皆様こんにちは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

昨日はホームページ上のキハ28イラストのうち、キハ28 454~485を修正・更新しました。昨夜はこのうち454~461をご紹介したので、本日は続きでキハ28 462~467をご紹介したいと思います。これらの車は昭和40年度第2次債務の新潟鐵工製で、全車千葉に夏季輸送用に仮配置された後、米子に本配置されているグループです。(なお千葉ヘッドマークステイ取付けは1969年以降なのでこの時点では付きません)その後も終始米子(1両は福知山管内)にて活躍し、移動の少ないグループでした。そして外観もあまり差異の無いグループでしたが、寿命末期の2000年頃から色々な改造が施され変化が出始めたのは意外でした。

 

 

キハ28 2462

 

↑終始米子管内で活躍し、1988年に米子から鳥取へ移動していました。冷房化は1970年と早いですが正面のKE8ジャンパ栓納めの位置は修正されています。オーソドックスな後藤工場タイプで、屋根上の通風器は1990年代にハーフガラベンに交換されています。

 

 

キハ28 2463

 

↑終始米子管内で活躍し、1972年に米子から鳥取へ移動し、末期の1998年には後藤に戻っていました。冷房化は1972年です。オーソドックスな後藤工場タイプで、屋根上の通風器は1990年代にハーフガラベンに交換されています。当車は私が2000年に撮影後の2001年に汚物処理装置取付が行われましたが、2003年には廃車されました。

 

 

キハ28 2464

 

↑終始米子管内で活躍し、1986年に米子から鳥取へ移動していました。冷房化は1972年です。オーソドックスな後藤工場タイプで、屋根上の通風器は1990年代にハーフガラベンに交換されています。2462と似ていますね。(違いはタイフォンシャッターの緩衝ゴムくらいしか見当たらない…)

 

 

キハ28 2465

 

↑このグループでは唯一米子管内を出て1985年に豊岡に移動した車です。その後急行運用の福知山への集約で福知山へ移動していました。冷房化は1973年です。オーソドックスな後藤工場タイプすが、福知山車は通風器交換が浸透していないので押込み通風器のままでした。

 

 

キハ28 2466

 

↑米子地区に新製配置されましたが、1975年に米子から鳥取へ移動し、1997年には後藤に戻っていました。当車は米子地区での運用終了後、災害で分断された越美北線の運用補充に使用されることになり越前大野鉄道部へ転出しました。しかし越美北線の全線復旧により余剰となり廃車されました。冷房化は1973年です。オーソドックスな後藤工場タイプでしたが私が撮影後の2000年に延命工事を受けて雨どいが埋め込み式となり、通風器が無くなりました。そしてタイフォンもシャッターが外されスリットカバーになっていました。また汚物処理装置も取り付けられました。その割に末期のJR西日本では珍しく床下の水タンクが原形のままで、更新された車体とのミスマッチが非凡者の多いキハ58系らしい車でした。

 

 

キハ28 2467

 

↑終始米子管内で活躍し、1986年に米子から鳥取へ移動し、1997年に後藤に戻っていました。冷房化は1970年です。オーソドックスな後藤工場タイプですが、当車は冷房化が1970年と早く、当時の低い位置に設置された冷房用KE8ジャンパ栓納めがそのままでした。当車は2000年に延命工事を施工し雨どいが埋め込み式となり、通風器が無くなりました。そしてタイフォンもシャッターが外されスリットカバーになっていました。また汚物処理装置も取り付けられました。

 

 

昨日の2456~2461は揃って名古屋地区で活躍していたのと同様に、2462~2467は揃って山陰地区で活躍していました。しかし今回のグループは2000年以降に更新が施工された車や汚物処理装置が付いた車がおり、また福知山や越美北線へ転出した車がいたなど、少しではありますが変化のあるグループでした。

 

 

これで昭和40年度第2次債務のうち、新潟鐵工製の467までが終了です。大きな移動が少ないので形態も単純になっていますね。次回はこの続きでキハ28 468~478をご紹介しようと思っています。こちらは468~474は小牛田に、475~478は高松に配置されそれぞれ移動も少ないグループでした。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。