10月11日(日)の早朝、ホテルをチェックアウトし旭川駅へと向かう。

北海道第二の都市の駅前とは言え日曜日の早朝は人影もまばらで誰もいないと言った感じの写真を撮る事も容易だ。

 

駅のコンコースも人影が少なく写真撮影には絶好の時間帯。

富良野線が開通して120年とのこと。

 

この時間に駅に来て道北へ向かうのだから乗車列車は容易に分かって頂けると思う。

 

律儀に改札開始を待って5番ホームへ向かう。

 

稚内行、普通列車321Dに乗車する。

サボは行き先ではなく宗谷線となっていた。

 

2両編成の先頭はキハ54。

 

後方2両目は途中駅の名寄で切り離しとなるキハ40。

 

出発後しばらくは車窓を眺めていたが眠気に負けて居眠りする事多数。

名寄でキハ40を切り離し列車番号も4323Dに変えて10時35分に幌延駅に到着。

列車交換もないし追い抜かれもしないが21分間の停車。

 

 

いったん改札を出て窓口で北の大地の入場券を購入。

(写真は後刻撮影)

 

列車は列車番号を4325Dに変えて10時56分に発車。

スッカリ眠気も無くなり旭川では曇天だった天気も晴天に。

北海道でも人口希薄地帯の車窓を楽しみつつ稚内へと向かう。

 

11時13分に豊富駅に到着し下車。

豊富町には写っている看板にあるように泉質が特徴的な石油臭のする豊富温泉が有名である。

 

豊富駅では名寄行4326Dと交換する。

手前の2番線に停車している列車が乗車してきた稚内行4325D。

 

列車の発車を見送り、

(また、デカイ指が写っとる・・・。)

 

無人駅の為、旧改札口を出て駅の隣にある観光案内所?にて豊富駅の北の大地の入場券を購入。

(写真は後刻撮影)

 

時間が止まったように人気のない駅の待合室でぼーっとしていると日常の慌ただしい生活による体が浄化されていくようである。

 

乗り継ぎ列車の到着が近づいたのでホームに出て待っていると、時間が止まった様な無人駅にも定刻で稚内行特急宗谷51Dが入線してきた。

 

指定席、自由席共に空いていた。

難なく座席を確保し終点まで乗車する。

さすがにキハ54の座席と違い座り心地も格段に良い。

 

車窓からは抜海の丘からは利尻富士(利尻島)が霞んでいるが見ることが出来た。

 

12時40分、日本最北端の駅の稚内駅に到着。

 

 

早速、窓口で北の大地の入場券を購入した。

(写真は後刻撮影)

 

今日の目的地には着いたものの、ホテルにチェックイン出来る

時間には早い。

駅と合築の建物内にある宗谷バスの案内所に入ると、ちょうどいい時間に宗谷岬まで行ける路線バスがあるようで、しかも往復割引乗車券も販売していることを掲示物で知る。

 

稚内には何度も来ているが、宗谷岬に行く事は殆どなかったので数年ぶりに尋ねることにした。

 

一般的な市内路線バス用の車両に乗って宗谷岬に14時10分に到着。

 

帰りのバスは14時55分なので滞在時間は賞味40分と言ったところ。

定番の日本最北端の地の碑を撮る。

個人的には日本本土最北端の地に石板を変えてほしいところ。

 

本来、日本最北端は択捉島にあるからだ。

近くに案内板があり、現在の日本の施政権が及ぶ最北端であると記されていた。

 

テレビなどの中継で有名?な最北端の土産物店。

 

まだ時間があるので岬の丘の上にある公園へ行ってみる。

数多くの記念碑などがある中で私が一番気になったのはこの建物。

 

旧日本海軍望楼である。

かつて、ロシアに備え宗谷海峡を往来する艦船の監視を行っていた施設である。

保存状態が劣悪とは言わないが、痛みが激しく貴重な史跡として稚内市単独ではなく、国ももっとこの様な史跡管理に力を入れてほしいと思った次第である。

 

この日は樺太(サハリン)を望むことが出来なかったが、稚内が国境の街であることを再認識した。

 

しばらく公園内を散策した後、14時55分発のバスにて稚内駅前のバスターミナルに戻った。

 

思わぬ観光をしてホテルにチェックイン。

 

目的の北の大地の入場券の購入も予定通りにでき、充実した一日となった。