東関道高速バス散歩(9)~平成24年 新宿・東京スカイツリー-千葉・鎌取・土気線~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
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早暁6時台の新宿駅に着いた時、辺りはまだ薄暗かった。

 

 

ところが、新宿西口高速バスターミナルに足を運ぶと、寝起きの気怠さを吹き飛ばしてしまうような活気に溢れていた。


発券窓口が設けられた待合室には乗車券を購入したり発車を待つ利用者が大勢見受けられ、家電量販店と向かい合う狭い路地に面した乗り場には、山梨や長野方面へ向かう「中央高速バス」が改札を待っている。

広大なロータリーに面した26~28番乗り場でも、伊那・駒ヶ根行きのバスが乗車扱いを始めていて、その後ろには、一晩を駆け抜けて来た高松からの夜行高速バス「ハローブリッジ」号と豊橋・田原からの夜行高速バス「ほの国」号が次々と客と手荷物を降ろしている。

 

そのような光景を眺めているだけで、新宿駅西口の高速バスは今日も元気だぞ、と嬉しくなってしまう。

 

 

平成28年の正月が明けたばかりの週末のことである。

 

ふと、このバスターミナルから何度旅立っただろう、と思った。

富士五湖、甲府、身延、長野、松本、茅野、諏訪・岡谷、伊那・駒ヶ根、飯田、木曽福島、大町・白馬、更埴、高山、下呂、名古屋へと路線網を広げた昼行高速バスや、むつ、宇治・枚方、大阪、奈良、高松、松山、徳島、そして我が国で最長距離となる福岡へと、幾多の夜行高速バスに心を躍らせて乗り込み、また旅の終わりの気怠さを感じながら降り立ったのも、全て新宿西口高速バスターミナルであった。


昭和59年12月に、初めて東京と信州を結ぶ定期高速バス路線として登場した「中央高速バス」飯田線に初乗りした時の高揚感は、今でもありありと思い浮かべることが出来る。

僕の大学の教養部が富士吉田に置かれていたので、入学した昭和60年以来、「中央高速バス」富士五湖線には、それこそ何回乗車したか数え切れない。

僕の故郷である長野市に向かう「中央高速バス」長野線が平成4年に開業し、大好きな高速バスで帰省できるようになった感激に身を震わせたことも、今となれば、こよなく懐かしい。

初めてここを利用した時は学生だった僕も、社会人となり、伴侶も得た。

妻に先立たれた直後に訪れて、むつ行きの夜行高速バスにふらふらと乗り込んだのは、傷心を癒す方策として、ここしか思い浮かばなかったのかもしれない。

 

30年もの間、様々な人生の場面において、ここを起終点とする高速バス路線の殆どを体験できたのは、バスファンとして恵まれていたと心から思う。

おそらく、僕が最も頻繁に利用した高速バスターミナルではないだろうか。

 


新宿駅西口の風物詩を担ってきたとも言えるこの場所を、高速バスが出入りするのも、残すところ3ヶ月となっていた。

この年、平成28年4月に、新宿駅南口に新しい高速バスターミナル「バスタ新宿」が開業することになり、新宿駅の周辺を起終点とする高速バス路線の大半が、乗降場を移転させることになっていた。

 

存在して当たり前と思い込んでいたものが、ある日突然姿を消す。

路線が廃止・削減される訳ではないから発展的な解消であるけれども、人間とは保守的なもので、心中を風が吹き抜けるような寂しさは禁じ得ない。

 

 

その4年前の平成24年8月に、新宿西口高速バスターミナルに興味深い路線が誕生した。

この日は、それに乗るために、わざわざ早起きして出掛けて来たのである。

 

新宿駅から千葉駅へ赴くために、鉄道以外の方法を選ぶ人は、少数派であろう。

中央本線と総武本線を直通する電車が、各駅停車で少しばかりもどかしいけれども、70分程度で結んでいる。

急ぎたければ、乗り換えが必要になるものの、新宿-お茶の水間と錦糸町-千葉間に、それぞれ快速電車も運転されている。

車を使う手もあるが、都心部の首都高速道路も一般道も渋滞が激しく、鉄道より遥かに多くの時間を費やすことになる。


東京都心部から横浜、さいたま、八王子、千葉といった衛星都市への行き来は鉄道の独占市場で、路線バスが参入する余地はないと言うのが、誰もが認める常識であったと言えるだろう。

 

 

ところが、午前7時より少し前に新宿駅西口28番乗り場に横づけされた京王バスの行先表示には、「千葉駅・鎌取駅」と書かれている。

京王バスと千葉中央バスが運行する、新宿駅と千葉市近郊の松ヶ丘、JR外房線の鎌取駅・誉田駅・土気駅を結ぶ高速バス路線の区間便である。


時刻表でこの路線を見つけた時には、鎌取、誉田、土気といった地名がピンと来なくて、地図帳を開いて探したものだった。

いずれも千葉市緑区に含まれる駅で、昭和30年に生浜町、椎名村、誉田村が、昭和44年には土気町が、それぞれ千葉市に編入されている。

都市近郊の住宅地として人口が増加傾向にあり、鎌取駅を中心とするおゆみ野、土気駅を中心とするあすみが丘などにニュータウンが造成されたため、この路線も、東関東自動車道や常磐自動車道沿線に幾つか設定された通勤高速バスなのだな、と頷いた。

