NO.2473 大きな被害を受けています、肥薩線寸断区間探訪記(最終回、一勝地駅~人吉駅探訪編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 NO.2470からご紹介してまいりました、肥薩線寸断区間探訪記の話題も今回が最終回であります。

 

 今回は、人吉在住の同僚と同行しまして、同僚の車で移動しましてこの探訪を行っておりましたが、前回その3のNO.2472では球磨川第一橋梁から一勝地駅までの区間をご紹介しておりました。

 

 当ブログでもこれまでもご紹介しておりますように、「令和2年7月豪雨」によりまして、八代~人吉~吉松~隼人間を結びます肥薩線は、このうちの八代~人吉~吉松間で大きな被害を受けております。

 

 そして上の画像2のように球泉洞駅、そして以下画像の瀬戸石駅もホームや周辺の建物までも流失しておりまして、沿線を流れます球磨川が「暴れ川」と化した事もありまして、結果流域を走る肥薩線も大きな被害を受けるに至っております。特に瀬戸石駅に関しましてはホームや線路はおろか、駅前の建物までも流失しておりまして、その面影も見られなくなってしまっております。

 

 この他にも、画像のように路盤が崩れた所あれば、土砂崩れによりまして線路自体が被った所もあったなど、ここまでご紹介しましただけでも今回の災害が甚大である事が伺えておりました。本当に、同僚が述べておりました、「覚悟しておいた方がいいからな」と言う言葉が大変よくわかる所でもありましょうか。

 

 

 さて、4回にわたりました4月6日に訪問しました肥薩線寸断区間探訪記も最終回でありますが、今回は前回終わっておりました一勝地駅から人吉駅までの探訪の話題を皆様にご紹介してまいります。

 

 (キハ140 2039)~詳しくは後述

 

 

 画像は前回までで辿り着いておりました一勝地駅であります。この一勝地駅は球磨村の中心の駅でありまして、豪雨災害前は全ての特急・快速「SL人吉」の全列車が停車する駅でもありました。

 

 この一勝地駅には、球磨村の観光案内所が併設されておりまして、この時にも営業が行われておりましたし、駅の隣には郵便局もあります。と言いますのも、この一勝地駅周辺は球磨川からは高い所に設けられておりますので、そう言った事もありまして被害もほとんどなくて済んでいたようでありました。

 

 (左側に観光案内所)

 

 (奥に郵便局)

 

 一勝地駅のホームです。駅自体は2面2線のホーム配置となっておりまして、画像からもわかりますように駅自体も広い事もお分かりいただけます。また、この姿からも列車が来そうな感じにも見えますが、線路が錆びている事からも9か月間は列車が来なくなっている事に関しましては正直残念な印象でもありましょうか。

 

 

 一勝地駅でしばらく休憩の後に、人吉へ向けてさらに南下します。先述のように一勝地駅は被害が少なかった事もありまして、比較的きれいな姿が見られておりましたが、一勝地駅を出ますと画像にもありますように再び路盤が崩れていた所が見られておりまして、まだまだ被害が多く見られている事が伺わせておりました。

 

 

 画像は那良口駅であります。この駅は画像のように被害も見られませんでしたが、それでも周辺では被害が見られておりました。尚、これから隣の渡駅へと進む事になりますが、渡方面へ向かう橋が流失している事もありまして、再び一勝地方面へと戻りまして、一勝地近くにあります球磨橋を渡りまして人吉方面へと向かいました。

 

 

 また、肥薩線に関しましても那良口~渡間に掛かります球磨川第二橋梁も流失しておりまして、鎌瀬~瀬戸石間に架かります第一球磨川橋梁とともに大きな被害を受けております。本当に、今回の豪雨災害では2つの橋梁が流失した訳でもありますので、この時が「暴れ川」に変貌していた事が伺える所でもありましょうか。

 

 

 この後渡駅へと向かう事になりますが、その前に同僚にこれからご紹介する場所に寄ってと言いまして立ち寄りましたが、それが画像にありますくま川下りの渡着船場であります。

 

