皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

昨日はちょっとした気からキハ58系のトイレタンクを弄り始めてしまい、すぐ終わらせるつもりが結構手こずって意外と遅くなってしまいました…。1個は成功したので以降は比較的スムーズにできると思いますが、結構気を遣う作業なので何十個もやるのはちょっときついですね。また機会があったら装備例をご紹介したいと思います。

 

さて、昨日はホームページのイラスト修正・更新を行っており、キハ28 501~504、1505~1510をアップデートしました。そのうち昨日はキハ28 501~504をご紹介しましたので、本日は続きでキハ28 1505~1510(2505~2510)をご紹介したいと思います。

 

キハ28 1505~1510は501~504の続きで製造されましたが、キロ58の冷房化用に新製後直ちに冷房改造できる状態で製造され、その通り新製後すぐに改造されたものと思われます。501~504に対し、これを区別するため+1000で製造されましたが、キハ28の冷房化が開始された際は暖地向けモデルチェンジ車が1000番台であったことから+2000で区分され、そのためこの1500番台も後に2500番台へ改番されました。この辺りの行き当たりばったり感が何とも…。

 

「新製後直ちに冷房化できるような状態で製造され…」とありますが、新製直後にどのような状態であったのかは不明です…。このロットに該当するキハ58は引き続き前面のスカートが冷房用ジャンパケーブルを取り付ける前提の開口になっていません。キハ28 1505~1510はどのような姿だったのか非常に気になりますが、どこかに資料が眠っていないのでしょうかね。

 

急行「アルプス」に使用されるということで寒冷地向けの500番台のグループで製造されましたが、当時松本や長野にいたキハ58はスノープロウも無し、タイフォンシャッターも無しで、これらを追設する動きもありませんでした。美濃太田に配置されたグループは暖地向けの1000番台であり松本に寒冷地向けが必要であったかどうかちょっと疑問ですが、現場では苦労があったのでしょうかね。

 

文字ばかりになってしまいましたが、このグループは他のキハ28冷房車と比べ決定的に異なる点があり、それは床下の冷房発電セットである4VK+DM83の向きが後の冷房車と反対になっていることです。キハ58系の冷房化は4VK発電エンジンを使用するシステムが最後まで踏襲されましたが、このエンジンは性能上ちょっと苦しい設定であったようで、良くオーバーヒートを起こし冷却対策については非常に苦労の跡が見られます。騒音もかなり喧しく、キハ28の後位側に乗っているとDMH17Hエンジンの音なんて聞こえないくらいでした。このグループは床下のDMH17Hエンジンのラジエーターと、冷房発電機4VKのラジエーターが同じ2-4位側に向いており、恐らく冷却性能が落ちるという現象に陥っていたのでしょう。これ以降に冷房改造された車は、この4VKとDM83の位置が反対になり、DMH17H機関のラジエーターと同じ向きにならないようにされました。

 

そうするとこの2505~2510のグループも後に他車と合わせて4VK-DM83の向きが逆に改造されたかというとそうではなく、結局このままで最期を迎えています。この辺りの思想の一貫性の無さがキハ58系らしくて面白いです。

 

 

キハ28 2505

 

キハ28 2505は1975年の急行「アルプス」廃止時に長野に転じ、急行「ちくま」で活躍しましたが同急行の廃止後はローカル急行の「野沢」で使用されました。1986年11月改正で「野沢」も廃止されると山形に転じます。JR化後は仙台支社の波動用に活用されることになり郡山に転ずるも、間もなくジョイフルトレイン「グラシア」に改造されました。「グラシア」では中間の車両は運転台の無い完全中間車となりキロ29 506に改番され、キハ58系を使用する3連のジョイフルトレインでは珍しい中間車仕様となりました。他にはフェスタのキロ29くらいでしょうか。当車は「グラシア」に改造された際に種車の面影は殆ど無くなり、更に後のリニューアルで特徴的な4VKも新型の冷房用発電ユニットに換装されてしまいました。なおこの新型のユニットは「グラシア」の他、「エーデルワイス」「Kenji」「ゆふいんの森」に見られました。またキハ67にも採用されています。

