第1413回('21) 嵯峨野観光鉄道トロッコ列車を乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。


 
2021年3月7日、関西地区の緊急事態宣言が解除されたため、久しぶりに乗り鉄をしました。
今回の行先は京都で、『青春18きっぷ』を利用しました。
京都では降り鉄をするとともに、19年ぶりに嵯峨野観光鉄道トロッコ列車に乗車しました。
例年ですと京都は観光客が多いのですが、新型コロナウイルスの影響で少なかったです。
 
今回は前半の内容です。
早朝に在来線で京都入りして、まずは京都鉄道博物館前の新駅である梅小路京都西駅を降り鉄しました。その後は嵯峨嵐山駅へと向かい、隣接するトロッコ嵯峨駅から嵯峨野観光鉄道を乗り鉄してトロッコ亀岡駅まで行きました。
その後は馬堀駅から保津峡駅まで嵯峨野線で戻りました。
 
今回の日程 2021年3月7日  (日)    【前半】
 
加古川520(JR神戸線→JR京都線・快速)713京都718(嵯峨野線)721梅小路京都西746(普通)801嵯峨嵐山/トロッコ嵯峨902(嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線)925トロッコ亀岡935(徒歩)945馬堀954(嵯峨野線)957保津峡  
 
【後半へ続く】
 
この日は4時に起床して、朝食を済ませてから自宅を出発しました。週間予報では雨でしたが、空は晴れていました。加古川駅では『青春18きっぷ』の1回目のスタンプが押され、トイレを済ませてからホームへ。5時20分発の普通(西明石~京都間快速)・米原行きに乗車しました。223系4連+225系8連で、車内は空いていました。私は最後部車両(225系)の窓割と合った転換クロスシート窓側席に座りました。
 
 

 
まだ暗かったので道中はスマホを操作していました。停車駅ごとに少しずつ増えましたが、後方に出入口(西口)がある三ノ宮駅ではほぼ全ての客が下車して、乗ってくる人も少なく、車内はガラガラになりました。その三ノ宮辺りから急に明るくなってきたので、私は六甲山などの車窓風景を眺めていました。大阪駅では乗客が増えるかな…と思っていましたが大して増えず、窓側席に空席が残っていました。やはり新型コロナウイルスの影響で乗客が少ないですね…。大阪から先も車窓風景を眺め続けていましたが、新大阪、茨木、高槻でも乗客はそれほど増えず、窓側席が埋まった程度でした。また、この電車は高槻駅から京都駅の間も快速運転を続け、途中停車駅は長岡京駅だけで、阪急の特急より俊足です。そして左手に「トワイライトエクスプレス」の客車が留置されている京都鉄道博物館が見えてくると、程なくして京都駅に到着し、私は下車しました(7:13着)。
 
 

 
京都駅では間髪入れず嵯峨野線ホームに直行し、7時18分発の普通・亀岡行きに乗り継ぎました。いつの間にか嵯峨野線の主になっていた221系4連で、私は最後部車両に乗り込みましたがほぼ満席だったのでドア脇へ。道中は並行するJR京都線などを眺めて過ごし、そのJR京都線と分かれてすぐの所にある新駅・梅小路京都西駅で下車しました。梅小路京都西駅は2019年3月に開業した新駅で、京都鉄道博物館への最寄駅です。それまで梅小路蒸気機関車館や京都鉄道博物館へ行くには丹波口駅が最寄駅で、京都市中央卸売市場第一市場「京朱雀市場」のトラックやフォークリフトなどが行き交う中を歩かねばなりませんでしたが、この駅ができてアクセスが格段に便利になりました。しかもホームドアがあった事にも驚きました。ちなみにまだ早い時間だったので乗降客はほとんどおらず、駅前も散歩をしている地元の人が多かったです。
 
 

 

 

 
梅小路京都西駅からは7時46分発の普通・園部行きに乗車。223系5500番台2連+221系4連で、私は最後部車両(221系)へ。満席だったので道中はドア脇で車窓風景を眺めていました。途中、東映太秦映画村の横を通った時には「新世紀エヴァンゲリオン」のエヴァ初号機が見えましたが、撮影できませんでした。その先の太秦駅で多くの下車があり、空いたクロスシート窓側席に座って引き続き車窓風景を眺めました。そして私は嵯峨嵐山駅で下車しました(8:01着)。嵯峨嵐山駅は何度か下車していますが、10年以上ぶりの下車でした。いつの間にか橋上駅舎になっていました。また、土休日は多くの観光客で賑わうはずですが、コロナ禍かつ早い時間帯なので人通りが非常に少なかったです。
 
