皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

今回は久し振りに時刻表ネタです。

 

私は過去に撮影された写真を見つけては、その列車の走行区間や時期から列車名を割り出し、そしてその列車の運用から所属区を割り出し、そしてその写っている車両の番号を推察するということをよくやるのですが、この勉強のために時刻表を眺めていて改めて面白いものを見つけました。

 

東北新幹線開業前の東北地区は、東北本線・常磐線・奥羽本線といった幹線のみを運行する特急列車は比較的列車の運行形態はシンプルでしたが、特に仙台を発着し各主要都市を結ぶ急行は奥羽本線が福島分岐であったこともあり支線や横断線を走行せざるを得ず複雑な運用の気動車列車で運行されていました。そして仙台発の下り方面を見ていたら面白いことに気づきました。朝7時半前から8時前の間に、秋田方面の列車が3本も立て続けに発車します。

 

 

まず7時25分に急行「たざわ1号・陸中1号・むろね1号」が仙台を発車します。この列車はそれぞれ「秋田行き(田沢湖線経由)・宮古行き(釜石線経由)・盛行き(大船渡線経由)」となっています。途中の一ノ関で盛行きの急行「むろね1号」を分割しますが、盛発盛岡行きの「さかり」を併結します。そして続いて花巻駅では釜石線経由宮古行きの「陸中1号」を分割しますが、釜石発盛岡行きの「はやちね2号」を併結します。そのため盛岡までは結局長大編成のままです。そして盛岡では「さかり」「はやちね2号」を分割し、単独運転となって田沢湖線経由で秋田に向かうようです。秋田着は12時55分とのことです。5時間半かかっていますね…。

 

続いて発車するのは7時30分発の急行「千秋1号・もがみ」です。この列車は併結したまま陸羽東線を経由し新庄へ行き、「千秋1号」は秋田へ向かい最終目的地は青森、「もがみ」は陸羽西線へ入り酒田へ向かいます。ちなみに青森着は16時6分とのことで秋田到着時間はこの時点では不明です。青森までは8時間36分もかかっていますが、この仙台発青森行きの「千秋1号」には指定席車が連結されているようです。

 

そして最後には7時50分に急行「きたかみ1号」が発車します。この列車は一ノ関から北上線経由で秋田を目指し、秋田には12時2分に到着するようです。4時間12分で着きますので先ほどの急行「たざわ」よりかなり早いです。

 

このように、仙台では朝の8時前に秋田方面の列車が3本立て続けに走っているのが興味深いですね。そして秋田方面以外にも盛・釜石・宮古・酒田方面の列車も併結しており、東北地区の大中都市へ乗り換えなしで行けたことが分かります。

 

ではこれらの列車が秋田に到着する頃はどうなっていたのでしょうか。

 

まずは一番早い北上線経由の「きたかみ1号」が一足先に12時2分に秋田に到着します。この列車はグリーン車も連結しており分割併合することなく終始単独で運行しており逆にこの当時の東北地区の気動車急行では珍しい部類に入ると思います。

 

続いて急行「千秋1号・もがみ」ですが、この列車は仙台から陸羽東線経由で新庄に到着すると、なんと同じ名称で米沢始発の急行「千秋1号・もがみ」と分割併合し、仙台・米沢発の急行「もがみ」が酒田へ向かい、同じく仙台・米沢発青森行きの「千秋1号」が秋田方面へ向かいます。そのため仙台発青森行きの「千秋1号」は新庄駅で17分停車していることになります。そしてこの「千秋1号」は、大曲で仙台を5分前に発車していた急行「たざわ1号」を併結して秋田へ向かい、秋田には12時55分に到着します。つまり仙台を7時25分に出た「たざわ1号」と7時30分に出た「千秋1号」は、大曲で併結して同時に秋田に到着することになります。なお秋田では急行「たざわ」編成を切り離し、「千秋1号」は青森まで向かいます。長い旅ですね…。

 

これを見ると圧倒的に急行「きたかみ」が早いことが分かります。田沢湖線経由は勾配が急峻であることや盛岡・大曲経由で遠回りな事、陸羽東線経由は勾配は緩いものの堺田の分水嶺越えと奥羽本線雄勝峠を越えなければならず、距離も遠回りであることから時間が掛かり、北上線経由が勾配や距離の面から最も有利であったのでしょう。そのためこの急行「きたかみ」は仙台と秋田を結ぶ速達列車の使命があり、早くから東北では珍しい冷房車を連結しての運行がなされていました。それに対しこれ以外の急行「千秋」や「たざわ」は全車非冷房で、格の違いがありました。

 

現在は仙台発8時5分の東北・秋田新幹線「こまち1号」に乗ると10時24分には秋田に着いてしまいます。隔世の感がありますね。

 

 

↑キハ58 699 秋田に縁の深い車両で、これら急行に使われていたことでしょうね。

 

 

↑数少ない東北生え抜きの冷房車で、秋田時代は「千秋」や「しらゆき」で運用されていました。

 

複雑怪奇で有名な東北地区の運用の一端を垣間見ることが出来たと思います。今では新幹線の運行される区間と、支線になってしまった区間の差が激しい様に思います。仙台から秋田方面は便利になりましたが、酒田や盛、横手・湯沢方面は壊滅状態ですよね…。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!