戦時下の東京地下鉄 | 書斎の汽車・電車

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 今回も書評です。ご紹介するのは枝久保達也『戦時下の地下鉄』(青弓社)です。

 以前、同じ著者の『虚実の境界壁』という同人誌をご紹介しましたが、本書はこの本と、続編ともいうべき『戦う交通営団』という2冊の同人誌に大幅に加筆訂正をし、1冊にまとめたものとなります。

 

 枝久保氏は本書で「東京の地下鉄史のミッシングリング」、すなわち昭和9(1934)年の東京地下鉄道新橋駅開業から、昭和24(1949)年の丸ノ内線着工に至る時期の歴史に光を当てようとしています。この15年間というのは、『東京地下鉄道史』と『東京地下鉄道丸ノ内線建設史』に描かれなかった時代ということになります。

 

 本書の第一部は「新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団の誕生」と題されています。昭和14(1939)年に東京高速鉄道がわずか8か月間のみ使用した新橋駅のホームについて、著者は、東京地下鉄道との激しい対立の結果止むなく設置したとの俗説を排して、工事の遅れから、折り返し電車用に建設されたホームを使用して暫定開業したことを論証しているというのは、以前にも当ブログでご紹介したところです。

 新橋駅をめぐる東京地下鉄道と東京高速鉄道の対立は、当初は両社の接続駅を虎ノ門とするか新橋とするかから始まり、新橋接続と決まった後も、東京地下鉄道の品川、五反田方面延長線の分岐問題、品川線開業時の列車ダイヤをめぐる争いなど一筋縄ではいきませんでした。さらに、東京高速鉄道が新橋に達した昭和14(1939)年には、東京高速鉄道が東京地下鉄道の「乗っ取り」を策し、両社の対立は抜き差しならないものになっていました。それが、鉄道省による調停を経て、帝都高速度降雨通営団の成立に至る過程について、本書は丁寧に解き明かしています。

 

 第二部は「戦時下の帝都高速度交通営団」です。営団成立時の防空と地下鉄を巡る論争、戦時下に改められた地下鉄建設計画、地下鉄と空襲被害、戦後の営団廃止論などが描かれています。特に戦時下に策定された地下鉄建設計画は、これまで余り触れられてこなかったもので、戦前の計画と戦後の計画をつなぐものとなっています。また、昭和20(1945)年1月27日の銀座空襲における銀座駅の被災状況と、その「遺構」が近年の駅改良で見つかったエピソードは興味深いものがありました。

 

 当ブログで、同じ著者の同じテーマの本を改めてご紹介することは滅多にないと思いますが、図版類も充実していますし、何より入手しやすくなっていますので、読者の皆さまに広くお薦めする次第です。この時代の東京の地下鉄については、相当勉強したつもりになっていた私にとっても、詳細を知るのはこれが初めてというエピソードがたくさんありました。

 

 東京地下鉄道1000形(右)と東京高速鉄道100形。模型の世界では仲良く連結しているのですが。