皆様おはようございます。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

今日は会社の創立記念日ということで休日です。喧しいのがいない中で休める日ということで非常に快適な日です。天気が良いのに外出できないのが勿体ないですが、早速キハ58系イラストの修正を行ってゆこうと思います。

 

このところホームページのキハ58系イラスト修正が順調で、2021年4月22日には当面最後となるキハ28 1014~1024を修正・更新しました。昨日は1013までご紹介していましたので今回はラストとなる1014~1024をご紹介したいと思います。

 

昨日ご紹介したキハ28 1001~1013は昭和42年度第3次債務で製造され、本日ご紹介する1014~1024は昭和43年度民有債で製造されています。私がバイブルにしている鉄道ピクトリアル誌のキハ58系特集ではこの製造ロットでの外観に変化をもたらす設計変更は記載されていませんが、キハ27・キハ28については明らかな外観上の変化が見られます。

 

↑まずは昨日ご紹介した1001です。

 

続いてキハ28 1022です。

 

こちらがキハ28 1022です。先に挙げた1001と比べると、

 

・1001では側面2-4位側の7-8枚目窓間に冷房発電機用吸気口の準備工事の蓋が設けられていますが、1022では反対側の1-3位側になっています。

・1022ではこの冷房発電機吸気口の位置変更に伴い1-3位側の車側灯の位置も変化しており、従来前位側から2個目の車側灯は前位側から7-8枚目の窓間にあったものが4-5枚目の窓間に移動しています。

 

これは同時期に製造されたキハ27 215~217も同じになっています。

 

これは、先日キハ28 2500台でもご説明しましたが4VKの冷却性能については色々試行錯誤が行われており、途中から設計思想が変更されて4VKとDM83の向きが逆にされたものと思われます。そのため車体側についても冷房発電機DM83の吸気口の位置が反対側になっています。なお昨日ご紹介したキハ28 1001~1013では元々はキハ28 2500番台と同じ4VK-DM83の向きで設計されていたものの、実際に冷房改造された際はこの向きが逆になりました。そのため新製時に用意されていた2-4位側窓間の吸気口は使用せず、1-3位側に平窓冷房車と同じ吸気口を設置していたのは興味深いところです。

 

↑昨日ご紹介した昭和42年度第3次債務製のキハ28 3009です。冷房発電機吸気口の準備は反対側の2-4位側にされたため、冷改時にはこちら側1-3位側の窓下に平窓車と同じ横長の吸気口が設けられました。(赤丸の中) なお後ろ側の車側灯は7-8枚目の窓間(青丸の中)にあります。

 

これが昭和43年度民有債の車になると、

 

↑新製時より1-3位側の7-8枚目の窓間(赤丸内)に冷房発電機吸気口が用意され、これに伴い従来ここにあった車側灯は前から4-5枚目の窓間(青丸内)に移動しています。

 

このような変化が見られました。これは他の趣味誌等では殆ど出てこない情報ですが、明確な違いが実車にはありますので注意が必要なポイントです。なお2エンジンのキハ56・58では関係のないポイントであるため、2エンジン車は外観上の変化を見つけることは出来ていません。

 

 

では各車を見てみましょう。

 

 

キハ28 3014

 

写真は1999年8月の撮影ですが、この後延命工事を施工され後に台車もグレーになっています。当時既に絶滅危惧種になりこれ以上の形態変化は無いだろうと思っていたら結構形態が変わっています…。

当車は新製より小郡に配置されていましたが、1983年に車両交換で広島に移動しました。広島では「みよし・ちどり・たいしゃく」で使用されていましたが、最後に「みよし」がっ廃止になると当車も廃車になりました。また写真のように小郡(山口鉄道部)への貸し出しも行われていたようです。オーソドックスなモデルチェンジ車ですが、広島標準で助手席側乗務員ドア後ろのタブレット保護板は撤去されており、また乗降ドア下部の丸窓も無くなっています。またタブレットキャッチャーの台座もありませんね。また広島小郡地区では窓下サボを使用していたのでサボ挿しが追加されています。

 

 

キハ28 3015

 

↑新製以来長く鹿児島で活躍していましたが1980年には同地区の急行は全て快速化され短編成化も進みました。そのため1986年には波動用車「らくだ」の2次車として回転クロスシート化されて専用塗装となりました。しかし1990年代になるとJR九州のジョイフルトレイン政策が変わり、この車は座席のみの小改造であったため廃車にならず近郊化改造の上一般車となりました。後にワンマン化も施工され日田彦山線に転じましたが2002年に廃車になっています。当車は鹿児島配置車ながら「らくだ」用車であったからか前面貫通扉にヘッドマーク掛けはありません。

 

キハ28 3016

 

↑福知山地区には1985年の急行「きのくに」廃止後和歌山からモデルチェンジ車が転入していましたが、3016~3020は新製時より福知山に配置されたグループです。当車は舞鶴線電化まで同地区で働き、電化後は高岡に転じました。福知山生え抜き車は放送ジャンパ栓納めの位置が元和歌山車と異なることと、屋根上のガラベンが早い時期から撤去されてるのが特徴です。

 

 

キハ28 3017

 

↑当車も福知山生え抜きですが、普通列車用にはならず急行「丹後」の廃止後1997年に廃車になりました。

 

 

キハ28 3018

 

↑3018は3016と終始同じような動きをしました。そのため形態もよく似ています。なお写真は高岡に転属後間もない姿ですが、タイフォンはスリットカバーのままですが雪が入らないように目の細かい網?のようなものが取り付けられています。この頃は金沢特有の傘を被せることはしなかったのですね。傘を被せてくれると面白かったのですが…。余談ですがこの後青白の高岡色になるとばかり信じていて、「とうとうモデルチェンジ車の青白高岡色登場か」と期待したのですが、なんとワインレッドの新塗装(イラストの物)になってこれはこれでビックリしました。