ちなみに、開業当初は、JR千葉駅など千葉市内は停車していなかった。

 

 

それより前の平成21年には、タクシー会社から発展した平和交通が「マイタウンライナー」と称して、東京駅と、千葉東金道路大宮ICに近い大宮町バスターミナル、おゆみ野駅、ちはら台駅を結ぶ路線と、東京駅から幕張メッセ、検見川浜駅を結ぶ高速バス路線の運行を開始した。

同じく平成21年から同24年にかけて、新浦安、ユーカリが丘、千城台、高浜方面に向けて開業した京成グループの「マイタウン・ダイレクトバス」と合わせれば、千葉市の近郊と都心を直結する高速バス路線が一気に充実したのである。

 

鉄道でも、平成4年に京成電鉄千葉線の千葉中央駅を起点とする千葉急行電鉄線が松ヶ丘に近い大森台駅まで開通し、平成7年には鎌取駅の南に位置するちはら台駅まで延伸されている。

引き続き、辰巳台や小湊鉄道海士有木駅までの延伸が計画されていたが、バブル崩壊に伴うおゆみ野やちはら台の宅地開発の遅れが影響して利用者数が伸び悩み、平成10年に千葉急行電鉄は破綻、筆頭株主の京成電鉄が経営を引き継いで、京成千原線として生まれ変わったと耳にしていた。

 

 

果たして新登場の通勤高速バスの推移や如何に、という関心はあったものの、積極的に乗りに行こうとは思わなかった。

郊外の住宅団地に向かう高速バス路線は、未訪の街に足跡を印す楽しみはあるけれども、鉄道駅から離れた土地が終点になっていることが多く、帰路の手段を考えると敷居が高い。

朝に東京へ向かう上り便と夕方の下り便に比重が置かれている路線も少なくないので、おいそれとは乗りに行けない。

 

 

新宿-土気線の面白いところは、開業と同じ年の2月に完成したばかりの東京スカイツリーにも停車し、新宿-東京スカイツリータウン、もしくは東京スカイツリータウン-松ヶ丘・鎌取・誉田・土気という区間利用が可能だった点である。

 

ところが、開業当初に1日6往復が設けられていた新宿-土気間高速バスは、翌年に下り5便・上り4便の1日4.5往復に減便されてしまう。

平成27年1月に5往復となったものの、鎌取駅止まりの区間便が2往復設定され、また半数の便が東京スカイツリータウンを通過するようになった。

同時に、全便が千葉駅や県庁前への停車を追加したことで、俄然興味が湧いてきた。

 

 

高速バスが停留所を増やすのは、利用客数が伸び悩んでいる場合が少なくない。

新宿駅を発着する高速バス路線が、千葉駅への停車を追加したのは、鉄道が便利な新宿駅と千葉駅の間を高速バスで移動する客が一定数存在する、と見込んでのことなのか。

例えば、新宿から横浜やさいたま、八王子といった衛星都市に高速バスを走らせようと企画するバス事業者がいるだろうか。

 

そのような理由付けは事業者が考えれば良いことであり、利用客の多寡に関係なく、僕は是非とも乗ってみたくなった。

 

 

僕が新宿駅に出掛けて来た平成28年1月の時点では、新宿駅を午前7時ちょうどに発車する鎌取駅止まり、厳密には鎌取駅近くの千葉中央バス千葉営業所を起終点とする区間便だけが、午前中で唯一の下り便だった。

 

定刻に新宿西口高速バスターミナルを発車した京王バスのハイデッカーに乗っているのは、僅か数人に過ぎない。

それでも、高速バスのゆったりしたリクライニング・シートは、総武・中央線各駅停車の電車の硬いロングシートより遥かに乗り心地が良い。

新宿駅西口ロータリーから高層ビル街にバスを左折させていく中年の運転手さんのハンドルさばきも滑らかで、やっぱりバスの旅はいいな、と嬉しくなる。

 

新宿副都心を横切り、甲州街道と青梅街道を結ぶ公園通りに左折したバスは、道路の中央部に流入路が設けられている首都高速4号新宿線の新宿ランプに入っていく。

まだ眠っているかのようにひっそりとしているビル街を見下ろしながら、高架道路に駆け上がっていくバスの乗り心地は、航空機の離陸のようである。

 

 

料金所をくぐり抜け、左に急カーブを切りながら、右手から伸びてくる本線に合流する車線の長さは、驚くほど短い。

高井戸寄りの本線に急カーブがあって見通しが悪く、後方から迫ってくる車の流れを見据えながら、合流がとても難しい構造になっているのは、僕も自分の運転で何度か経験している。

