C53形の特徴は 三気筒機の蒸気機関車である!

梅小路蒸気機関車館C5345号機は複雑な構造ゆえ戦後まもなく引退したが、45号機

のみ吹田機関区に残され、1961年に動態復元、蒸気機関車館に保存された。

3シリンダー機とは、台枠の左右両側だけではなく車両中央線上にもほぼ同型のシリンダーを持つ蒸気機関車である。シリンダーの数を増やすことにより、通常の蒸気機関車に比べ牽引力が増す。もっとも当時は満鉄がミカニを導入し、内地のメーカーに製造させ成功していたものの、鉄道省自身には3シリンダー機の開発経験はなく、鉄道省初の3シリンダー機の開発を前にして1926年に8200形が米国のアメリカン・ロコモティブ社より輸入され、シリンダブロック周辺など三気筒機の特色となる部分は朝倉希一により「大学を出たばかりの頭の柔らかい新人に任せよう」という判断で当時新進の島秀雄が研究を担当し、連動テコを細くする等の改悪を行った以外はほぼコピーした

その他にも、各種補機を含む以後の新型蒸気機関車設計の研究が行われている。

開発の背景

大正晩年から鋼製客車の出現によって客車の重量が10%ほど増加し特別急行列車の速度を維持するには18900形(後のC51形)では出力不足であり、このため狭軌でこれ以上の輸送力増加に対応するには3シリンダー機を導入するしかないと考えられた。

 

鉄道記念日10月14日のイベントが行はれている梅小路蒸気機関車館に訪れてみました。
展示写真の中に、私が子供のころの(1945年)記憶がよみがえりました蒸気機関車は、流線型のC53形です!

このC53形の蒸気機関車が日豊本線別府市亀川で何度も見た同じ形の機関車でした。

流線形のC53形蒸気機関車は、かっこいいですね!!

流線形の蒸気機関車はスピードが出て速く走れそう!?

C53形の蒸気機関車を流線形に鉄板で覆うと、内部の点検整備が大変でしょう!

 

C53形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省がアメリカから輸入したC52形を解析の上、国産化した3シリンダー型のテンダー式蒸気機関車である。 愛称はシゴサン。


流線型化改造
1934年11月には当時の世界的な流線型ブームに乗り、梅小路機関区所属の43号機が鷹取工場における20日の突貫工事で試験的に流線型に改造された。煙室前部を斜めに切り、運転室は密閉式のものに取替え、車体全体と炭水車上部を流線型の鉄板で覆い、機関車本体と炭水車の隙間は幌で覆った。これらの改造により他機とは全く異なる外観を呈した。塗色も完成直後はチョコレート色に塗装されていたが、試運転の前後に黒に塗り替えられたという。

当時は世界的に流線型ブームであり。国鉄では、は空気抵抗の軽減効果が多く標榜されたが、当時の100km/hに満たない運転速度では空気抵抗が列車の走行に与える影響はごく小さなものであった。それよりも列車の周囲の空気の流れを改善し、煙が列車に絡みつくのを防ぐとともに、走行中に対向列車や駅ホーム上の乗客に及ぼす風圧の軽減を目標としたという。

参考文献:梅小路蒸気機関車館およびWikipedia。

 

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