 私とくま川下りと言いますと、平成26年の仕事関係の旅行時にくま川下りを利用しておりました。この時は比較的緩やかな流れであった時でもありまして、人吉発船場から約1時間の川下りを楽しんでもいました。そんなくま川下りが今回大きな被害を受けていた訳でもありましたので、本当に残念でならない印象でもありました・・・。

 

 尚、このくま川下りは7月には一部区間で再開予定となっておりまして、画像の人吉発船場も複合施設「HASSENBA」として改装される事になっております。本当に1年で再開となる事は非常にうれしい事ではありますが、それとともにまた今回のような豪雨災害が再び起こらない事をただただ願うばかりでもあります。


 (令和2年12月撮影)

 

 

 こちらの画像は、渡着船場の前の所でありますが、今回の豪雨災害では奥に見えております民家なども浸水するなどの被害が見られておりまして、現在もその爪痕が見られております。この場所では、下船直後に渡駅からやってまいりました「SL人吉」の姿を収めていた場所でもありましたが、この付近では雑草に覆われておりまして、列車が来なくなっている事が伺わせておりました。

 

 (奥が渡駅になります)

 

 (八代方)

 

 こちらの画像が、この時収めておりました8620形58654号蒸気機関車+50系700番台客車の「SL人吉」であります。私自身もこの時渡駅の発車時刻を知っていたため、川下りを終えるタイミングからもしかしたら撮る事ができるかなと思っていましたので、このように撮る事ができましてまさにラッキーであったと思っております。本当に、このような姿が現在は見られないのが残念ではありますが、現在の運行区間であります熊本~鳥栖間で大いに楽しませていただければと思っております。

 

 

 くま川下り渡着船場を出まして、渡駅へとやってまいりました。この渡駅も、先述のくま川下り着船場付近と同様浸水の被害を受けておりまして、実際にその下の画像の姿を見ますとお分かりいただけるのではないかとも思います。

 

 (駅内)

 

 こちらは駅の外の姿でありますが、雨どいが壊れたままである姿、その下の画像にもありますようにホームの待合室の所に線が引っ掛かった姿もありまして、9ヶ月の豪雨災害からそのままである姿が見られておりました。本当に見ていて痛々しい所ではありますが、それだけひどかった事が伺える所でもあります。

 

 

 そして、人吉駅へと辿り着きました。本来は西人吉駅もと言う所でしたが、私自身昨年12月に訪問(NO.2415参照)しておりましたので、今回は出向きませんでした。人吉駅へとやってまいりましたのはちょうど日中でもありましたが、駅周辺も発着列車もない事もありまして寂しい姿が見られておりまして、この時駅前には私と同僚の2人だけしかいない中でもありました・・・。

 

 (人吉駅弁)

 

 そんな中ではありますが、駅の中に入りましても人の姿はなく、寂しい姿が見られておりました。やはり、代行バスやタクシーが多く運行されているならばわかりますが、それらの運行も朝夕でもありますし、バス乗場も数十メートル離れている場所でもありますので、駅内に入る事は特別ない状態でもある事が伺わせる所でもありました。

 

 そんな中あるポスターの姿を目の当たりにしましたが、実は現在公開中の映画「るろうに剣心 最終章」のロケがこの熊本県内でも行われておりまして、この中には人吉機関庫でも撮影が行われておりました。私自身はこの撮影されていた事は知りませんでしたが、同僚は知っておりまして、「約2年前に行っていたロケの模様がようやく公開されるんだな」と述べておりましたので、この間には「新型コロナウイルス」もあり、「令和2年7月豪雨」もあった訳ですので、よりそう思う所ではなかったでしょうか。

 

 (主演の佐藤健さんらが見られるポスター)

 

 (撮影が行われていた様子も写真で見られました)

 

 

 JR人吉駅、くま川鉄道人吉温泉駅構内が見渡せるこ線橋です。この姿は昨年12月にも収めておりましたが、駅構内は手入れがなされているようでもありますのできれいな姿が見られておりました。しかし、JRの場合は列車が来なくなっておりますので、光などからもより錆の姿が目立ったいたのではないかとも思う所でもありました。

 

