56年間お疲れ様でした [鉄道の旅]
ひと足お先に引退します
前回の記事では能勢電鉄の「新車」7200系第3編成がデビューした話題をご紹介しました。そして、新車が登場するということは入れ替わりに消え行く者があるということ。それでは今回の新車投入により押し出されるのはどの編成か? 当初は順当に車令の古い順に1700系(元阪急2000系)4編成のうちの何れか、という下馬評でしたが・・・・。
▲阪急時代に比べると顔が変わった能勢電3100系(光風台)
ところが能勢電から発表があったのは「3100系引退」の報。製造初年で4年若い3100系を先に引退させるんだそうです。
3100系というと、わずかに1編成が阪急から能勢電に移籍して来たレア車両で、阪急時代の仕様を色濃く残す他の能勢電車両とは違い何かと特徴の多い車両です。
▲これが3100系登場時の顔(塚口)
その特徴をまず外観から。上の写真が3100系登場当時の素顔です。能勢電移籍後の顔は目立つのがステンレスの飾り帯。更に標識灯を腰部に移設、スペースが空いたオデコに大型の表示幕を設置。貫通扉の窓を大型化など、もう能勢電としては精一杯オシャレしてみましたという具合。
そうそう最晩年の2017年にはスカートが装備されております。
▲客室はクールな色使い(天井の装飾は「のせでん冬物語」運用時限定)
外観のみならず車内も大幅に手が加えられており壁面は白色系(大理石模様?)、座席はブルーと阪急のイメージは微塵もありません。吊り手も○形から△形に変わっています。
5100系の入線までは能勢電ファミリーの末っ子的存在だった3100系が何かと特別扱いされていたのでは、と私は想像しています。運用面でも季節ごとの特別装飾列車は専ら3100系が担っていたように思います。可愛がられてたんだろうなって。
それでは本誌アーカイブより厳選した各種ヘッドマークを掲げた3100系の姿を見ながら56年にわたる同車の活躍を労い、阪急、能勢電最後の3100系を見送りたいと思います。
▲毎年恒例干支ヘッドマーク 2020年ネズミ年(平野車庫)
▲同じく2021年丑年(川西能勢口)
これが最後の干支ヘッドマークになりました。
▲のせでん冬物語2012 「能勢の冬景色」(山下)
▲のせでん冬物語2015 「流星(ほし)に願いを」(妙見口)
▲風鈴電車2019 「風林和音」(光風台)
本来なら3100系引退記念ヘッドマークを掲げた姿をご紹介したかったのですが、ご縁がなかったようで出会えませんでした。
能勢電は3100系の引退にあたり4月25日に引退記念撮影会を実施し、ファンとともに3100系を送る予定でしたが、折悪しく新型コロナに関する緊急事態宣言発令に伴い中止となり静かに引退を迎えたようです。また一つ私と同世代の車両が消えて行きました。
▲阪急時代に比べると顔が変わった能勢電3100系(光風台)
ところが能勢電から発表があったのは「3100系引退」の報。製造初年で4年若い3100系を先に引退させるんだそうです。
3100系というと、わずかに1編成が阪急から能勢電に移籍して来たレア車両で、阪急時代の仕様を色濃く残す他の能勢電車両とは違い何かと特徴の多い車両です。
▲これが3100系登場時の顔(塚口)
その特徴をまず外観から。上の写真が3100系登場当時の素顔です。能勢電移籍後の顔は目立つのがステンレスの飾り帯。更に標識灯を腰部に移設、スペースが空いたオデコに大型の表示幕を設置。貫通扉の窓を大型化など、もう能勢電としては精一杯オシャレしてみましたという具合。
そうそう最晩年の2017年にはスカートが装備されております。
▲客室はクールな色使い(天井の装飾は「のせでん冬物語」運用時限定)
外観のみならず車内も大幅に手が加えられており壁面は白色系(大理石模様?)、座席はブルーと阪急のイメージは微塵もありません。吊り手も○形から△形に変わっています。
5100系の入線までは能勢電ファミリーの末っ子的存在だった3100系が何かと特別扱いされていたのでは、と私は想像しています。運用面でも季節ごとの特別装飾列車は専ら3100系が担っていたように思います。可愛がられてたんだろうなって。
それでは本誌アーカイブより厳選した各種ヘッドマークを掲げた3100系の姿を見ながら56年にわたる同車の活躍を労い、阪急、能勢電最後の3100系を見送りたいと思います。
▲毎年恒例干支ヘッドマーク 2020年ネズミ年(平野車庫)
▲同じく2021年丑年(川西能勢口)
これが最後の干支ヘッドマークになりました。
▲のせでん冬物語2012 「能勢の冬景色」(山下)