密集した都市部に新しく道路を建設する難しさを体感するような道路構造で、バスに乗っていても、まるで自分がハンドルを握っているかのような緊張を強いられる。

 

新宿ランプからおよそ600m先には、とても高速道路とは思えないような半径90mの直角を描く参宮橋カーブがあり、その先の代々木PAからの合流車線もまた、極端に短い。

休憩を終えた車が、本線を走行する車との速度差を詰め切れずに、合流車線を塞いで停車している光景を、何度目にしたことだろう。


この付近は他にもきついカーブが多く、最高速度が時速50kmに制限されているのだが、そのような低速を守っている車など皆無である。

東京五輪の直前である昭和39年8月に、首都高速4号新宿線が開通した時点では、このような道路構造で良しとされたのだろうか。

 

 

さすがは高速バスだけあって、首都高速道路では最多の年間200件近い事故が起きる難所を、滑らかに走り抜けていく。

ようやく顔を見せた冬の太陽が、ビルの合間から強烈に車内に射し込んでくる。

今日もいい天気になりそうだった。

 

信濃町の慶應大学病院や赤坂の高層ホテルの脇をすり抜けて、三宅坂JCTで都心環状線外回りに入ったバスは、江戸橋JCTで首都高速6号向島線に分岐し、更に箱崎JCTで首都高速9号深川線に乗り換える。

かつて、都心環状線から向島線を経て深川線に入るためには、左から右へ幾つも車線を跨ぐ必要があった。

東京駅から首都高速湾岸線や東関東自動車道に向かう高速バスに乗ると、参宮橋カーブと同じく、手に汗を握らされる構造だった。

平成10年の改良工事により、向島線下りの左車線から深川線に合流する新しい流入路が完成し、とても走りやすくなったのだが、僕は、こちらへ行くのか、と目を見張った。

 

 

僕が乗っている便は停まらないけれど、新宿-土気間高速バスは東京スカイツリータウンを経由するために、両国JCTで分岐する首都高速7号小松川線と京葉道路を使うのだろう、と思い込んでいた。

ところが、この東京スカイツリータウン通過便は、首都高速湾岸線に針路を定めたのである。

隅田川を渡る時に、街並みの彼方に東京スカイツリーがかすかに見えたが、その離れ加減が、紛れもなくこの便が東京スカイツリーを経由しないことを如実に示している。

 

東京から千葉方面に向かうには、小松川線・京葉道路経由と、湾岸線・東関道経由の、どちらが早く着けるのだろう、との疑問を長年抱いていたけれど、新宿-土気間高速バスの経路が解答を提示してくれたようである。

もちろん、時間帯によって交通量や渋滞の度合いに差が生じるのだろうが、東京スカイツリータウンを通過する便が湾岸線を経由しているのは、それだけ所要時間が短い証拠に相違ない、と独り合点した。

 

 

ちなみに、新宿駅と千葉駅の間の距離を地図アプリで検索すると、小松川線-京葉道路経由でも、湾岸線-東関道経由でも、意外なことに、51kmと同じ数字が表示される。

新宿駅西口から鎌取駅まで高速バスの所要時間は、東京スカイツリータウン通過便が1時間42分、停車する便も1時間42分と、全く差がない。


ややこしい話であるが、東京スカイツリータウンに停車するためには、いったん高速道路を降りて少なからず時間を費やすはずだから、直行する場合は、小松川線と京葉道路を使う方が、湾岸線と東関道を経由するよりも所要時間が短くなるのではないか。

ならば、東京スカイツリータウン通過便も小松川線に進めば良いのに、現実のバスは、深川線から湾岸線に向けて、勇ましく下町の高架道路を走り込んでいる。

どうも分からない。

 

何処を走ろうが、千葉や鎌取や土気にきちんと着くならば関係ない、と考えるのが、正常な乗客の思考であろう。

京成グループが参入する高速バスは、道路情報を無線でやり取りして渋滞を回避している、と小耳に挟んだことがあるから、この日は小松川線や京葉道路が混雑していて、湾岸線に迂回したのかも知れない。

 

 

辰巳JCTの流入路から首都高速湾岸線に駆け下りていくと、バスは小気味よいほどに速度を増していく。

車窓に映る景観も伸びやかで、湾岸線を使ってくれたことに感謝したくなる。

 

高谷JCTでそのまま東関道に進んだバスは、千葉市街の北で東京湾から離れて左にカーブし、宮野木JCTの手前で減速して、京葉道路に乗り換える。

道路の両側に土手や防音壁が圧迫するようにそそり立ち、車窓が途端に目まぐるしくなって、車の密度が増える。

バスは穴川ICで京葉道路を抜け出し、国道126号線で千葉市の中心部に向かう。


穴川IC出口の交差点には、けばけばしい看板が乱立し、このような節操のない景観は地方のインターに多いよな、と苦笑させられるものの、何となく懐かしさを覚える。

昭和に舞い戻ったような、または遠い地方まで来たかのような気分になったが、程なく、整然としたビル街が車窓を占めるようになる。

 