 

 

 
駅前散策後は、嵯峨嵐山駅南口の西隣にある嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵯峨駅へ。チケット発売開始が8時35分からだったので、少し待ってから9時02分発『嵯峨野1号』のチケットを購入しました。この日は晴天だったので窓ガラスがないオープン構造の5号車「リッチ号」の席を指定しました。帰りのチケットも購入しました。
 
 

 
そして8時50分頃に改札口が開放されてホームへ。既に『嵯峨野1号』は入線しており、車両とホーム、駅名標を撮影してから車内に入りました。車両はディーゼル機関車(DE10形)と客車の構成でしたが、配線の関係で機関車を付け替える事ができず、トロッコ亀岡行きは推進運転になります(先頭の客車に運転台あり)。
5号車は確かにオープン構造で、物を落とさないように注意しなければならないレベルでした。コロナ禍ゆえに乗客は少なく、どの車両も乗客は10人以下だったと思われます。コロナ禍ではなかったら満席だったかもしれません。満席でなくても1人ですと3人組と相席になっていたでしょうね…。
 
 

 

 
『嵯峨野1号』はガラガラの状態でトロッコ嵯峨駅を発車しました。次のトロッコ嵐山駅の手前までは山陰本線の下り線を走行します。トロッコ列車は上下線とも下り線を走行するので、この区間がダイヤ作成上のネックになりますね…。しばらく走るとトンネルと橋梁で保津峡を貫く新線から左へ分かれて旧線へ入り、トロッコ嵐山駅に停車しました。ここで数組のグループ客が乗車して、5号車の乗客は10人を超えました。
トロッコ嵐山駅を発車後はすぐにレンガ造りポータルのトンネルに入り、トンネルを出ると左手には保津川(桂川)が現れ、渓谷沿いを走るようになります。対岸にホテル「星のや京都」がある地点で一時停車サービスが行われました。その後も低速で渓谷区間を走り、立派な橋梁の山陰本線をくぐると保津川を渡りました。そしてトンネルを抜けると今度は右側に保津川を見る形となり、旧・保津峡駅を流用したトロッコ保津峡駅に停車。乗降はありませんでした。
 
 

 

  
トロッコ保津峡駅を発車後は山陰本線をトンネルでくぐりますが、この部分に保津峡駅があります。その後も右手に保津川を見ながら風光明媚な区間を走り続け、しばらくすると山陰本線の橋梁をくぐります。これより先は終盤となる区間に入り、依然として保津峡沿いを走りますが、やがて右手に請田神社が見えてくると前方が急に開けてきて保津峡を抜け出し、亀岡盆地に入ると左から山陰本線が寄り添い、終点のトロッコ亀岡駅に到着しました。時刻は9時25分で、23分間のトロッコ列車の旅はあっという間に終わりました。また、折り返し列車の『嵯峨野2号』には50人ほどが乗り込んだほか、『嵯峨野1号』の乗客も大半がそのまま『嵯峨野2号』で引き返して行きました。
 
 

 

 

 
私は9時30分発の『嵯峨野2号』を見送ってからトロッコ亀岡駅を出て、山陰本線沿いに500mほど西へ歩いて馬堀駅まで行きました。トロッコ嵯峨駅をもう少し馬堀駅の近くに…と思いましたが、この程度の距離であれば東京駅で京葉線と中央線快速を乗り換える場合と大差なく、仕方ありませんw 馬堀駅は小さな駅でしたが、京都のベッドタウンにあるため、利用客が多いです。
 
 

 
馬堀駅では『青春18きっぷ』で入場し、9時54分発の上り普通・京都行きに乗車しました。221系4連×2の8両編成でしたが、隣の亀岡始発だったからか、また京都駅で改札まで遠くなるからなのか、最後部車両はガラガラでした。私は転換クロスシート窓側席に座り、水分補給をしながら車窓風景を眺めました。トロッコ亀岡駅を過ぎると山岳区間に入り、こちらは旧線とは違い保津川の流れに従わずトンネルと橋梁主体で直線的に東へ駆け抜けます。そして私は山間部にある保津峡駅で下車しました。降りたのは私だけでした。保津峡駅は保津川の橋梁上にある無人駅で、ホームは全て地上に収まっています。ホームからはトロッコ保津峡駅を望めませんました。また、無人駅ですが、駅舎と簡易型の自動改札機が設置されていました。
 
 

 

 

 
駅を観察後は、徒歩でトロッコ保津峡駅へと向かいます。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)