【ステンレス飾り帯】元・阪急電車〜能勢電鉄3100系が4月26日に引退

スポンサーリンク

阪急宝塚本線と接続する川西能勢口駅から北へ向かい日生中央・妙見口へ至る能勢電鉄。昔から能勢電鉄では阪急電鉄に所属していた電車が活躍しています。

4月26日、能勢電鉄から3100系(元阪急3100系)が引退しました。ここでは能勢電鉄3100系の最後の姿を紹介します。

宝塚本線向きにデビューした3100系のプロフィール

先述したとおり、能勢電鉄3100系は元阪急電鉄3100系です。能勢電鉄での活躍は1997年からですが、ここでは阪急時代から振り返ります。

3100系は600Vから1500Vへの昇圧に対応するために製造された3000系の宝塚本線バージョン、デビューは1964年です。3000系をベースとしていますが、2000系と2100系の関係と同じく、モーター出力を小さくし、加速を良くするために歯車比を上げています。

神戸本線は直線主体な一方、宝塚本線はカーブが多く、路線環境はまったく異なっていました。そのため神戸本線スペックの車両を宝塚本線にそのまま持ってくると、使い勝手が悪く、消費電力も増えてしまいます。そこで阪急では5000系・5100系まで神戸本線と宝塚本線で車両を使い分けていました。

1970年代から1980年代にかけて冷房化改造が行われ、方向幕の設置も行われました。1995年には3100系の一部のスカートが取り付けられ、阪急ファンを驚かすことに。スカートは速度が低い宝塚本線での障害物の巻き込み防止を目的としました。

3100系は伊丹線や箕面線などでも見られ、方向幕を設置していない昭和レトロな姿は阪急ファンを喜ばせていました。

1996年に廃車となった3100系1編成が能勢電鉄へ譲渡。翌1997年に能勢電鉄3100系として再出発しました。転属にあたり、ワンマン化改造、化粧板・車内モケットの変更など大規模な改造を受けました。

阪急3100系は2018年に形式消滅。能勢電鉄3100系も2021年度に消滅することが決まり、4月26日を最後に引退しました。

能勢電鉄らしさが見える3100系

先述のとおり、能勢電鉄に転属した3100系は1編成しかないため、乗車チャンスはそれほど多くなく、主に川西能勢口~妙見口・日生中央間の普通運用に就いていました。正面は阪急スタイルを基本としつつも、ステンレスの飾り帯が強烈です。またかつての能勢電鉄の標準仕様に習い、左側に行先・種別幕を設置しています。

塗装は阪急時代と同じくマルーン色ですが、転属時は他車と同じクリーム色が基色の能勢電鉄オリジナル色でした。そのため、阪急時代とはまったく別の車両に見えたものです。

3月22日から3100系引退ヘッドマークが掲出されていました。登場時と現在の姿を見比べると、大きく異なっていることがわかります。

側面には3100系への熱いメッセージが貼られていました。

側面方向幕はかつての能勢電鉄仕様で英字は入っていません。阪急と異なる独特のフォントにかわいらしさを感じるのは筆者だけでしょうか。なお能勢電鉄でもLED表示機が増えていることから、方向幕は貴重な存在になりつつあります。

車内は阪急独特の緑色のモケットではなく、水色のモケットになっています。また化粧板もマホガニーではなく白色系統になり、阪急時代とは全く異なります。このスタイルは能勢電鉄5100系や6000系には引き継がれず、3100系オリジナルになりました。

3100系は聴きごたえのある車両でもありました。時おり聞えてくる「ボコボコ」というコンプレッサーD–3−NHA形の音はかつての阪急電鉄の電車を思い出させたものです。後年、阪急3100系はコンプレッサーを交換したため、「ボコボコ」という音は聞えなくなりました。

車内には3100系の引退を知らせる美しいパネルがありました。

緊急事態宣言発令によりひっそりと引退

能勢電鉄では4月25日に3100系お別れ撮影会とグッズ販売会を行う予定でした。しかし兵庫県を対象とした緊急事態宣言の発令の影響により、25日開催のイベントはすべて中止に。4月26日、能勢電鉄のツイッターにてこの日限りの引退を発表。特に式典が行われることもなく、社員が見守る中、最後の日を迎えました。

これにより、阪急電鉄も含めて3000系列の車両はすべて消滅したことになります。能勢電鉄の近代化も進み、昭和の阪急電鉄・能勢電鉄も過去帳入りしようとしています。

関連記事はこちら

実車
スポンサーリンク
シェアする
鉄道ファンの待合室をフォローする
スポンサーリンク
鉄道ファンの待合室

コメント