民鉄の覇者 東京急行電鉄 89、第二次伊豆・箱根戦争⑦(公聴会) | 犬と楽器と鉄道模型

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五島は伊豆の鉄道申請に辺り、最初から西武を圧倒していた。

発起人には、
大倉喜七郎  川奈ホテル会長
吉武一雄      千代田火災海上保険会長
綾部健太郎  代議士
小佐野賢治  国際興業社長

等の大物の名が連ねていた。

1957年7月3日、及び4日に運輸省本省8階大会議室に於いて公聴会が開催された。
後にも先にもこの公聴会でどちらに免許が下りるかの決着が就く。

公聴会には東急依りの出席者数を10倍・・・いや、20倍近くもかき集めたのである。
完勝を目指し、蟻の這い出る隙も見せない布陣である。

五島の表向きは多忙と言う事で、運輸審議会での公聴会には出席はしなかった。
しかし、実際には築地の料亭「新喜楽」にドンと陣取った。
そして、会社幹部や息子の昇から公聴会の報告を受けながらその都度、
「ああしろ」とか「こう言え」等と料亭から指示を出していたのである。

さて、公聴会では東急側、西武側共に相応の応酬が出た。
しかし、実際には決め手となったのは東海自動車の意向であった。

東海自動車は先の約束通り、東急への支持を打ち出したのである。
鉄道路線と並行に運行している東海自動車の意見が尊重される。
この瞬間、東急に免許が下りる事が決定した。

表向きの理由は、
1、    申請が早かった。
2、    地元との協力関係も万全であった。
3、    建設計画が詳細に及ぶものであった。

為とされている。

康次郎にしてみれば面白くない判決だったろう。
但し、康次郎は先の読める経営者であった。
こうなる事も読めていたのであろう。

順風満帆と思われた伊豆急の建設だか、これには熾烈極まる置き土産が用意されていたのであった。

 

 

この記事は2015-03-03
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