高木文平 「『三二庵閑話』を読む」(9)が掲載されました! | レールは、こころをつなぐ道。

琵琶湖疏水の建設を計画した北垣国通京都府知事

その琵琶湖疏水を設計し日本初の水力発電所を蹴上に設置した田辺朔郎土木技師

田辺技師と共に訪米視察をして京都に日本最初の電気鉄道事業を起こし路面電車を走らせた高木文平

 

明治の田舎侍と呼ばれ、豪放磊落な高木文平は「名を残す必要は無い!」と自叙伝を好まなかったようで、唯一、本人が口述したものを活字にしたものが明治35(1902)年の出版の『三二庵閑話(さんにあんかんわ)』で、ここに文平の思いが綴られています。

高木文平(たかぎぶんぺい)⇒ Wikipedia


その原文は漢字とカタカナで綴られていて読みにくいため、伏見チンチン電車の会では読み易くしたものを連載しています。↓

 

その(9)が掲載されましたのでお知らせします。

今回は、第二代京都府知事(1875~1881年)に就任した槇村正直の命により監察の職にあった高木文平が兼務した良木栽培掛にかかわる事となった頃の話です。

 

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第二代京都府知事槇村正直が行った主な京都近代化政策には前記事の女紅場(にょこうば)の創建を始め、明治2(1869)年小学校の開設・明治3(1870)年舎蜜局(せいみきょく)の創建、明治4(1871)年京都博覧会の開催、明治5(1872)年都をどりの創設・新京極の造営など多数ある。

 

・全国初の学区制による町組ごとに64校の番組小学校を創立。

 

・京都の産業を振興するため、大阪市の舎蜜局とは独立して、京都に舎蜜局(理化学工業研究所)を勧業場の中に仮設立し、外国人学者を招き、島津源蔵らの人材を育て京都の近代産業の発達に大きく貢献した。

・京都博覧会は日本で最初で、三井八郎衛門や小野善助、熊谷直孝ら京都の有力商人により主催され、西本願寺を会場に1カ月間開催された。

・都をどりは京都博覧会の余興として開催され、座敷舞だったものを舞台で舞うようになった。

・寺町通の寺院の境内を整理し、門前の寺地を接収して寺町通のすぐ東側に新しく1本の道路「新京極」を作った。