横浜、懐かしの写真たち | ハンター湘南の旅ブログ

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今日は微妙な天気

 

八王子へ高校野球都大会を見に行くのは、今日のところ断念。

第一試合が予定通り始まっても、途中から降り出し、苦行となろう。

一方、神奈川は3回戦まで無観客のため、今日の試合が消化されれば、明日の4回戦は観戦可能

 

さて、本題

 

古いアルバムの写真をいくつか公開(昭和63年頃)

 

桜木町で

ウグイス色の103系は「横浜線」と大きく掲げていた

稀に混色編成も来たっけ

 

そして、みなとみらい地区は、完全に更地

「ポツンと日本丸」は隔世の感

 

この後、横浜博覧会(YES89) のパビリオン建設が始まり、横浜駅からの空中移動交通もあった。

 

まさかその30年後、常設のロープウェイが出来るとは夢にも思わなかった。

しかし、桜木町から新港埠頭入口まで1000円もかかるなんて、遊園地のアトラクションと考えても高すぎだ。

歩いて行ける距離を、わざわざ高い金払って他人と密になって乗る人いるの?

 

昭和39年の東京モノレール開通初年度(現在価格に置き換えると、片道1300円相当の高額だった)みたいに、半年もすれば物珍しさがなくなって誰も乗らなくなり、廃止されるのでは。

※東京モノレールは大幅値下げで、何とか首が繋がり、今なお現役。

 

横浜西口

相鉄本社が一等地に鎮座していた

その後移転し、跡地にはホテルベイシェラトンが開業

三浦半島の「田舎もん」だったんで、ここの電光ニュースを見るのがちょっとした「観光」だった。

 

こちらは金沢八景駅前

再開発前で、古い商店が密集

狭い道をバスがキリキリ入ってきた(京急のみ、神奈中は国道に発着)

 

シーサイドラインは駅直結を断念、手前に暫定駅を設けることになり、着工

まさかその後30年以上待つとは・・・

シーパラ開業(平成5年)までには再開発が終わるものだと思っていた。

 

安針塚駅からの光景

横須賀市最後の木造校舎が駅前に見られた

その後、造成中だった新興住宅街へ移転した

ベイスターズのグランド(現在は追浜へ移転)の場所には大洋漁業の工場があった。

 

(おまけ)

長らく忘れていた写真

この校舎、昭和63年、都内のどこで、何の目的で撮ったのか、ずっと失念していた

「3年B組金八先生」関連かと思っていたが、違うようだ。

 

先日、たまたま某動画サイトを見て、30年ぶりに判明!

 

TBSテレビ「スタンド・バイ・ミー 気まぐれ白書」のロケ地で、日暮里付近で撮影。

今は多少校舎が改装されているが、道路標識の位置が変わってない

 

懐かしいドラマで、再放送も何度か見ていた、(なぜか初回は1度も見てなくて、今初めて、志穂美悦子と長渕剛が共演しているのを知り、衝撃的だった)中学生だった小川範子の「こわれ」た、名演技が印象的だった。

ドラマの中に、ファイアオレンジの京成旧3000系や、ブルーの京浜東北線103系など、時代を感じる名脇役も。

視聴率は高かったのに、たった5回で終わったんだよね。