転轍器

古き良き時代の鉄道情景

佐志生越え

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 日豊本線は小倉から九州東海岸を鹿児島まで縦断する。大分県内の線形は周防灘にせり出した国東半島と、別府湾から豊後水道につき出た佐賀関半島を横切るように描かれている。宇佐から杵築にかけて国東半島のつけ根を越えるのが立石峠、大分平野を直進し幸崎の手前で右に曲がり佐賀関半島を横断するのが佐志生越えで、いずれもサミットは立石トンネル、佐志生トンネルであった。蒸機時代、立石峠は柳ヶ浦機関区の補機で難所を越えていた。
 平成時代、幸崎駅近くに居住していたという同年代の人と仕事上で知り合い、その人は鉄道好きでもない普通の人であったが、私が汽車好きということで、「幸崎を出た蒸気機関車の牽く貨物列車は苦しそうに走っていた。時々その貨物列車の後ろでもう1台の蒸気機関車が押しているのを見たことがある」と話してくれた。佐志生越えで後部補機は聞いたことがないが、話は昭和30年代、南延岡機関区のD51が牽く貨物列車に大分折返しの柳ヶ浦機関区のD50が間合いで助っ人に入っていたのかも、いや幸崎折返しの旅客列車に大分運転所のD60か8620が回送で付いて来てひと駅間だけ後押しをしたのでは、などと勝手な想像で楽しむ。
 佐志生越えはDF50の牽く列車で体験したことがある。その話がきっかけで佐志生トンネル付近まで足を延ばしてみた。幸崎~佐志生間7.2㎞は15.2‰の勾配に佐志生トンネル1423m、第1目明トンネル113m、第2目明トンネル68mが立ちはだかっていた。
 佐志生トンネルを出るED7643の牽く上り貨物列車 日豊本線幸崎~佐志生 H9(1997)/4/16