 

JR千葉駅前のバス乗り場に着いたのは、ほぼ定刻の8時15分だった。

総武中央線各駅停車と大して差がないではないか、とバスの健闘ぶりに拍手したくなるけれども、席を立つ客は1人もいなかった。

 

バスでJR千葉駅に乗り着けたのは、初めてだった。

千葉を発着する幾つかの高速バスに乗車した経験はあるけれども、何れも千葉中央駅を起終点としていたので、なかなか新鮮である。

京成電鉄線の高架下に設けられた千葉中央駅の乗降場よりも敷地が広く、遥かに開放的な雰囲気で、行き交う人々や出入りする路線バスの姿も多い。

 

 

ふと、20年前にこの路線が登場していたらな、と思う。

大学時代に、部活の交流試合のために、年に何回か千葉を訪れたことがあった。

品川区にある大学から品川駅に出て、総武線快速電車を使うのが常であったが、車内はいつも混雑していて座ることが出来ず、重い荷物を抱えながら立ちん坊で過ごしたものだった。

試合が終わると誰もが疲れ果ててしまい、比較的空いている中央・総武線各駅停車のロングシートにもたれて、大鼾を掻きながら帰宅したものだった。

あの頃に新宿-土気間高速バスが運行されていたら、必ず利用したことだろう。

 

懐かしい思い出に浸りながら、新宿から千葉まで高速バスで行ってみることが今回の旅の命題の1つであり、千葉駅で降りてみようかな、という誘惑が胸中を横切る。

何処かに当てがある訳でもないから、千葉駅の周辺で朝食でも摂りながら、休日の朝をゆっくりと過ごすのも悪くない。


それでも未知の土地への関心が上回って、僕は持ち上げかけた腰を下ろし、運転手さんも素っ気なくバスを発車させた。

 

 

下総台地の西南の端にあたる丘陵地帯に分け入っていく県道20号線・大網街道は、往復2車線の狭隘さであるにも関わらず、車が数珠繋ぎになって、極端に速度が落ちてしまう。

松ヶ丘IC付近で京葉道路をくぐるあたりから、沿道に並ぶ家々の合間に常緑樹の木立ちが目立つようになり、起伏の激しい土地であることも手伝って、政令指定都市の近郊とは思えないほど車窓が鄙びて来る。

まるで、他の東関道経由の高速バスのように、房総や九十九里に近づいているかのような錯覚に陥ってしまう。

 

高速バスに乗っていると、市街地のすぐ辺縁に自然豊かな土地が多いことが、横浜市やさいたま市には真似できない千葉市の魅力ではないか、と思う。

 

 

首都圏における東京都と神奈川県に次ぐ第3の地位を、千葉県と埼玉県が争っているという話題をよく耳にする。

 

主として、どちらが都会か、という観点なのだが、千葉には新東京国際空港や東京ディズニーランド、幕張メッセがある、いやいや埼玉にもさいたまスーパーアリーナがあるし、そもそも千葉にあるランドマークは全て東京の名を借りているだけではないか、などという通俗的な主張に留まらず、様々な調査の数値やアンケート結果に基づく論調も見受けられる。

例えば、47都道府県の出生数、事件・事故件数、労働時間などを点数化した幸福度ランキングでは千葉県が23位・埼玉県が30位であり、「今の生活に満足していますか」という質問に対する回答を5段階で選ぶ生活満足度ランキングでは千葉県が1位・埼玉県が3位、都道府県魅力度ランキングでは千葉県18位・埼玉県41位、地元愛ランキングは千葉県41位・埼玉県47位、地域別最低賃金は埼玉県926円・千葉県923円等々、様々な指標で比較している。

中には、女性のファーストキスの年齢は埼玉県の方が千葉県よりも早い、などと都会度とどのような因果関係があるのか判然としない統計もある。

ファーストキスが早いのと遅いのは、どちらが都会なのだろうと考えるのは、なかなか楽しい。

 

千葉県と埼玉県のどちらが都会と思うかを全国の人々に質問した直接的なアンケートもあり、千葉と答えた人が73.1%・埼玉と回答した人が26.9%であったという。

千葉県民による回答に絞ると、自県と答えた人が73.3%・埼玉と答えた人が26.7%で他の都道府県の比率とほぼ同じであるのに対し、埼玉県民の回答でも、千葉と答えた人が72.9%にものぼり、自県と答えた人が27.1%に留まるという、頑張れ埼玉県民、と励ましたくなるような結果になっている。

 

ちなみに、東京から運行されている高速バスの路線数では、千葉県が圧倒的に多い。

高速バスが多い県が都会なのか田舎なのか、などという議論をするつもりはないが、埼玉県内へ向かう高速バスは、東京駅と三郷・吉川・松伏を結ぶ路線が開業したものの利用客数が振るわず、今では深夜便だけになってしまい、あとは県内各地と羽田空港を行き来するリムジンバスばかりである。

