その13(№5497.)から続く

しばらく更新を停止しており、大変失礼いたしました。前の記事のタイトルがいささかショッキングだったこともありますが、管理人は断じて、病気でもなければ、生命にかかわる大怪我を負っているわけでもありませんので、どうぞご安心を。ただ「更新のエネルギーが残っていない」ということです。

では本題。
今回は、特急運用を追われ始めた185系の、臨時列車運用を見ていきたいと思います。
平成25(2013)年から、185系の廃車が開始され、同時に、同系の波動用への転用が開始されます。しかし、特急に充当される事例は少なくなり、代わりに料金不要の快速に充当される事例が多くなっています。
なお、特急「はまかいじ」は以前に取り上げましたので、今回は特急以外の列車を見ていくことにいたします。全てを網羅しきれないことはご容赦ください。

【ムーンライトながら】
185系の臨時快速運用で、最も名高いのがこれでしょう。
「ムーンライトながら」といえば、かつての「大垣夜行」375M・372M、さらに遡れば143・144列車を源流に持つ、東海道筋では歴史の古い長距離普通列車で、平成8(1996)年に373系に置き換えられて全席指定となりました(ただし一部車両に例外あり)。「ムーンライトながら」は、373系置き換えに伴ってつけられた列車名ですが、当初は同列車が全席指定になったことから、お盆や年末年始、GWなどを中心に全車自由席の「救済臨」が運転されるほどでした。
その後、夜行需要の減少から、平成19(2007)年に臨時列車化されました。臨時列車化と同時に、使用車両が373系から、当時波動用に転用されていた183・189系に置き換えられています。
しかし、その183・189系も老朽化が顕著になってきたことから、JR東日本は183・189系の淘汰を決断、平成25(2013)年の年末運転分から、185系が投入されることになりました。
これにより、185系は名古屋を越えて大垣まで達することになり、臨時列車ではあるものの、同系の西限が大幅にずれました(以前は三島が西限だった)。
「ムーンライトながら」には、グリーン車を組み込まない6連と4連を併結した10連が用意され、お盆・年末年始・GWなどの多客期に運転されました。
管理人は「ムーンライトながら」には乗ったことがなく、この列車の前身の165系「大垣夜行」に何度か乗ったことがあるだけですが、いくらフリーストップ式リクライニングシートに取り換えられていたとはいえ、窓が開閉式のままで静粛性に欠ける185系は、夜行列車としての居住性はどうだったのでしょうか。固定窓で静粛性に優れた183・189系の方が、快適性は高かったのではないかと思うのですが。
その「ムーンライトながら」の運用も、今年になって、廃止がJR東日本・東海の両社からアナウンスされました。そのアナウンスの中にあった廃止の理由に「お客様の行動様式の変化」が挙げられていたことには、管理人は仰天しましたが、同時に仕方ないと思ったのも事実です。ただ残念だったのは、「コロナ禍」の関係で昨年の春に運転されたきりになってしまったこと。それでも、臨時列車に過ぎない「ムーンライトながら」について、廃止のアナウンスをJR東日本・東海の両社が行ったのは、やはりかつての143・144列車から続く歴史・伝統に対し、敬意を表されたということではないかと思います。

【ホリデー快速鎌倉】
この列車は「ムーンライトながら」に先んじて、同じ平成25年、3月のダイヤ改正から185系が充当されるようになりました。
「ホリデー快速鎌倉」の面白いところは、通常は旅客列車が全く走らない、武蔵野線の鶴見-府中本町間(通称「武蔵野南線」)を経由すること。これは別に「乗り鉄」といわれる乗車派の愛好家の意欲を掻き立てるためではなく、関東北部から鎌倉方面への臨時列車を設定するルートとしては、武蔵野線が一番使いやすかったという理由に過ぎないと思われます。「ホリデー快速鎌倉」の運転開始は、今から30年以上前の平成2(1990)年ですから、この当時、湘南新宿ラインは勿論、上野東京ラインなど影も形もありません。
このころは、武蔵野線が常磐線・東北本線・中央本線などと線路がつながっていることを生かして、様々な臨時列車が運転された時期でもあります。国鉄からJRへの改組後それほど時間が経っておらず、新しい試みもしやすかったのでしょう。

「ホリデー快速鎌倉」は、運転区間・使用車両とも複雑な変遷を経ています。
まず運転区間ですが、大宮-鎌倉間の時代が長く続いたものの、湘南新宿ラインの開業の影響もあるのか、平成23(2011)年から、それまでの大宮発着が南越谷発着に改められ、これが現在まで続いています。そして使用車両は目まぐるしく変わりましたが、平成25(2013)年3月から、それまでの115系に代わり185系が投入されています。
しかし185系による「ホリデー快速鎌倉」の運転も長くは続かず、投入から5年後の平成30(2018)年、房総特急の減便でだぶついたE257系(500番代)が充当されるようになり、185系は「ホリデー快速鎌倉」には充当されなくなりました。
E257系置き換えと同時に「ホリデー快速鎌倉」は全席指定に改められ、乗車券のみでは乗れなくなっています。そういう意味では、武蔵野南線の乗りつぶしの難易度が若干上がったような感もなくはなく。

【成田臨】
毎年1月に、成田山新勝寺への初詣客を対象にした団体臨時列車が各地から走りますが、これを鉄道趣味界では「成田臨」と呼び、「撮り鉄」各位のよき被写体となっています。国鉄時代は12系・14系などの客車、あるいは各地のジョイフルトレインなどが充当されていましたが、最近は電車が主流になりました。
そんな「成田臨」にも、平成26(2014)年ころから185系が充当されるようになり、あの「踊り子」カラーである、白地に緑のストライプ塗装が見られるようになりました。
「成田臨」は多くが、成田線の我孫子-成田間(通称我孫子支線)を経由するのですが、この区間は全線にわたって単線であり、よって架線柱が片方にしかないため、電化区間であっても架線柱に干渉されない、美しい編成写真が撮影できるとして、沿線の撮影スポットは人気を集めています。
「成田臨」に185系が充当されるのも、来年の正月が最後となります(JR東日本が、『踊り子』運用終了後も団体臨時列車用として残すが、それは来年までということを公式にアナウンスしているため)。

【修学旅行臨など】
東京地区の小学生の修学旅行先は日光だそうですが、その日光へ向かう修学旅行用団体臨時列車として、185系が活用されています。このような列車も、以前であれば183・189系、さらにその前は165・169系が担当していたものですが、やはり185系にお鉢が回ってきました。
こちらも来年までには、185系の充当がなくなることが決定されています。

ということで、今後は団体臨時列車といえども、185系の活躍の場がなくなっていくことになります。前述したとおり、JR東日本は185系について、来年までの退役を公式にアナウンスしており、残存するのはあと1年だからです。コロナ禍による旅行需要の激減などの要因から、ことによると完全退役はもっと早まるかもしれません。

次回は最終回。
185系がもたらしたものとは何だったのか、その功罪を冷徹に検証してみたいと思います。

その15(№5507.)に続く