皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

今日はいつもの憂鬱な月曜日ということであまり元気がありません。よってホームページのイラスト更新も2両のみとなりました。まぁ少しずつでも毎日進めてゆこうと思います。

 

昨日はキハ58形の第1陣として登場したキハ58 1~10をご紹介しました。これは今で言う量産先行車のような感じで、量産車と比べて細かな相違がロットごとにありました。そして11以降は昭和36年度本予算(内示)で製造され昭和36年10月改正に向けて製造されました。一部早期落成車はダイヤ改正を待たずにキハ55に混じって使用されたりダイヤ修正で運転開始したりしました。

 

本日はこのうち昭和36年度本予算内示で日車で製造され田端に配置された11~13をご紹介したいと思います。ただし13は未だその姿を確認したことが無いのでイラストは11と12のみです。

 

キハ58系が「田端」に配置というと今からすると非常に違和感を感じるかもしれません。キハ55系の時代より上野と仙台を常磐線経由で結ぶ急行「みやぎの」が運転されており、これが田端配置でした。そしてこの「みやぎの」にキハ58の落成を待って釜石編成が併結されました。今回のグループはこれに使用されました。そして1961年10月の「36-10改正」ではこの「みやぎの」は正式に盛岡へ延長され愛称も「陸中」へ変わり、1963年には担当も盛岡へ移管されこのグループも転属しました。その後は東北への長大編成対応車の増備により福知山へ転じ、以降同地区で一生を終えます。

 

 

キハ58 11

 

↑福知山地区は1985年までは超若番車の集まりとなっていましたが意外と冷房化は高く非冷房で残った車は少数でした。この車は昨日の「1」と同様非冷房のまま残ってしまいました。「1」と異なり前面補強が施工されておらず、足掛けがタイフォン上にある最初期車の形態を残していました。ただし東北で活躍していた名残か、タイフォンはシャッター式に改造されていました。

 

 

キハ58 12

 

↑12は11とほぼ同じ経歴を辿りましたが、冷房化されていました。昨日ご紹介した福知山配置の冷房車である2・3・8~10によく似ていますが、製造次数が違うので前照灯下の通風口も外側に100ミリ寄っていて前照灯と芯が合っています。また妻面角の握り棒の切り欠きが大きくなっており、握りやすくなっています。

 

キハ58 13は東北を追われた後和歌山に転じましたが、1972年に福知山へ転属しており11・12と合流していました。廃車は1985年6月と早いので、未だその姿を発見できていません。もしこの車に関する情報をお持ちのお方がいらっしゃいましたらご教示いただけると幸いです。

 

今日は2両のみのご紹介でした。今後も忙しい時などは少数両のご紹介になることがありますがご了承願います。次回はこの続きで名古屋に配置された14~22をご紹介したいと思います。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

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にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。