 

 

鉄道ファンで知られる歴史学者の原武史氏は、「鉄道ひとつばなし」において興味深い考察を行っている。

 

『東京駅を中心に、地図の東西と南北に座標軸を引いてみると、首都圏に4つの象限が浮かび上がる。

このうち、鉄道の発達度が最も著しいのは、西側に当たる第2象限と第3象限である。

池袋、新宿、渋谷など、山手線の主要駅から郊外に向かって、JRや私鉄、地下鉄の線路が毛細血管のように延びており、都心に出るときは鉄道を使うという常識が、ほぼ確立している。

これに対して、東側に当たる第1象限と第4象限では、第2象限や第3象限ほど鉄道が発達していない。

ゆえに鉄道を補完する役割を果たしているのがバスで、東京駅八重洲口がターミナルとなっている。

その行き先は、東京湾と丘陵地の房総半島に占められ、半島の内陸部に町があまりない第4象限よりも、関東平野の開けた第1象限の方が、はるかに多い。

つまり、東京駅から見て北東の地域は、鉄道という交通手段が、必ずしも常識と化してはいないのである。

具体的に言えば、茨城県のつくば、鹿嶋、江戸崎、水海道、岩井、千葉県の流山(江戸川台)、埼玉県の松伏などに行くバスが、八重洲口から発車する。

この中には、鹿嶋や水海道、流山のように、鉄道の通じている地域もある。

だが、東京に直行する電車がなかったり、あっても乗り換えが面倒な上、運賃も高く不便なことから、バスが重宝されている。

例えば、鹿島神宮駅ゆきのバスは、10~40分ごとに発車し、1時間50分から2時間で結ぶ。

運賃は1780円である。

一方の鉄道は、東京駅からの直通電車が1日5本しかなく、時間はバスより余計にかかる上、運賃も110円(特急の自由席を使えば1010円)高くなる。

鉄道の通じている地域ですらこの有様だから、鉄道のない市や町では、バスは一層不可欠な交通手段となっている。

その最たる例が、筑波研究学園都市の中心である、つくばセンターゆきのバスだろう。

10~20分ごとに発車するほか、混雑の状況に応じて随時増便されるため積み残しはまずないが、どのバスもほぼ満席である。

時刻表を見ると、所要時間は下りが1時間5分、上りが1時間30分から50分となっている。

ところが、このバスは渋滞の激しい常磐自動車道を経由するため、実際の所要時間にはもっとばらつきが見られる。

平日の朝夕の上りは2時間以上かかるのは珍しくなく、逆に平日の昼間や土日は1時間を切ることもある。

乗り慣れている人は、いちいち時刻表など見てはいない。

こうした文化は、第2象限や第3象限に住む人々からすれば、不便以外の何物でもないだろう。

何時に着くか分からないバスにいったん乗ってしまえば、もう降りることはできず、運悪く渋滞に巻き込まれれば、ひたすら我慢するしかないからだ。

だが見方を変えれば、こんな楽な交通手段はないとも言える。

定員制なので、必ず座れる。

ラッシュとは一切無縁である。

しかも、補助席でもない限り、リクライニングだから安眠にも都合がいい。

たとえ2時間かかっても、車内での時間を有効に使えるのである。

座れるのが当然と思っている第1象限の人々にとっては、逆に毎朝すし詰めの電車でずっと立ったままでいる方が、耐え難い苦痛に感じるのではなかろうか』

 

 

『しかしながら、バスが交通手段の主役を占めていた第1象限の地域にも、鉄道の建設が進められている。

秋葉原とつくばを結ぶ「つくばエクスプレス」と称する第3セクターの鉄道がそれで、2005年の秋に開業の予定だという。

開業すれば、秋葉原-つくば間は現在よりも早い45分で結ばれる。

結構なことではないか、と第2、第3象限に住む人々ならば思うだろう。

だが、第1象限の人々自身は、果たしてそう思うだろうか。

リクライニングに慣れた腰に、通勤車両の座り心地は決して良くはあるまい。

途中駅がたくさんある分、つくばまで行く人が座れる確率も減るだろう。

北総開発鉄道のように、運賃が割高になることだって十分に予想される。

そう考えると、成田空港(ここも第1象限!)のように、鉄道が開通してもバスが残る可能性はかなり高い。

その場合、鉄道とバスのどちらが地域住民の足として定着するかが注目されよう』

 

つくばエクスプレスも東京湾アクアラインも開通していない平成8年から同15年までに連載されたエッセイの一節である。

取り上げている対象は東京から通勤圏内の路線と思われ、大雑把に言えば、第1象限は茨城県、第2象限は埼玉県、第3象限は神奈川県、第4象限は千葉県ということであろう。

 

