最近地図で調べた場所は?

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 今日は地図の日。
 最近はナビに頼って地図を「読めない」人が増えているようです。
 若い頃の私がトラックドライバーだった頃は住所と電話番号だけを持たされて荷主様のところへ行くのが当たり前でしたが…。

 あの頃は大都市近郊でも区画整理されていないところが多くて、番地の飛び番なんて当たり前で、どうしてもわからないときには警察署、消防署、郵便局などに駆け込んで航空地図で探して見つけてもらったものでした。
 若いドライバー…高速道路が通行止めになって降ろされて一般道へ迂回するときに電話をかけてくるのですが、渋滞のネックとなるところを避けた迂回路を教えてやると
「そんな道、ナビで出てきませ~ん❗」

「大丈夫だ。心配するな」

「本当ですか?心配だなぁ…」

「いいから騙されたつもりで行け❗」

「ダメだったらどうするんです?」

「ラーメン食べに連れていってやる❗」

「う~ん…」

「オレの言うことが正しかったら高級居酒屋にご招待するんだぞ❗」

「不安だからカーナビに従います」

黙ってオレの言うことを聞けムカムカばかやろう❗
という場面もあります。
 まったく何に対しての「不安」なんだか…。

 デジタルはアナログあっての産物です。
 AIだろうが何だろうが、それを発明・実用化するのは人間の頭脳です。

 パソコンでGoogleの地図をスマホで撮影したら
強烈な冬型の天気図みたいな縦縞が入ってしまいました。
 今日みたいに天気がいいと、この付近で列車の撮影をしたくなります。

 
 夏の日本海は美しい…。


 話は変わりますが、深夜勤務明けの今日はちょっと用事があって足立区の北千住駅で途中下車。
 所用を済ませて東武鉄道の改札口を抜けてJR東日本みどりの窓口の前を通りますと、びゅうプラザ跡のスペースで九州物産展をやっていました。
 みなさまご存知のボンタンアメの幟が見えたので、足が勝手にそちらの方へ向いて歩いていきました。もしかして置いてあるかな…と。

 ありましたよ、ありました!
兵六餅
 大人になってから駄菓子の類いはまず口にすることはなくなりましたが、半世紀前の小学生時代の郷愁に誘われて購入してしまいました。
 今回販売されていたのは8粒入りの小箱が4箱入った業務用お徳用でございまして、たしか数年前にも埼玉県の大宮駅のコンコースで催されていた九州物産展で購入したはず…。

 この兵六餅…餅という商品名ですが、この菓子を製造・販売している鹿児島県のセイカ食品株式会社の主力商品ともいえるボンタンアメと同じく水飴などを原料にした飴菓子でオブラートに包まれています。
このような感じです。
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 国内産の水飴や鹿児島県産の抹茶などが原材料に使われています。
 つまり、餅と名乗っているけれどボンタンアメの抹茶味版といったところです。東京ではボンタンアメはスーパーでも当たり前に見かけますが、兵六餅はなかなか並んでいません。

 なぜ私がこの兵六餅に郷愁を覚えるのか…?
 
 キーワードは…。

「おやつは100円まで‼️」
という通っていた小学校の遠足のときのお達しでした。

 私が小学生時代を過ごしたのは父の転勤先だった広島県福山市。昭和40年代後半(1970年代前半)でした。
 もちろん現在の物価とは大きく異なりますが、当時通っていた小学校では大っぴらには言っていなかったけれど「経済的に苦しい家庭」への配慮があったらしいです。
 まあ当時は100円あればお菓子ならいくつか買えましたから、近所の小さなスーパーで10円や20円くらいの安いお菓子を選んでなるべくたくさん買えるようにしたものでした。
 オイルショックにより物価高となったときには保護者たちから
「このご時世、せめてひとり300円くらいまで認めたらどうか?」
との意見が続出したようですが、学校が出した回答は「ひとり150円まで認めます」で、保護者たちが呆れたように井戸端会議をしていたのを覚えています。
 しかし、まだ暗い早朝から新聞配達や牛乳配達のアルバイトをしている母子家庭の上級生もいましたから、学校側の言い分もあながち否定することはできません。

 当時、遠足の前日にスーパーにお菓子を買いに行ってたまたま見つけたのがこの兵六餅でした。
 ボンタンアメは当時からどこでも売っていた気がしますが、兵六餅は当時は九州以外の地域ではあまり売られていなかったものか、当時の私にとって目新しいお菓子でした。

 昭和50(1975年)年3月…父の転勤で東京に住むことになってからはこの半世紀近くの歳月を関東暮らしとなったのですが、以来兵六餅が売られているのは見たこともなくて、すっかり遠い記憶の彼方に葬られていました。
 それが数年前に近所のスーパーでたまたま売られていたのを見つけて
(おおっ…びっくり)
思わず買ったのでした。
 そのスーパーも今では置かなくなって、その後は前述したとおり大宮駅でたまたま九州物産展をやっていたときに購入して以来です。

 懐かしいパッケージと味…そして半世紀も前の小学生時代の「おやつは百円まで」を懐かしく思い出すのです。