かつての播但線の普通客車列車について

(平成4年3月廃止)

【投稿日 令和3年5月4日】

【修正等 令和4年7月14日等】

 

 

1 はじめに(R4.7.14修正)

 

(1)平成4年3月ダイヤ改正前の播但線

 平成4年(1992年) 3月まで、播但線には数多くの普通客車列車が運行されておりました。(機関車については、DD51形ディーゼル機関車もしくはDE10形ディーゼル機関車)

 

(2)いわゆる園部電化と播但線

 平成2年3月の「JR山陰本線京都~園部間の電化」(JR嵯峨野線電化、いわゆる「園部電化」)により、JR嵯峨野線(JR山陰本線京都~園部間)で使用されなくなった12系1000番台の一部が、向日町運転所から姫路客車区に転属となりました。

 また、園部電化で多くの気動車が米子運転所に移動となり、山陰本線豊岡~出雲市間の普通客車列車が大幅に削減されたことで余剰となった米子運転所の12系1000番台が姫路客車区に転属となりました。

 その結果、平成2年3月~平成4年3月については、多数の50系客車及び12系客車が播但線の普通客車列車として運転されることとなりました。

※平成2年3月以前の播但線についても、多くの客車列車が運行されていましたが、種類は50系客車。

※平成2年に、いわゆる園部電化で余剰となった12系1000番台が播但線に投入された目的について、ウイキペディアによれば、冷房化が目的であった、とのこと。

※ウイキペディアによれば、播但線への12系1000番台導入時(平成2年)には、「冷房車両が登場」と播但線沿線に新聞折込広告が配布された、とのこと。

<参考>

 

 

 

 

 

(3)今回のブログでは

 上記のいわゆる園部電化は、当時の播但線の普通客車列車にも大きな影響を与えました。また、後述の通り、平成4年3月の播但線普通客車列車廃止は、当時の山陰本線豊岡~出雲市間の普通客車列車にも影響を与えることとなります。

 そうしたことから、かつての山陰本線で運行されていた普通客車列車の状況を見るにあたり、かつての播但線の普通客車列車についても一度見ておく必要があると考えたところであります。

 今回は、平成2年3月~平成4年3月における播但線の普通客車列車について、平成3年の運行状況を見ること等により、見ていきたく思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

2 平成3年 播但線普通客車列車一覧

(1)平成3年播但線普通客車列車一覧(和田山方面)

 

※この一覧表は自分で作成(『季刊 旅と鉄道 郷愁の客車列車』(1992年冬の号)及び平成3年7月の時刻表を参照)

※この一覧表のDD51(DD51形ディーゼル機関車)の所属は福知山運転所、DE10(DE10形ディーゼル機関車)の所属は姫路鉄道部。(『季刊 旅と鉄道 郷愁の客車列車』(1992年冬の号)より)

※この一覧表の客車の所属は全て姫路鉄道部(平成3年時点)(『季刊 旅と鉄道 郷愁の客車列車』(1992年冬の号)より)

※この一覧表の12系客車はローカル対応用の12系客車(冷房付き)

 

 

(2)平成3年播但線普通客車列車一覧(姫路方面)

 

※この一覧表は自分で作成(『季刊 旅と鉄道 郷愁の客車列車』(1992年冬の号)及び平成3年7月の時刻表を参照)

※この一覧表のDD51(DD51形ディーゼル機関車)の所属は福知山運転所、DE10(DE10形ディーゼル機関車)の所属は姫路鉄道部。(『季刊 旅と鉄道 郷愁の客車列車』(1992年冬の号)より)

※この一覧表の客車の所属は全て姫路鉄道部(平成3年時点)(『季刊 旅と鉄道 郷愁の客車列車』(1992年冬の号)より)

※この一覧表の12系客車はローカル対応用の12系客車(冷房付き)

 

 

 

 

3 平成3年頃 播但線普通客車列車の勇姿(R4.7.14簡略化及び一部削除)

 

(1)播但線普通客車列車の勇姿①

<引用>

※ヤフオクで入手、出品者了承済み(q氏)、転載等禁止

※撮影場所は、播但線寺前駅、とのこと

 

<ソロ鉄ブログ管理者補足説明>

 DD51+12系4両の編成で、全て12系1000番台。その為、平成2年3月~平成4年3月の時期に運行されていた列車。

 