その後、つくばエクスプレスの開業により常磐道の高速バスが大幅に廃止・削減され、東京湾アクアラインの開通で第4象限の房総半島に高速バス路線が急増したという変遷が見られたものの、現在でも充分に通じる話である。

 

 

第1象限と第4象限、つまり高速バスが多い地域が都会なのか田舎なのか、などと論じるつもりはない。

僕が高速バスで訪れる機会も、当然の帰結ながら千葉県の頻度が高くなるのだが、こうしてバスで旅をしていると、千葉県の魅力とは都会度だけですか、という疑問を呈したくなる。

京葉工業地帯をはじめとする工業製品の出荷額は全国で第4位、貿易額が日本一である成田空港や、日本三大貿易港の1つである千葉港を抱える一方で、酪農発祥の地である嶺岡牧や日本三大漁港の銚子漁港など、近郊農業や漁業が発達し、農業産出額は全国第3位、漁業総生産量は第5位である。

千葉県は我が国の食をを支える有数の農業県であり、漁業県なのだ。

 

何よりも、房総や下総台地、北部の水郷地帯といった美しい自然を抱く千葉県内の車窓は、僕の旅を豊かにしたと思っている。

東京-土気間高速バスのような比較的短距離の路線であっても、千葉を旅するのは楽しい。

 

 

松ヶ丘停留所で僕を除く全ての客が降りてしまい、鎌取駅前まで乗り通したのは僕だけであった。

バスは、すぐさま終点の千葉営業所に向けて姿を消し、僕はあっけらかんとした駅前広場に取り残された。


JR外房線の電車で2駅先の土気駅に向かい、駅前のハンバーガー屋で朝食をしたためた僕は、10時ちょうどに発車する東京スカイツリータウン経由新宿行きの高速バスで折り返した。

 

 

土気、とは気になる地名であるが、その由来は、大網からの長い峠から「とけ」となったという説や、周辺には南関東ガス田が存在することで、古来、天然ガスが湧く土地を意味する「土気」と呼ばれるようになったという説がある。

 

南関東ガス田とは、千葉県を中心とする南関東一帯に分布する、鉱床面積4300平方キロ、埋蔵量7360億立方メートルという東日本最大の水溶性天然ガス田で、地下水に溶解しているメタンガスが地表で圧力から解放されて気体になるという。

主成分は都市ガスと同じで、太平洋戦争中には、南関東ガス田から採掘したメタンガスからガソリンや航空燃料を生成していたという。

江戸川区や江東区を中心とする都内の東京ガス田でも採掘されていたが、大規模な地盤沈下の主要原因としてガス採掘目的の地下水の汲み上げが挙げられたため、東京都は、昭和47年に地下水の揚水を全面的に停止している。


我が国にこのような天然資源があったのか、と驚いてしまうのだが、これまでも茂原市や九十九里町、大多喜町で南関東ガス田が原因と思われる爆発事故が起き、やっかいなのは、地下開発に伴う事故が近年増加していることであろう。

特に、都内で盛んになった温泉の大深度掘削により天然ガスが噴出する事故が多発し、平成19年6月19日に渋谷区の松濤温泉シエスパで3人の死者を出した爆発事故も、汲み上げた温泉に含まれていたメタンガスが建物内に滞留したことが原因とされている。

 

 

土気駅の標高は100m近くあり、外房線で最も高い位置にあるそうだから、まさに峠の名に相応しい。

土気駅の東隣りは大網駅で、九十九里浜の近くまで来ているのだな、と思うが、周辺はすっかり住宅地と化し、ステンドグラスを張った丸屋根の駅舎も洒落た外観である。

 

もう少し山がちな車窓になるのだろうと予想していた大網街道も、様々な店舗が軒を連ねた平坦な街並みが続く。

外房線も国道126号線も、土気から誉田を経て鎌取まで、関東ローム層に覆われた下総台地と、海洋底に堆積物が積み重なることで形成された房総台地との境目を成す平地に造られていて、すっかり開けてしまっている。

 

 

始発の土気駅から数人の客が乗り込み、途中停留所でも少しずつ利用者が増えていく。

それでも合計して10名にも満たないけれど、これから新宿や東京スカイツリーに遊びに行くのだろうな、と思わせる若い男女ばかりである。

 

平成元年に発売された爆風スランプのデビューシングル「週刊東京少女A」を思い出した。

 

コケコッコが鳴いたら あたし家を飛び出すの

田んぼとんぼ飛び越せ 胸が踊る日曜日

週刊東京「少女A」

オリーブキメて

黄色い電車で週に1度の上京

行くぜ!

なんだ坂こんだ坂表参道

あたしの靴には泥がついているの

拭くぜ!

 

ナンパなんかされたら 無口なふりを装うの

ハイとイイエできめて 訛りだけは気をつけて

週刊東京「少女A」

とんでもないわ 教えられないわ

10ケタもあるテレフォンナンバー

なんだ坂こんだ坂表参道

ほっぺた火を吹く市外局番よ

 

なんだ坂こんだ坂表参道

東京東京

東京タワー

東京東京

空はないけど 東京名物雷おこしはうまい!

