修学院ー宝ヶ池
一乗寺から修学院に到着です。
1960年代の京福電鉄時代の修学院駅周辺の地図です、当時の修学院駅は現在より北寄りにあった、まだ北山通は通っていなかった為、駅周辺のメインの駅前通りは、現在の北山通の北側にある細い通りが駅前通りだった、その後、1970年(昭和40年)に北山通の工事が始まり、修学院駅を北山通が横切り形になった為、駅は南に100m移動した経緯がある。
修学院駅には車庫があります。
決して広くは無いが、叡山電鉄の全ての車両が検査や修理がここで行われる。
これはデト1000形です、元は京都市電の台車などを再利用されて作られた、枕木やバラスト、レールなどを運搬する車両です、なんだか雰囲気がいいですね。
修学院駅の出町柳方面のホーム。
修学院のホームは、基本的他の駅と同じように2面2線の相対的ホームです。
駅名の由来は、駅から北東1kmにある修学院離宮と思われるのだか、この地の地名「愛宕郡修学院村」から来ている、元々は比叡山の麓にかつて存在した寺院の「修学院」から地名がついたらしい。
宝ヶ池方面のホーム、修学院駅の一日の乗降客数は、約3,700人であるが、近くにある「プラザ修学院」と言うアーケードの商店街も客足は少ない、これから繁栄する感じはしない。
訪問したのは3月27日 今が盛りと桜が迎えてくれた。
さあ次の駅、宝ヶ池駅に向かいます。
宝ヶ池駅に到着です、分岐を左側に行くのが鞍馬線です。
宝ヶ池駅手前にある白川通の高架橋から駅方面を見る、段々と山が迫って来ているのが感じ取れる。
上記の白川通の高架橋。
叡山電鉄本線のホームです。
駅構内の踏み切りから出町柳方面をみる、左側が本線で、今見ているのが鞍馬線です。
その踏み切りである、二輪車、自転車も押して歩いてなら通行出来るらしいが、中々守られいないようだ。
鞍馬線のホームで、宝ヶ池駅のホームレイアウトは島式のホームを真ん中に3面4線のホームである、宝ヶ池駅の一日の乗降客数は、約1,100人と少なくなる。
宝ヶ池駅の名前の由来はもちろん「宝ヶ池」から来ている、その宝ヶ池は、江戸時代に農業用のため池として作られたのが始まりである。
さあこの宝ヶ池駅から、叡山電鉄本線と鞍馬線は別れていく、本線と言うが実際には本当にローカル線になっていく、正に盲腸線である。
次は三宅八幡。