頑張れ支線(盲腸線)の旅18(最終編) | としのブログ

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今は無き八瀬遊園



私が子供のころ、遠足か何かで京都の山手の方の遊園地に行った記憶がある、子供心に「こんなに楽しい所があるんやあ」と感じたものだ、ウルトラマンのアトラクションなどがあったような気がする、それが後で八瀬遊園地と言うところだと知った、母親にまた連れて行って欲しい訴えたが、うちの経済力では中々連れて貰えず私の記憶から消えて行った。

この頃の近畿地方にはまだ遊園地は少なかったが、この後一気に増えていった。

そして今回の叡山電鉄の訪問で改めて八瀬遊園を調べて見た、正直八瀬遊園はまだ存在していると思っていた、実は40年も前に八瀬遊園という名前は無くなっていたのだ、簡単な歴史である。

1964年(昭和39年)に開園、当初は人気をはくし年間20万人もの来園者があった、きっと叡山電鉄(当初は京福電鉄)も乗客もいっぱいだっただろう。

しかし次第に来園者の数が減っていく、関西に多くの遊園地が生まれて(阪神パーク、宝塚ファミリーパーク、菖蒲池遊園、生駒山上遊園、枚方パーク、奈良ドリームランド、エキスポランド等)激戦になる、また立地の悪さも災いし、客足が遠退き、ついに1983年(昭和58年)スポーツバレー京都という名前に変更し、スポーツ系の遊園地になったが一向に客足は回復せず、1999年(平成11年)ふたたび森のゆうえんちと名前を変えたが、結局娯楽の多様化、客の好むコンセプトの違いと、親会社である京福電鉄の越前本線の列車衝突事故による多額の損失の影響で、2001年(平成13年)に閉園となった。
当然、叡山電鉄(当時は京福電鉄)も乗客数が激減、本線とは名ばかりで鞍馬線に収益の大半を持って行かれる様になる。

では、終点の駅八瀬比叡山口駅に行って見ます。



終点、八瀬比叡山口駅に到着です、周りは緑がいっぱいとてもいいところですね。


昭和30年代の八瀬駅(八瀬比叡山口駅)、停まっているのは、優雅な3枚窓のデト1形で開業当時のままでこの路線を引っ張った優等生。


全く昔のままの姿とレイアウトの現在の八瀬比叡山口駅。

ホームレイアウトは、3面2線で、向かって右側から1番線、2番線です、2番線は朝のラッシュ時や秋の紅葉シーズンにでる臨時列車が使われる、真ん中の島式のホームは、2番線の到着時の降車時に使われる。


開業当時の八瀬駅の雰囲気を残した駅舎。

1925年(大正14年)京都電灯の叡山電鉄平坦線の終着点の八瀬駅として開業。
1942年(昭和17年)京福電気鉄道の営業になる。
1965年(昭和40年)八瀬駅から八瀬遊園駅に駅名を変更。
1986年(昭和61年)京福電気鉄道から京阪電鉄傘下の叡山電鉄本線の駅になる。
2002年(平成14年)八瀬遊園駅から八瀬比叡山口駅に駅名を変更し現在に至る。

八瀬比叡山口駅の1日の乗降客数は約1,200人、元々は比叡山登山の入り口として生まれたが、比叡山の登山は琵琶湖側から主流で、延暦寺に行くのも圧倒的に琵琶湖側が便利である。
駅周辺の長閑な雰囲気はとても良い感じがある。

ただ、行楽シーズンの客足はそこそこあるだろが、普段の客数を伸ばすにはインパクトが足らないのは間違い無い。


八瀬遊園があった場所の地図。


現在はエクシブ八瀬京都離宮という名前で、リゾートホテルが建っています。


この階段を向こうに八瀬遊園がありました。


ここまで来たので、ケーブルとロープウェイで比叡山へ行って見ます。


高野川の水は驚くぐらい澄んでいた。


叡山電鉄の八瀬比叡山口駅からケーブル乗り場まで約300m、桜が迎えてくれた。


叡山電鉄の八瀬比叡山口駅からゆっくり歩いてケーブル八瀬駅に到着。


ケーブルとロープウェイの往復切符を買いました、よくよく見るとこのケーブルとロープウェイは京福電気鉄道の経営なのですね、親会社の京阪電鉄はここまでは直接手を出さなかったという訳ですね。


ゆっくり歩き過ぎて、ケーブルの出発時間ギリギリだったので車両を撮ることが出来ませんでした、間もなくすれ違いなので反対側の車両を撮ります。



以外とスピードが速く、こんな感じです、結構近代的なカラーの車両でした。


間も無くケーブル比叡駅に到着です、この叡山ケーブルは高低差561mで日本一です。


ケーブル比叡駅に到着です。



ケーブル比叡駅の前にはこんな文字のオブジェがあります。

ケーブル比叡駅から京都の街並み。


ここで叡山ロープウェイに乗り換えで、ロープウェイ比叡駅は目の前です。


これが叡山ロープウェイの車両です。



段々と高度が上がって行きます。


間も無く比叡山頂駅です。

比叡山頂駅の壁です、古びた歴史を感じる。


方向的には大原方面ですかね、遥かに高い高度を感じますね。

秋の行楽シーズンではもっと多く乗客がおられるかも知れないし、やはりコロナの影響は少なからずあるだろうけど、やはりこの先の経営は明るいものだと言い難い感じがする、叡山電鉄本線の宝ヶ池ー八瀬比叡山口間と、叡山ケーブル、ロープウェイである、そう言う私ももう一度の訪問があるだろうか?

このまま他の多くの路線のように無くならない事を祈るばかりの路線である、頑張れ支線、頑張れ盲腸線である。