 

 それでも、くま川鉄道側に関しましては現在もKT-500形気動車「田園シンフォニー」の車両の修理が行われておりますし、時より構内試運転も行われておりまして、昨年12月訪問時から車の位置も変わっておりました。また、くま川鉄道自身も復旧に向けた動きが見られておりまして、「クラウドファンディング」などによります寄付の受付がなされておりますし、運休区間をレールサイクルとして回る「くまチャリ」の実施を行っておりまして、鉄道としての運行はできない中でも経営努力を行っている姿が見られております。

 

 (くま川鉄道車庫)~KT-500形気動車「田園シンフォニー」の姿も見られます

 

 

 そして、先述のように「るろうに剣心」の撮影も行われました人吉機関庫にやってまいりました。NO.2470などでもご紹介しましたように、この人吉機関庫には、3月末までキハ140 2039・キハ220-1102の姿がありまして、長らく機関庫内に入っておりましたが、いずれも3月末にこの人吉機関庫から出まして、小倉総合車両センターへ陸送の上で運ばれておりまして、機関庫内に車両の姿は見られなくなっております。

 

 実は、このうちのキハ140 2039を平成25年の人吉訪問時に収めておりました。この時は八代駅からやってまいりまして、この後今回のように人吉機関庫に留置される事になっておりましたが、そんなこのキハ140 2039は、同じく人吉機関庫内にいまして修繕がなされる事になりますキハ220-1102とは対照的に廃車となる事が決まっておりまして、小倉に戻りましてもこの後解体への道へと進む事になるのが正直残念でならない所でもありましょうか。

 

 (この後人吉機関庫に入ります)

 

 そう言う事もありまして、同じく小倉総合車両センターへ運ばれました保線車両を含めましてJRの車両の姿が見られなくなりました人吉駅構内でありましたが、車両がいなくなった事でより寂しくなったなと言う印象でもありましょうか。しかも、全てが復活するかと思いきやキハ140 2039は廃車となる事が決まっている訳ですので、廃車となるならばせめて残しても良かったのでは?と言う印象さえも感じさせられます。

 

 

 所で、去る2月に「モゾカタウン」と言う復興商店街がオープンしておりました。この「モゾカタウン」には23店舗のプレハブ店舗が立ち並んでおりまして、ラーメン店やピザ店・居酒屋などの食事をする場所、洋服店や寝具店などもこの中にありまして、天気がいい日には外で食べる事も可能でもあります。私達もこのうちの1店舗に今回利用しましたが大変おいしく召し上がりました・・・。

 

 尚、「モゾカタウン」の隣にあります人吉鉄道ミュージアム「MOZOCAステーション」も2月に営業を再開しております。今回は残念ながらこちらへは足を運べませんでしたが、今度再訪した際には出向きたいとも思っております。本当に、復興への動きもこのように見られている事に関しましては嬉しい所でもあります。

 

 

 さて、この「モゾカタウン」で同僚と話しておりましたが、正直肥薩線の全線再開は「10年くらいの長い年月であるならば可能になるだろう、ただし、また新線を設けるなりしないとまた今回のような豪雨災害になれば今度こそ廃線になってしまうかもな」と述べておりまして、再開の難しさを地元民でもあります同僚も感じているようでありました。確かに、今回回ってまいりましても、上の画像にもあります瀬戸石駅のように駅自体が流失する所さえも見られているのも現状でもありますので、よりそう思う所でもありましょうか。

 

 

 今回で、この肥薩線寸断区間探訪の話題を終えますが、やはり私自身としては現在BRT化の流れが見られております日田彦山線のような形にはなってほしくないというのも言える所でもあります。これまでも豪雨災害前は一般客に加え観光客も利用する事もありました肥薩線でもありますので、よりそう思う所でもありましょうか。本当に、同僚も述べておりましたように全線再開への道は正直険しいと思いますが、それでも肥薩線で活躍していた車両たちも他線でイレギュラーの形で活躍を行っている訳でもありますので、とにかく何年でもかかってもいいですので、また肥薩線の元気な姿を見せていただく事を願いたいと思います。