民鉄の覇者 東京急行電鉄 88、第二次伊豆・箱根戦争⑥(東海自動車) | 犬と楽器と鉄道模型

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この伊豆をテリトリーとする東海自動車を、東急・西武共無視する事は出来なかった。
その内に東急・西武のどちらかが、東海自動車の株を買い占めると言う噂も大きくなっていった。

実は戦前から東海自動車と駿豆はテリトリー争いを起こしていた。
1931年、駿豆は沼津~三島~修善寺間を運行する東海自動車に対し、
「自社の乗客を奪われた」と賠償請求を求め、訴訟を起こした。
これは東海自動車の勝訴で決着となった。

その事を知っている東急側の地元名士が東海自動車本社を訪れ、東急の電車乗り入れについて了解を求めたのである。

東海自動車は、
「鉄道建設に反対するものではない。
但し、中途で鉄道を止め、バスに切り替える様では困る。
その時は30数年の実績のある東海の立場を考えて頂きたい」

と・・・
しかし、東海自動車は簡単に東急側に加担すると、下手をすれば東急に会社を乗っ取られるとの疑念を抱き、協力には消極的であった。

この東海自動車買収の噂を聞いた五島は、
「伊豆に線路を敷くのは金儲けの為では無い!
国鉄でやらないから東急でやるのだ。
これは、伊豆の人達の利便性の為の慈善事業だ!」

と激怒しながら言い放った。

 

五島の真意は解った。

しかし、激怒したままでは話し合いにならないのである。

この為に、河野一郎や大野伴睦等の大物政治家を介して、話し合いが持たれた。


その話し合いの結果、
「東海自動車が伊豆急に協力する事で、東急は東海自動車の株式の取得をしない」
「東急は電鉄免許後も伊豆地区でバス事業を行わない」


等の9ヶ条の「覚書」の協定を東急側と取り交わした上で、東急の鉄道免許への支持に回る事になった。

何はともあれ、これで西武側の堀は埋められたのである。
そして、運輸審議会での公聴会が開かれる事になるのであった。

 

 

この記事は2015-02-24
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