▲のせでん冬物語2015 「流星(ほし)に願いを」(妙見口)
▲風鈴電車2019 「風林和音」(光風台)
本来なら3100系引退記念ヘッドマークを掲げた姿をご紹介したかったのですが、ご縁がなかったようで出会えませんでした。
能勢電は3100系の引退にあたり4月25日に引退記念撮影会を実施し、ファンとともに3100系を送る予定でしたが、折悪しく新型コロナに関する緊急事態宣言発令に伴い中止となり静かに引退を迎えたようです。また一つ私と同世代の車両が消えて行きました。
阪急での3100系は、何回か乗った事がありますけれど、
能勢電に移ってからは、外観はもちろん、内装がこんなに
変わっていたとは知りませんでした。
できれば、ファンに見送られながら引退させてあげたかったです。
by まるたろう (2021-04-25 22:00)
まるたろうさん
3100系の能勢電移籍は結局1本に終わりましたので、ヘビーユーザーでないとなかなか出会えなかったんじゃないかと思います。
この室内には驚きました。なんか寒々しいというか・・・。この内装もこれ1本で、この後の車両からはまた阪急風に回帰しております。
by サットン (2021-04-26 10:40)
そか…懐かしい電車、どんどん引退やなぁ
この電車千里線走ってなかった?
by 硬券屋 (2021-04-30 07:49)
硬券屋さん
自分と同世代の車両が引退するとの報を聞くと本当に寂しくなります。それでも関西の車両は比較的寿命が長いのが救いですが。
3100系が千里線を走ったかどうかは多分なかったのではないかと思います。ひょっとして万博輸送の際応援に動員されたかも知れませんが。
by サットン (2021-05-01 19:22)
阪急の1980年代ぐらいまでの車両は、どれも同じ顔をしていて、わたくしのような門外漢には区別がつきませんが、同年代の車両が引退するのはちょっと寂しいものというお気持ちはよくわかります。
小田急の2600、4000、5000も区別付かなかったです。
by やまびこ3 (2021-05-05 10:47)
やまびこ3さん
かつての阪急は神戸線と宝塚線でも車両を使い分けていましたのでややこしかったですね。両者の違いは外見上区別できなくて。
そういえば昔の小田急も見分けがつかなかったですね。今の現役車両はみんな顔が違うようですが。
by サットン (2021-05-05 14:43)
能勢電は日生線が工事中の頃に一度乗ったきりで、すっかりご無沙汰です。阪急宝塚線自体、池田以遠には40年以上行っていないと思います。
川西能勢口を出た宝塚行きの電車の左側車窓から川西国鉄前行きの鉄路が伸びていたことを鮮明に記憶しているほどです(笑)。
3100は、宝塚線時代にシートが浅く掛け心地があまり良くなかった印象があります。その点はその後改良されていたのでしょうか。
馴染みの電車が引退するのは寂しいですね。
by のり (2021-05-11 18:41)
のりさん
日生線の工事中ということは1970年代後半ということでしょうか。能勢電が最も元気溢れていた頃ですね。というかこの国が元気だった頃かと思います。今やかつてのニュータウンはオールドタウンとなり能勢電も乗客減少に歯止めが掛からないようです。
そんな時代に登場したこともあって他社の車両同様いかにして一人でも多く詰め込めるかという命題を背負って生まれてきた車両だと思います。でも今は改良されたのか特に座り心地に違和感はありません。
古豪1700系が懐かしいサウンドを響かせて走っているうちに是非能勢電をお訪ね下さい。
by サットン (2021-05-13 15:41)
阪急線内の魔改造車の正面は上部にクリーム色がくるため印象が微妙ですが、能勢電車はオールマルーンなのでステンレスのプロテクター?(かつての房総地区の113系のような)があっても大人しく収まっていて和みます。これからの時代、総車両数は減らすのでしょうが、いずれ少しずつ阪急車が阪神尼崎工場で改造されてやってくるのでしょう。
by 京葉帝都 (2021-05-22 14:02)
京葉帝都さん
能勢電版3100系は結局1本しか譲渡されなかったからか「とにかくやれるだけのことはやりました」気合の入れようが窺えます。とはいえ基本的な阪急スタイルは維持しているわけですが、内装は阪急のそれとは全く異なり驚かされました。
能勢電の車両交代は概ね年1本ペースで新車7200系を投入している様子で5年もすれば1700系は消滅しそうです。
by サットン (2021-05-23 11:30)