“彗星5号”と貨物列車の交換
田ノ浦の波打ち際が見える岬で下り“彗星5号”とホキ800を連ねた上り貨物列車が行き交う。
“彗星”は昭和43年10月、新大阪~宮崎間に20系でデビュー、“富士”に続いて日豊本線2本めのブルートレインが誕生した。その後着々と増発が行われ、47年3月は20系の大分“彗星”、48年10月は14系で2本(内1本は“あかつき”と併結)、49年4月は24系25形が登場し計5往復までに発展していた。5往復体制は新幹線博多開業の50年3月までで、この改正によって3往復に整理され、2往復は583系電車に変更となりブルートレイン“彗星”は24系25形1往復となる。 3005レ 日豊本線東別府~西大分 S55(1980)/9/21
ED7618〔大〕牽引の24系25形3005レ“彗星5号”大分行
旧仏崎信号場の跡を11輌編成の24系25形“彗星5号”大分行が青い海を見ながら快走する。カニ24の帯だけ白くオハネフ25とオハネ25の列はシルバーの帯が光る。
昭和53年10月改正以降の“彗星”は宮崎編成(1・6号)が583系12連、都城編成(3・4号)
が24系25形12連(付属6連大分落し)、大分編成(5・2号)が24系25形10連の布陣であった。
3005レ 日豊本線東別府~西大分 S55(1980)/9/21
ED7679〔大〕
別府湾からの朝日を浴びるED7679〔大〕は、南宮崎電化開業用として昭和49年5月大分運転所に新製配置された。54年10月現在ED76は門司機関区に13輌、大分運転所に43輌、鹿児島機関区に61輌が配備され、計117輌が活躍していた。54年10月は日豊本線全線電化が完成し、鹿児島機関区のED76 1000番台も日豊本線北部に姿を見せるようになった。 日豊本線西大分 S55(1980)/9/21
博多発大分行5509M“ゆのか9号”
南福岡電車区の457・475系が大分電車区に移動したのは昭和48年10月改正で、基本編成鹿児島、付属編成大分の受持ちで東海道・山陽・九州線の急行運用が行われていた。その後50年3月改正で457・475系は全車大分配置となり、特急運用は南福岡・鹿児島、急行運用は大分と区分けされる。54年12月現在、大分電車区の457・475系電車は136輌が配置され、“かいもん”・“ぎんなん”・“ゆのか”・“日南”・“錦江”に運用されている。基本編成はサハシ455が抜かれて下り向←クハ455+モハ474+クモハ475+サロ455+モハ474+クモハ475の6連に短縮されていた。 5509M 日豊本線東別府~西大分 S55(1980)/9/15
大分発小倉行3514M“ゆのか4号”
朝2本めの“ゆのか”が北上する。後方、扇山を背景に湯煙たなびく別府の街並みが広がっている。 日豊本線東別府~西大分 S56(1981)/12/6
大分発門司港行524レ
昭和54年4月、大分運転所に50系客車が新製配置され、豊肥本線は豊後竹田運用に投入された。日豊本線は門司港運転区の受持ちで門司港~柳ヶ浦・大分・佐伯間で運用が開始された。門モコ車はひと足早く筑豊本線や上山田線へ入り、行橋で分割する田川線運用にも加わって50系客車の勢力は拡大していた。大分発門司港行524レはぴかぴかの新車50系8連でED7665〔大〕が牽いて来た。 日豊本線東別府~西大分 S55(1980)/9/28
懐かしい緩急車
ED7669〔大〕が下り貨物列車を牽いて眼前を通過した。上り線は複線化時代にできた白木トンネルの出口が見え、下り線は海岸線を回る従来線でこの区間は上下線が並んでは離れる線増の過程を見ることができる。程よい長さの編成の最後尾は通風器が3つ並んだ貨物室側が外を向きワフ35000かワフ29500だろうか。ワフの尾灯も昔は大形の円形赤色標識が付いていた。 日豊本線東別府~西大分 S56(1981)/3/8
三角発別府行703D“火の山3号”
キハ5882〔分オイ〕先頭の“火の山3号”は白木トンネルを飛び出して高速で右曲線を進む。編成はキハ58とキロ28だけでキハ65は入っていない。 日豊本線東別府~西大分 S56(1981)/3/8