 

 

キハ28 3019

 

↑この車は3017と同じく終始急行用で活躍し、1996年の「丹後」廃止後は波動用などで活躍したものの1999年の舞鶴線電化で余剰となり2000年で廃車になりました。この車も3005と同じく1999年に延命工事を施工して雨どいの更新などが施工されましたが1年も経たずに廃車になっています。この車はその後も保存され現在は敦賀にいるのは有名でしょう。

 

 

キハ28 3020

 

↑この3016~3020のグループは、奇遇か偶数の3016・3018・3020が後にワンマン化されています。この3020は3016・3018と似た経歴でしたが、最後の転属が異なり舞鶴線の電化後は小浜線に転じました。また記録では2001年に松任で延命工事を施工したことになっていますが、私の撮影した1999年の福知山時代には既にご覧の通り延命工事を施工しており、詳細は不明です。2003年の小浜線電化で余剰となり廃車になりました。折角延命を施工したのだからこの後も活躍した高岡地区で活用すれば良かったのに…。

3016~3020では唯一前面補強工事が行われており、運転席窓下手すりが短いものになっているのが特徴です。

 

 

キハ28 3021

 

↑福知山生え抜きの3016~3020の連番なのでこれも仲間と思いきや、3021~3023は奈良に新製配置され後に和歌山で急行「きのくに」に使用されていたグループです。1985年の急行「きのくに」廃止後は豊岡に転じ、福知山地区生え抜きの3016~3020と混じって活躍しましたが形態の差で出身はバレバレでした。

 

 

キハ28 3022

 

↑3021と同じく奈良に新製配置され後に和歌山で急行「きのくに」に使用されたグループです。急行「きのくに」廃止後は近隣の亀山に移り、関西本線の普通列車で使用されました。一時期1988年~1990年は山陰本線・嵯峨野線の客車列車置き換えで福知山に転じていましたが嵯峨野線電化後は亀山に戻っています。その後関西本線のワンマン仕様に改造されましたが、同線のキハ120化により当車は米子に転じ、比較的長生きしました。私の撮影した2000年で形態変化は終わりと思いきや、2001年に延命工事を受け汚物処理装置も取り付けられました。そしてキハ121・126増備の2004年で廃車になっています。

外観上は旧ワンマン車で側面にスピーカーがある筈ですが撤去されたのか2000年の時点で存在しません。

 

 

キハ28 3023

 

↑3021と同じく奈良に新製配置され後に和歌山で急行「きのくに」に使用されたグループです。急行「きのくに」廃止後は近隣の亀山に移り、関西本線の普通列車で使用されました。その後関西本線のワンマン仕様に改造されましたが、同線のキハ120化により当車は小郡に転じました。小郡では同じく亀山から転じたキハ58 1103同様に長生きせず、1999年に私が撮影した際も休車留置中でした。当車は小郡転属後に正面のKE53ジャンパ栓納めが非冷房車然とした位置へ移設され、ケーブル同士が密集した状態となっていてレアでした。また関西本線ワンマン車時代のスピーカーも残っていました。

 

 

キハ28 3024

 

↑キハ28のラストナンバーを飾るのはこの3024です。当車は1両のみ九州は大分に新製配置されています。なお当車は1968年12月25日に新製配置後、翌1969年1月には冷房改造されており、冷房準備車時代を記録したものは無いのでは?という車です。晩年は急行「由布」で活躍しましたが短編成化されると1エンジン車のキハ28は真っ先に編成から外され、当車は車齢も若い事から高齢車が集まっていた長崎へ転じました。長崎ではローカル輸送に使用されていましたが、1992年から始まった快速「シーサイドライナ

ー(SSL)」整備の際は先頭車のキハ28では唯一これの対象となりSSL化されました。キロ格下げを除くキハ28のSSL化は、この後に「サウンドエクスプレスひのくに」から転用されたキハ28 2485と2両のみとなっており、モデルチェンジキハ28では唯一でした。当車はスカートにキハ65と同じ足掛けが追加されており、一体どの時点で追加されたのか興味のあるところです。また私の撮影した1999年以降、2000年にはミレニアムイベントで急行色に戻されましたが、青色に塗られていた客室窓のアルミ枠が急行色化した際に赤色で塗装され、異様な雰囲気になっていました…。

 

 

さてこれでキハ28のイラスト修正(共通修正項目)は終わりました。今回イラストのバージョンアップしたのは、

 

・後位側乗降ドアステップサイズの修正

・後位側ドア隅の手すり太さ修正

・妻面のレイアウト修正

・発電動機の形状修正

・平窓車1位側乗降ドア脇の手すり長さ修正

・貫通路渡り板のヒンジ形状修正

 

等でした。

 

これまでにキロ26 22両、キロ27 4両、キロ28 116両、キロ58 4両、キハ27 99両、キハ56 106両、キハ57 35両、キハ28 385両の合わせて771両分の修正を終え、残りはキハ58のみとなりました。各型式終わり残り1形式のみで楽観視できると思いきや、キハ58のみで現在のところ812両も対象車がおり、まだ半分にも至っていないことが分かります…。まだ折り返し地点にすら達していないということでまだまだ時間が掛かりそうです。

 

今日はいよいよ待望のキハ185系発売の日となります。この車両はHG製品では無いので先頭車用のTNは付いておらず、別途同時?新発売されるJC6380を取り付けるようになっているようになっているようですが、既に通販サイトでは軒並み予約終了で終わっています…。なんという事でしょう!? 値段も既にHG製品のキハ58系と大差なくなっているのですから、最初から付けておいてくれれば?と思うのは私だけでしょうか…。困ったものです。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。