 

 

キハ28 2506

 

↑2506~2508は急行「アルプス」廃止後も松本の担当する急行「白馬」用に残留しました。1982年11月に急行「白馬」は廃止されると新潟に転じ、急行「あがの」「べにばな」の冷房化に一役を買いました。JR化後も同じ用途で使用され機関換装もされましたが、1993年に快速「あがの」にキハ110系が投入されるとこの2506のみは押し出され、小牛田に転じました。これにより小牛田ではキハ28 2391が捻出されています。外観上は新潟時代の特殊なタイフォンカバーがそのままでした。

 

 

キハ28 2507

 

↑2506と国鉄時代は同じ経歴を辿りましたが、当車は最後まで新潟に在籍しました。当時の新潟車はタイフォンシャッター取付車であっても積極的に新潟タイプのタイフォンカバーへの交換が行われましたが、当車は通常のシャッター式を残した珍しい車でした。なお見づらいですが新潟にいた2506~2508は張上げ屋根の雨どいが更に埋め込まれていました。これは新潟にいた車の特徴です。

 

 

キハ28 2508

 

↑2508は2507とほぼ同じ経歴でした。外観上も2507と似ていますが、こちらはタイフォンカバーが新潟タイプに改造されています。

 

 

キハ28 2509

 

↑キハ28 2500(旧1500)はキロ58の冷房化の為に製造されましたが、8両製造されていたキロ58はこの当時既に中央東線の電化により一部は急行「きそ・ちくま」用に長野に転じており、2509・2510は新製時より長野に配置されました。長野では前述の急行で活躍しましたが1978年の気動車急行「ちくま」廃止後はローカル急行である「野沢」で活躍したのは2505と同じです。1986年11月に同急行も廃止された際には秋田に転じて急行「よねしろ」に使用されました。JR化後は盛岡支社のジョイフルトレイン 「エーデルワイス」に活用されることになり、盛岡のキハ28 2333と交換されました。同列車は3両編成でしたが中間車の運転台が残されたので時折2連で先頭になることもありました。また前述の通りリニューアル時に床下の冷房発電装置が換装されています。

 

 

キハ28 2510

 

↑国鉄末期までの経歴は2509と同じですが、1986年11月の急行「野沢」廃止時に七尾に転じ、唯一JR西日本に継承されました。七尾は昔から他区所の若番冷房車が集まっておりボロばかりという印象で、モデルチェンジ冷房車の転入は非常に珍しいものでした。以降1999年に福知山からモデルチェンジワンマン車が転入するまでは金沢支社唯一のキハ58系冷房モデルチェンジ車でレアな存在でした。七尾線電化後は小浜線に転じ、長く活躍したので有名であった車両です。外観上は原形の2500番台の姿を色濃く残していました。

 

なお、この小浜色で活躍する姿は良く記録に残っていますが、この以前の七尾線色であった時代の記録はあまり無く、こちらは数両も多い中での唯一のモデルチェンジ車だったのでよりレア度が高いですね。

 

↑1991年まではこの七尾線普通列車色に塗られていました。この色のモデルチェンジ車は1両しかなく、しかも2500番台なので非常にレアですね。

 

ということで今回はキハ28 2500番台のご紹介でした。なおこのグループは見つかっている写真などから、後の冷房改造車に比べて妻面の冷房用配電盤出っ張りが低いタイプになっています。確認できたのは2両しかいませんが後年まで全車長野地区に居たので、おそらく全車この状態であったと思われます。今となってはもっと妻面の記録を残しておくべきだったと後悔しておりますが時すでに遅しですね。

 

これでキハ28のモデルチェンジ車寒冷地向けは終わりです。次はいよいよキハ28のラストグループであるモデルチェンジ車暖地向け1000番台(3000番台)になります。こちらも単調と思いきや、2つのグループに明確に分かれますので興味深いです。というかキハ28はキハ58に比べて変化が多すぎて大変です。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

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にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。