 

<引用>

※これは、expressworld222氏(Expressわーるど氏)の作品で、expressworld222氏(Expressわーるど氏)がInstagramに投稿された写真。(使用については、了解を得ております)

※内容は、1991年3月、新野~寺前(播但線)にて撮影、とのこと。

URLは

https://www.instagram.com/p/CJiYuvRHPmA/

 

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

 この写真は、上記の通りexpressworld222氏の作品で、かつての播但線で運行されていた12系普通客車列車。1992年3月のダイヤ改正で播但線の普通客車列車は消滅。

 播但線普通客車列車廃止後、播但線で使用されていた12系客車(の一部)は米子運転所に転属となり、1992年7月21日の運用修正で、当時の山陰本線の普通客車列車は12系に統一。(『鉄道ダイヤ情報』(1992年12月号)参照)

 

 

 

 

<引用>(令和3年8月31日追記)

※ヤフオクで入手、出品者了承済み、転載等禁止

※撮影場所は播但線、時期は1992年、とのこと。

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

※これは、編成から、6両編成と思われる。時期については、1992年3月以前。

※この12系客車は、青一色の12系なので、12系1000番台。

 

<引用>

※ヤフオクで入手、出品者了承済み(q氏)、転載等禁止

※撮影場所は、播但線寺前駅、とのこと

 

<ソロ鉄ブログ管理者補足説明①>

 これは、DD51+50系8両の編成。撮影年月日は不明であるが、8両編成であることから、平成2年3月~平成4年3月の可能性が高い。

 

 

 

(2)播但線普通客車列車の勇姿②

 播但線の普通客車列車ついては、Toyohara Yamato氏のAmebaブログ(重単5175)においても数多くの写真が掲載されておりますので、ご参照ください。URLは次の通り

<Toyohara Yamato氏のAmebaブログ>

 

 

 

 

 

 

(3)播但線普通客車列車の勇姿③

播但線普通客車列車については、RVDRV氏のYouTube動画もご参照ください。URLは次の通りです。

<RVDRV氏のYouTube動画>

 

 

 

 
(4)播但線普通客車列車の勇姿④等(R4.7.14追記)
 
 
 
 

4 平成4年3月播但線普通客車列車廃止等
(1)平成4年3月播但線普通客車列車廃止
 平成3年(1991年)9月、JR七尾線の津幡~和倉温泉間が電化され、和倉温泉~輪島間が第三セクターの「のと鉄道」に移管されました。これにより余剰となった気動車は、播但線等で使用されることとなり、平成4年3月、播但線の普通客車列車は全て廃止されました。姫新線の普通客車列車についても、同じ時期に、同じ理由で廃止されました。(参考までに、山陰本線下関口の50系普通客車列車も、平成4年3月に廃止された)
 
(2)播但線普通客車列車廃止後
 播但線普通客車列車廃止の後、播但線で使用されていた12系客車(の一部)は米子運転所に転属となり、1992年7月21日の運用修正で、当時の山陰本線の普通客車列車は12系客車に統一されました(『鉄道ダイヤ情報』(1992年12月号)参照)。
 詳細は、下記の過去ブログについてもご参照ください。
 
 
<参考文献>
・『季刊 旅と鉄道 郷愁の旅路 客車列車』(1992年冬の号)(鉄道ジャーナル社)
・『JR時刻表』(1991年3月号、1991年7月号等)(弘済出版社)
・『JR気動車客車情報』(1989年版)(ジェー・アール・アール)
・『JR気動車客車編成表』(1990年版)(ジェー・アール・アール)
・『鉄道ダイヤ情報』(1991年11月号)(弘済出版社)
・『鉄道ジャーナル』(1992年5月号)(鉄道ジャーナル社)
・「世にも少ないアコモ格下げとアコモ格上げ両方を経験した車(小ネタ)」(kami-kitami氏のAmebaブログ)
・『鉄道ダイヤ情報』(1992年12月号)(弘済出版社)
・『復刻版 国鉄電車編成表1986.11ダイヤ改正』(ジェー・アール・アール編)
・ウイキペディア
 
 
 
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※誤字脱字等があればその都度訂正します。
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。