皆様こんにちは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

先週2021年4月17日にホームページ上のキハ28イラストのうち、キハ28 454~485を修正・更新しました。前回までに新潟鐵工製の454~467と日車製のうち468~478をご紹介したので、本日は続きで日車製のキハ28 479~485をご紹介したいと思います。これらの車は昭和40年度第2次債務の日車製で千葉へ新製配置されました。千葉での活躍が総武本線電化により1975年3月に終了すると2479~2482が米子へ、2483・2484が広島へ、2485が熊本へ移動しましたが、各移動後は大幅な動きも少なく配置区所はかたまっていました。

 

 

キハ28 2479

 

↑千葉に新製配置後、比較的早期の1970年に冷房化されました。1975年の総武電化後は米子に転じ、1988年に鳥取へ転じていました。もちろん千葉ヘッドマークステイ付きです。初期の冷房車で当初は冷房電源用KE8ジャンパ栓納めが低い位置でしたが、前面補強施工時に修正されたのでしょうか、晩年は通常の位置になっていました。その他通風器はハーフガラベンに交換されています。

 

 

キハ28 2480

 

↑今回のグループでは経歴の複雑な車です。千葉に新製配置後、比較的早期の1969年に冷房化されました。1975年の総武電化後は米子に転じましたが、1986年11月の「だいせん」「白兎」廃止時に亀山へ転じました。亀山では関西本線用のワンマン化改造されましたが同線のキハ120化時には唯一津山に転じ、ワンマンは使用せず朝夕の法界院~吉備線の非ワンマン運用に他の非ワンマン車と共通で使用されました。そして2005年に廃車されています。もちろん千葉ヘッドマークステイ付きです。また津山移籍後はワンマンは使用されなかったと思われ正面のワンマン表示器は無くなっていましたが、側面のワンマン用スピーカーはそのままでした。また米子地区に残った車両と異なり屋根上の通風器は押込み式のままでした。初期の冷房車で冷房電源用KE8ジャンパ栓納めは低い位置のままでした。妻面も初期の改造車らしく新設された配電盤の位置が低く下部のジャンパ栓納め周りが窮屈です。この形態は他のキハ28 2479・2481~2485も同様であったと思われますが、他車の妻面の情報が無いため詳細は不明です。

 

 

キハ28 2481

 

↑千葉に新製配置後、比較的早期の1970年に冷房化されました。1975年の総武電化後は米子に転じ、1988年に鳥取へ転じていました。もちろん千葉ヘッドマークステイ付きです。初期の冷房車で当初は冷房電源用KE8ジャンパ栓納めが低い位置でしたが、比較的晩年に位置が修正されたと思われ、元の低い位置の時代のボルトが残っています。当車は1999年に車両延命工事を施工し通風器が無くなっていました。米子の延命工事施工車はタイフォンシャッターが撤去される傾向が強いですが当車はシャッター残置のままです。また2001年には汚物処理装置も取り付けられています。

 

 

キハ28 2482

 

↑千葉に新製配置後、比較的早期の1969年に冷房化されました。1975年の総武電化後は米子に転じ、1988年に鳥取へ転じていましたが1990年には米子に戻っていました。もちろん千葉ヘッドマークステイ付きです。初期の冷房車で当初は冷房電源用KE8ジャンパ栓納めが低い位置でしたが、比較的晩年に位置が修正されたと思われ、元の低い位置の時代のボルトが残っています。当車は一足先にキハ126の1次投入の際に余剰となり2002年に廃車になりました。更新等は未施工ですが通風器はハーフガラベンに交換されています。なおこの車は千葉ヘッドマークステイに補強のようなものが施されており唯一?の存在です。

 

 

キハ28 2483

 

↑千葉に新製配置後、比較的早期の1970年に冷房化されました。1975年の総武電化後は広島に転じ急行「ちどり」をメインに活躍しました。晩年は「みよし・たいしゃく・ちどり」で活躍しましたが同列車の整理により2001年に山陰地区へ転じ、ごく一時期の後藤の後鳥取で活躍しました。当時各地から検査期限等の関係上転入した車は塗装変更されずにそのまま使用されていましたが、当車は唯一急行色に戻されて活躍しました。そのため他の2479~2482と同じく元千葉車ながら、元広島配置のため屋根肩用の箱型通風器をはじめ随所に広島時代の痕跡がありその出自はバレバレでした。更に末期には「夢フェスタとっとり」の全面ラッピングになっていました。

 

 

キハ28 2484

 

↑千葉に新製配置後、比較的早期の1970年に冷房化されました。1975年の総武電化後は広島に転じ急行「ちどり」をメインに活躍しました。晩年は「みよし・たいしゃく・ちどり」で活躍しましたが同列車の整理により1999年に山口鉄道部へ転じました。このように山口担当の快速「北長門」に使用されることもありましたが、それまで山口にいた状態の悪いキハ28を置き換えて普通列車でも活躍しました。外観は千葉ヘッドマークステイ以外は広島っぽい顔立ちでした。

 

 

キハ28 2485

 

↑千葉に新製配置後、比較的早期の1969年に冷房化されました。1975年の総武電化後は唯一熊本に転じ、急行「えびの」で活躍しました。しかし急行の減車によりキハ28が外されると経年も若い事から波動用車に改造されることになり「サウンドエクスプレスひのくに」に改造されました。その後併結運用される急行が減少したこともあり1993年に快速「シーサイドライナー(SSL)」に再改造されました。この「サルーンエクスプレスひのくに」用車は結局全車が「SSL」および「ハウステンボス」用に改造されましたね。2002年3月の快速SSLのキハ66・67への置き換え後は熊本に戻り急行「くまがわ」の予備車として在籍しましたが、2004年の急行「くまがわ」廃止で余剰となり、2005年に廃車になりました。
「サルーンエクスプレス」に改造後、貫通ドアにフック式のヘッドマーク掛けが取り付けられた際に千葉ヘッドマークステイが撤去され、千葉時代の痕跡は少なくなっていましたが、低い位置にある冷房電源用KE8ジャンパ栓納めが数少ない名残でした。

 

これで先日アップロードした454~485の全車のご紹介が終わりました。今回の2479~2485は元千葉車で妻面の配電盤の位置や妻側のKE8ジャンパ栓納めの位置が非常に気になりますが、今となっては調べることは叶わないのが非常に残念です。現在車両探求を行っている方は、普段目の届かない屋根上や妻面の記録も残しておくことをお勧めします。

 

ホームページ更新の準備は着々と進んでいますので次回はキハ28平窓車最終グループとなるキハ28 486~494をご紹介できると思います。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

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