 

「黄色い電車」、つまり中央総武線各駅停車で上京するのだから、この少女は千葉県在住ではないかと推察される。

一見、かなりの地方蔑視と東京讃歌に溢れているように聞こえるこの曲を初めて聴いた時、僕は、陽気で前向きで、地方に根ざした生活感に溢れているこの少女を、逞しいと感じた。

一方で、「空はないけど」「雷おこしはうまい」ことに象徴されている東京が、何と軽薄に感じられることか。

 

表参道は若い女性にとって定番であるだろうが、東京タワーに行ってしまうのは、何とも微笑ましい。

現在ならば東京スカイツリーになるのかもしれず、少女Aは新宿-土気間高速バスを利用すれば良い。

東京駅へ直通する総武線快速電車は、東京スカイツリー最寄りの錦糸町駅に停車するけれども表参道に近い新宿駅には行かない。

中央総武線各駅停車は、錦糸町駅と新宿駅に停車するとは言え、東京スカイツリーに直接横づけされる訳ではないので、新宿-土気間高速バスを企画した事業者の目の付け所は悪くないと思う。

黄色い電車よりも高速バスの方が、若い女性に人気が出るかもしれない。

 

九州では、福岡と宮崎を結ぶ高速バス「フェニックス」号に乗って福岡に遊びに行く若い女性たちのことを「フェニックス族」と呼び、東北では、仙台と鶴岡・酒田を結ぶ高速バス「夕陽」号で仙台に遊びに行く女性たちをマスコミは「ショウナイガールズ」と名付けた。

高速バスは、利便性と経済性で若い世代の行動範囲を大きく広げ、新しい文化を創り上げて来たのである。

東京-土気間高速バスも、「チバ族」を産み出す可能性を秘めている、と思った。

 

 

何台ものバスがずらりと駐車している千葉中央バス千葉営業所を過ぎ、鎌取駅から先は再び丘陵地帯の中に分け入って行く。

往路の折り返しだから、紐解いた巻物を巻き直しているような車窓である。

 

松ヶ丘停留所で幾許かの乗客が加わったものの、JR千葉駅での利用客は皆無だった。

忙しく駅前を行き来する人々をぼんやり眺めながら、この中には新宿方面へ向かう客もいるに違いないと思う。

けれども、新宿行きの高速バスが存在するとは、大半の人々には想像もつかないことであろうから、誰もバス乗り場を見向きもしない。

運転手さんが外に出て、新宿に行かれるお客様はいらっしゃいませんか、と大声で客引きをしてもいいのではないか、と空想したりする。

 

 

穴川ICから京葉道路に入ったバスは、宮野木JCTで東関道への分岐を見向きもせずに直進する。

東京スカイツリータウン経由便は、予想通り、京葉道路と首都高速7号小松島線を使うのである。

 

僕が、同じ高速バス路線で往復することは滅多にない。

あまりにも月並みで、どうせならば違う路線を経験してみたい、と考えるためであるが、往路は首都高速湾岸線と東関道経由、復路は京葉道路と首都高速7号小松島線経由ならば、別個の路線と考えても良いくらいだろう。

 

 

宮野木JCT以西の京葉道路と首都高速7号小松島線を走る高速バスに乗車するのは初めてだった。

どのような案配なのか、と身を乗り出したが、防音壁が延々と続いて見晴らしが利かず、時に、隙間から街並みが少しばかり覗いても、変わり映えのしない大小の建物がひしめいているばかりであった。

道路標識に示された武石、幕張、花輪、船橋、原木、市川、篠崎といった地名だけが、僕の現在位置を教えてくれる。

 

 

篠崎ICで国道14号線に降りる流出路を分岐すると、道幅や路肩が急に狭くなったように感じられた。

首都高速7号小松川線に入ったのか、と錯覚してしまうけれども、正式な境界は、篠崎ICより2.3km先にある新中川に掛けられた一之江橋の西の袂である。

中川と荒川を続けて渡りながら、2つの川を隔てる堤の上に設けられた首都高速中央環状線をくぐり抜ける、長さ160mの荒川大橋は、広く眺望が開ける数少ない箇所だった。

バスは、一層稠密さを増す東京の下町に足を踏み入れていく。

 

よくぞ、このような密集地帯に高速道路を建設したものだと感心するが、江戸時代に荒川と隅田川を結んで掘削された堅川の上に造られたのである。

 

 

周囲の景観に比例するように、目に見えて車の密度が高くなり、そろそろ流れが滞るのではないか、と感じられた錦糸町ランプで、バスは高速を降りた。

首都高速と直角に交わっている四つ目通りを北に向かい、高架駅になっている錦糸町駅を過ぎ、雑居ビルが建ち並ぶ混雑した街路を進むうちに、京成本線と地下鉄浅草線が合流する押上駅前と書かれた標識が現れる。

