列車がどうなるかわからないため、宿の予約はギリギリまで行わない事にしているのです。
4672Dは2両とも、キハ40の未更新700番台車でした。先頭が726、後が828(いずれも旭アサ)。
私は後の828のほうに乗車しました。
この車両、いわゆる『初期ヨンマル』である1977年製で、原番号は103。トップナンバーだった101と次の102だったそれぞれ826、827は昨年に廃車解体されてしまったため、この時点で現役だったキハ40の最古参車なのでした。しかし3月ダイヤ改正で運用離脱し、苗穂工場に回送されて廃車解体される運命にあります。
途中、呼人駅で遅れていた81D大雪1号と交換したため10分程列車が遅れたものの、最終的には北見駅1番線到着時点で所定の18:50から4分遅れにとどまりました。
乗車予定だったオホーツク4号の当駅の発車時刻は18:15。この時点で40分以上も遅れていたのでありました。
網走管内最大の都市の玄関である北見駅。
この日の宿である東横イン北見駅前にチェックイン後、徒歩3分程度の中心商店街にある『焼肉レストランPATIO』に入り夕食。北見は焼肉のマチなので。
翌日、石北本線の廃止予定駅で最後まで未訪問だった生野駅訪問を果たし、札幌への帰路に就くのですが、後半は次回のブログにて。
つづく