「労働安全衛生世界デー」である今日は、去年引退したJR東日本251系、54年前に開業した東急こどもの国線、8年前に引退した東急8090系・流鉄2000系、7年前にデビューした北大阪急行9000形について紹介させていただきます。
労働安全衛生世界デーは、労働安全や健康、労働環境の専門家が労働者の財産や安全などを保護するための努力を表彰する日です。
衛生管理者免許を保有している私としては「無災害」という言葉が最重要、皆様が安全に安心して仕事ができるよう心よりお祈り申し上げます。
では本題に入ります。

【JR東日本251系】
1990年4月28日に、新設されたJR東日本の特急「スーパービュー踊り子」号の運用で、251系の運行も同時に開始しました。
1986年に登場した伊豆急行2100系「リゾート21」(上写真)に触発される形でJR東日本が設計した251系は、特急「踊り子」に使用される185系の内装が、他の特急形車両と比べて若干見劣りすることもあり、リゾート21にも負けないハイグレードな車両となりました。
伊豆急行2100系「リゾート21」は普通列車と思えない内外装の車両です。
撮り鉄が傷害事件(4/26西川口駅)を起こしてまで撮りたい「185系」(上写真)、駅先なんて密な動物園状態なので私なら避けますが、それ以前に今は緊急事態宣言中ですぜぶーこのご時世で密集して廃車回送に群がる連中に、好き勝手させて列車運行を妨害されるぐらいなら、東大宮で全て解体していただきたいですねレンチせめて近場の人が少ない場所で撮影しましょうよイラッ
景勝地や花見で撮影する一般の方のモラルも低いですが、ガチな鉄ヲタなんて空気も読めない自己中心的で社会に適応できない連中が多いので、185系を巡ってはまだまだトラブルが起こりそうですねアセアセ話が脱線して失礼しましたアセアセ
「乗った時からそこは伊豆」をデザインキーワードに、先頭車2両と、中間車1両はダブルデッカー(2階建て)とし、前面と全車両の側面に大型の窓ガラスを配置して展望性を高めほか、グリーン車個室やサロン、子ども室、売店などが設置されました。
1990年に10両編成2本、1992年に10両編成2本の合計40両が投入された251系の登場時は、アルージュブルーとフューチャーグレーの塗装でしたが、2002年末に塗装の変更と車内のリニューアルが実施され、上半分を飛雲ホワイト、下半部をエメラルドグリーン、センターラインにライトブルーを配した塗装へ変更されました。
2020年3月13日をもって特急「スーパービュー踊り子」号の運行が終了、251系も同時に引退しました。廃車のため長野へ回送された際は、大勢の撮り鉄が撮影ポイントで三密になっていましたが、私は緊急事態宣言下で県境越えするのは不謹慎だと思い撮りに行きませんでしたウインク
コロナ禍の最中に引退した251系、何も無ければ惜別乗車したかったですよえーん

【東急8090系】
2013年4月28日に、東急大井町線で8090系の運行が終了しました。
1980年から1985年にかけて8両編成10本80両が製造された8090系は、日本初の軽量ステンレス構体を採用し、前面は3面折妻となっており、1次車・2次車は帯の下にライトがある非貫通構造で、3次車以降は帯上にライト位置を変更しました。
3次車以降はヘッドライトの位置が変更された
8081編成と8099編成にラストランヘッドマークが掲出された
運行終了日には、東急大井町線で唯一の8590系「8691編成」もひっそりラストランに
8090系の一部は秩父鉄道に譲渡され、7500系・7800系に改造、主力車両として活躍中です。

【東急こどもの国線】
1967年4月28日に、東急こどもの国線が開業しました。
こどもの国線は、神奈川県横浜市緑区の長津田駅と同市青葉区のこどもの国駅を結ぶ3駅3.4Kmの路線で、横浜高速鉄道が第三種鉄道事業者として線路を保有し、東急電鉄が第二種鉄道事業者として列車の運行を行なっています。
こどもの国へのアクセス路線「こどもの国線」に待望の新型車両が登場、1999年8月1日から横浜高速鉄道Y000系の運転が開始しました。
レジャー施設のアクセス路線と、東急電鉄の車両工場への回送線として役割を担っていた「こどもの国線」は、こどもの国協会が保有し、東急電鉄が借用して営業する形態でしたが、沿線の宅地化が進むにつれて通勤路線としての機能を望む声が高まり、2000年年3月29日に現在の運営方式に変更、通勤路線の駅として新設された恩田駅が開業しました。

【流鉄2000系なの花】
2013年4月28日に、流鉄2000系「なの花」編成の運行が終了しました。
流鉄2000系は、西武701・801系(上写真右)を譲受して誕生した形式で、編成ごとにカラーリング・愛称が異なっており、3両編成が「流馬」「明星」、2両編成が「青空」「なの花」の愛称で活躍、「青空」「なの花」はワンマン運転対応車両でした。
その後は乗客減、昼間時のワンマン運転化などから2007年に「流馬」、2009年に「明星」が引退、5000系の導入によって2012年に「青空」が引退し、最後まで生き残ったのが「なの花」編成でした。(写真は「青空」編成)
西武時代と変わらぬ車内
クモハ2006が千葉県松戸市の「昭和の杜博物館」で保存されています。

【北大阪急行9000形】
2014年4月28日に、北大阪急行9000形の営業運転が開始しました。

ポールスター II (POLESTAR II)の愛称を与えられた9000形は、前照灯を含む全ての照明機器はLED、制御装置はIGBT素子VVVFインバータ制御と最新技術を採用しつつ、車内は置き換えた8000形同様に木目調の化粧板やゴールデンオリーブ色のシートといったデザインを受け継ぎました。

初期車両はステンレス剥き出しの外観ですが、3次車はデザインが大幅に変更され、車体全般をラッピングしたものとなり、緑地公園以北の沿線風景として馴染みがある「竹林」をテーマに、側面上部に「菊炭色」、側面窓周りには濃いマルーン系の地色に竹柄のグラフィックとグラデーションをアレンジし、腰部は8000形「ポールスター」でも馴染みのある「マルーン」・「アイボリー」・「レッド」の3色を組み合わせたものとなりました。
9000形40両を導入し8000形(上写真)を置き換えました。

今日はこれらの出来事があった日でした。
季節柄致し方ないですが、寒暖差の激しさで皆様も体調を崩さぬよう、睡眠と食事などご留意いただき無災害な1日をお過ごし下さいピンク薔薇

今回も最後までご覧下さり、ありがとうございました。


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