首が痛くなるほどに見上げれば、並み居るビルの上に東京スカイツリーが顔を覗かせていた。

真っ青に晴れ渡った空に伸びている白亜の塔が眩しい。

 

 

せっかく高速道路を降りて立ち寄った東京スカイツリータウン停留所であるが、席を立つ客はなく、また、ここから新宿へ向かう客もいなかった。

 

無理もないかな、と思う。

高さ634m、我が国で最も高い建造物である東京スカイツリーの人気は衰えを知らず、東京駅、上野駅、新橋駅、浅草駅、新小岩駅、平井駅、南千住駅、亀戸駅、門前仲町駅、両国駅、錦糸町駅、押上駅、鐘ヶ淵駅などを行き来する路線バスのみならず、羽田空港、TDR・葛西駅、東京テレポート駅、和光・朝霞台・志木・新座方面を結ぶ直通バス「スカイツリーシャトル」、そして京都・奈良方面の夜行高速バスが停車するようになった。

しかし、休日ともなれば、展望台に昇るためのエレベーター待ちで長時間並ばなければならない。

 

東京スカイツリーを行程に含むバスツアーならば、並ぶことなく優先的にエレベーターに乗せて貰える。

東京スカイツリーが完成した直後に、僕は、はとバスを利用したことがある。

ツアーに組み込まれたディナーを終えてからの日没後であったが、長蛇の列を横目に見ながらツアー客専用の通路をさっさと進み、展望台から360度の夜景を楽しむことが出来た。

 

 

新宿-土気間高速バスは、そのあたりを見誤ったのではないか、と心配になる。

案の定、この旅と同じ年の10月に、新宿-土気系統が2往復、鎌取止まりの系統が1往復に減便された。

この時は深夜便を除いて東京スカイツリーには2往復が停車していたものの、平成31年2月に東京スカイツリータウン停留所を廃止し、大網駅まで延伸された深夜便1往復だけとなってしまう。

 

その2ヶ月後の平成31年4月には、路線そのものが廃止となったのである。

 

 

この路線の歩みを時刻表で追ってみれば、事業者が存続のために、他の路線には見られないような革新的とも言える改正を加えてきた足跡が窺えるだけに、残念な結果であった。

千葉市内停留所の追加も大胆な施策であったが、高速バスが減便を重ねて深夜便だけになってしまうと言う結末は、僕が知る限り、東京-三郷・吉川・松伏間高速バスに類例を見るだけである。

いつかは、新宿と千葉の行き来に使ってみたいものだ、と目論んでいた僕は、その報を耳にして大いに落胆した。

 

東京と衛星都市を高速バスで移動する需要を開拓し切れず、「チバ族」を産み出すこともなく、事業者の挑戦は潰えてしまったのである。

 

 

そのような数年先の運命など知るはずもなく、バスは東京スカイツリーの手前で浅草通りに左折する。

何処かでぐるっと回って錦糸町ランプに戻るのだろうと思い込んでいた僕は、一向にその気配を見せず入り組んだ下町を進むばかりのバスに、いったい新宿に向かうつもりがあるのか、と不安を覚えたが、バスは駒形ランプから首都高速6号向島線の高架に駆け上がった。

 

隅田川越しに見下ろす浅草近辺の景観は、常磐道に向かう高速バスから何度となく目にしたものだったが、新宿-土気間高速バスで眺められるとは思わなかった。

このバスは、千葉方面だけでなく、都内の都市景観も存分に楽しめる貴重な路線だったのである。

 

 

首都高速7号小松川線と合流する両国JCT、9号深川線と合流する箱崎JCT、そして都心環状線に入り込む江戸橋JCTまでの区間は名にし負う渋滞多発区間で、バスの速度も極端に落ちてしまう。


都心環状線内回りで皇居の北側を回り込む頃には、相変わらず車の波に揉まれるような混み具合でありながらも、流れが幾分スムーズになった。

三宅坂トンネル内で首都高速4号新宿線に乗り換え、次々と現れる急曲線を巧みに走り抜けたバスは、新宿の街並みを正面に見据えながら、航空機の着陸のように新宿ランプを公園通りに降りていく。

 

 

バスが新宿駅西口のロータリーに着いたのは、定刻の12時を30分も過ぎていた。

 

「遅れまして御迷惑様でした」

 

と頭を下げる若い運転手さんに、

 

「いえいえ、のんびりとさせていただきました」

 

と礼を言ってバスを降りると、新宿駅は早朝とは全く異なる賑やかな表情を見せていた。

呆気なく旅が終わってしまった虚脱感に包まれて、僕はその場に立ち尽くした。

思い出が詰まったバスターミナルを発って5時間半、土気まで往復して来た記憶が夢か幻のように凝縮されて、ずっとこの場に佇んでいたかのような錯覚に陥ったのである。


新宿西口高速バスターミナルを利用したのは、この日が最後だった。

 

 

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