うした実地を踏んだ経験から架空鉄道方法論として何を学んだのでしょうか?

 

僭越ながらそれは「スケール感」ではなかったかと思います。実物に即したスケールダウン加減、気宇壮大と真逆のこの概念は、高校3年間の間に少しづつ身に入って来ました。

 

ここで言う「スケール感」とは何も路線規模や車両数、系列会社がどうのと言う話ではなく、無くなってしまった悲しさ、編成が揃わない悔しさ、やっと出て来たのに運休だった、撮影の直前にカメラが故障、カネが無くて昼飯が食えないひもじさ、そうした「その世界にいるであろう人物なり事象なり」の「持つであろう」感情の反映まで含まれます。

 

両総から飛びますが、以前「特急つばめ」客車の置き換えを記事に書いた事がありました。初出時は、塗装の揃った客車の最後尾に着く展望車だけが色違いで沿線のファンががっかり、と言う論調を出しました。

 

 

「機関車から色を揃えているのにこれではブチコワシである」

 

一方こんな絵も出しました。今度は展望車まで色やデザインが揃っているのに、牽引する機関車がブルトレ塗装なのでやはり「ブチコワシ」となる訳です。

 

 

そうした架空社会に生きているであろう人々の感情まで創作する事は架空鉄道の醍醐味とも考えますが、こうした感情のスケール感にまで考え及んだ最初が、恐らく高3の頃の(受験勉強はどうした?)両総鉄道だったかも知れません。