文翔館

【山形駅周辺を散策】文翔館・豊烈神社・霞城公園&町中のレトロな建築物

投稿日:2021年5月4日 | 更新日:2023年9月28日

当ブログはアフィリエイト広告を使用しています

山形駅散策の第2回の今回は、文翔館霞城公園をメインに紹介していきます。また、前回分の散策も含めて山形市街地で見つけたレトロな建築物も紹介していこうと思います。

文翔館と霞城公園って、山形駅周辺だと主要の観光スポットというイメージなのでとってもワクワクしながら訪ねた記録があります。では、行きましょう!

※2021年5月現在の情報をもとに書いております(撮影日は2016年9月)




今回のルート紹介&文翔館へ

前回紹介した伝統こけし館(閉業)を出発し、文翔館まで歩く。その後は霞城公園前バス停の方面へ歩き、近くにある豊烈神社を参拝。最後に霞城公園を散策しました。全部で2km弱のルートです。

霞城公園から山形駅へ戻るときはバスを利用したのですが、当時下車した十字屋前バス停は現在ないようです。十字屋が閉店してしまいましたからね…(涙)

伝統こけし館

では、伝統こけし館を出発!ひたすらまっすぐ県道19号沿いを歩きます。

文翔館

歩くことわずか350m、山形県郷土館「文翔館」に到着です。

こちらの立派な建物はもともと、大正5年に完成した山形県旧県庁舎及び県会議事堂なのだそうです。重要文化財に指定されています。

中央の時計は、現役で稼働している時計塔としては札幌の時計塔に次いで国内で2番目に古いものだそうです。

英国近世復興様式の影響を受けており、重厚感あふれる石貼りの外壁が印象的ですね。これだけ立派な施設なのに無料で見学できるのもありがたいです。

というわけで中を見学します。まずは中央階段に着きました。立派な柱だなあ。下の黒い部分は大理石かな?ツルツルしてるし。上部の装飾が古代ローマっぽい。

階段を上ると、踊り場の窓に目が留まりました。月桂樹の葉飾りを描いたステンドグラスが施されています。

文翔館

そして3階に到着。こちらの豪華なお部屋は重要な会議などに使われていた正庁です。こちらも柱は大理石。シャンデリアや天井も華やかですね。

「歴史映画や漫画で見かけた情景が目の前に!」と、妙に感動してしまいました。

文翔館

さらにはバルコニーに出て、これまで歩いてきた山形市街地の景色を一望することもできました。ちょっと天気が悪いけど、いい眺めです。

文翔館

こちらは内務部長室。さっきより少し落ち着いた雰囲気。昭和の中頃からは財政課として新県庁へ移転するまで使用されていたそうです。

文翔館

廊下の中からはレンガ造りの建物と中庭が見えました。ここだけ見たら日本だけじゃないみたいだ。

ほかにも貴賓室やギャラリーといった見どころがあるみたいですが、写真は撮ってませんでした。気になる方はぜひ、見に行ってみてください。



霞城公園前バス停から豊烈神社へ

霞城公園

文翔館から15分ほど歩いて霞城公園前バス停に到着。

豊烈神社

そして豊烈神社に到着。ちなみに読み方は「ほうれつじんじゃ」です。境内には水野元宣(みずのもとのぶ)像がありました。案内板に詳しい歴史が紹介されてたので、簡単にご紹介。

豊烈神社水野元宣は天保14年に遠州浜松(現在の静岡)に生まれ、藩主のお国替えよって3~4歳ごろに山形に移住したそうです。そして22歳の若さで家老職を継ぎ、26歳のころには主席家老元宣として明治維新で激動の山形藩の運命を一身に背負ったのだそう。

山形藩は最初、維新側の立場について戦っていたそうですが、薩摩軍参謀の横暴さに限界を感じた仙台・米沢の藩と同盟を結び反抗する側に立ちます。しかし結果は…。

豊烈神社

その後山形藩は反逆の罪に問われることになるのですが、水野元宣は

「山形藩の責任はすべて自分ひとりにある」

とほかの人をかばい、嘆願書を提出して27歳で刑死したのだそうです。案内板には「山形市民の大恩人」と書かれていました。

そんなわけで豊烈神社には、豊烈霊神(水野忠元公) 英烈霊神(水野忠邦公)と共に、水野元宣や明治維新殉難者も御祭神として祀られています。




霞城公園に到着、東大手門 櫓が公開中でした

山形城跡二ノ丸東大手門

豊烈神社参拝後は霞城公園へ。道中に最上義光歴史館があるのですが定休日でした。

山形城跡二ノ丸東大手門

東大手門橋を渡って、山形城 二ノ丸東大手門へ向かいます。

大きな最上義光騎馬像がありました。

霞城公園

ちょっと歩き疲れてるけど、せっかくだし石段を昇ってみる。…すると、「東大手門櫓公開中」との立て看板を発見。無料開放中だったので入ってみました。

霞城公園

思ったより広々してました。

霞城公園

櫓から先ほどの最上義光騎馬像を見る。こうして見ると、広場にポツンと置かれてる感じがしますね。間近で見たら迫力すごいのに…。

霞城公園

霞城公園はこんな感じで簡単に散策して終了。お堀の横を電車が走る姿を見られて満足なので、駅に戻ります。




ここまでの散策で見つけたレトロ建築物

山西ビル

長くなっちゃいましたが、最後に散策で見つけたお気に入り建築物を紹介させてください。まずは、ネオンがレトロでぐっと来た山西ビル。紅の蔵のそばにあるはずなのに、グーグルマップで確認したら見つからず。なくなってしまったのでしょうか?

ふとん屋

蔵造りの建物を活用した寝具屋・のむらやさん(野村屋寝装)。前も書いたけど、こういうの見ると川越の蔵造りの町並みを思い出します。

レトロ建築

文翔館のそばで見つけた本屋さん。訪問した時点で現役引退されてる様子でした。現在は改装されて、とんがりビルという名前で地元の方の憩いのスペースになってるみたいです。

レトロ建築

とんがりビルと同じ並びにあった山形七日町二郵便局。1925年築とのこと。滋賀県で見た旧醒井宿郵便局を彷彿させます。どちらも大正時代にできた建物ですからね。ちなみに鉄筋コンクリート造だそうです。

レトロ建築

同じ並びにあった、まつのや旗店。旗・幕・腕章の専門店というだけでも貴重で、魅力的な店構えです。さらに四方に流れをもつ寄棟屋根と、木で造られた窓枠、そして色が薄くなった看板がいい味出してました。

こけし売る

最後は…。写真を見返したとき、なぜこれを撮ったのかと困惑したのですが(コロッケさんに惹きつけられた!?)、よく見たら「こけし買います」の文字が。おそらくこけしの買取をしているという事実に驚いたんだと思います。

私の地元ではこけし買取は見かけないですね。やはりこけし文化が浸透している山形ならではなのでしょうか?

こんな感じで山形駅散策はおおむね終了です。最後は、今は閉店してしまったご当地百貨店・十字屋を訪ねたときの様子を紹介します。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

鉄道コム
応援クリックしていただけると嬉しいです。