皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

先週4月9日には久しぶりにホームーページ上のキハ28イラストの修正を行い、キハ28 415~453の範囲の車を更新しました。しかし一気に修正更新しすぎてこれらのご紹介が全然追いついていません…。前回までに昭和40年度第1次民有に当たるキハ28 415~437と昭和40年度第2次民有の438~440については既にご紹介いたしましたので、今回はこれの続きで昭和40年度第1次債務のキハ28 441~453をご紹介したいと思います。この車も前回と同様日本車輛製となっており、この頃日車では415~453まで連続で製造したことになります。なお今回の441~453は外観的にはこの前のロットの438~440と同じになっています。

 

 

キハ28 2441

 

↑福知山に新製配置以来、終始丹後地区で活躍していました。形態的には後藤工場標準形で、また放送用ジャンパ栓納めが福知山・豊岡に多く見られた位置に移設されていました。

 

 

キハ28 2442

 

↑2442・2443は和歌山配置でした。1985年3月ダイヤ改正で急行「きのくに」は一時には七尾に転じ、その後は小浜線で活躍していました。関西地区・高砂工場の標準形になっています。

 

 

キハ28 2443

 

↑2443も和歌山に新製配置されていましたが、1980年に運用移管で奈良に転じ、1984年に奈良区の気動車運用が亀山に移管されたため同区配置となりました。このままJRに継承されましたが信楽線の移管などで運用数が減少し、1988年9月に嵯峨野線客車列車の気動車化により福知山に転じました。そして嵯峨野線の電化後は米子に転じ、最後は小郡に転じて普通列車で活躍しました。

正面はこれまた高砂工場タイプですが、運転席窓下の手すりが原形のままになっており、おそらく和歌山時代はワイパーが原形のままであり、後にワイパー更新されたものと思われます。

 

 

キハ28 2444

 

↑444・445は九州に配置されました。当車は波動用として長く活躍し、そのためボックスシートのまま汚物処理装置が取り付けられていました。私の撮影時は筑豊篠栗から熊本に貸し出され、急行「くまがわ」の増結で使用されていました。「急行」ですが当車はヘッドマーク掛けが無いため、「くまがわ」のヘッドマークの無い珍しい姿での運用でした。

スタイル的には九州ひょうじゅんであまり特記すべき点はありませんが、屋根上の煙突がかなり長く延長されていますね。

 

 

キハ28 2445

 

↑キハ28 2445は「アクアエクスプレス」に改造され、番号もキハ28 7001に改番されていました。3連を組むキハ58系のジョイフルトレインは、キハ28を中間に挟むケースが多かったですが、この「アクアエクスプレス」はキハ28が先頭車になっており、中間のキハ58を減車することにより3連・2連のどちらでも運用可能という優れモノでした。1994年以降JR九州のジョイフルトレインは運用停止となってしまいますが当列車は急行「くまがわ」用に転用されました。

 

 

キハ28 2446

 

↑先日もご紹介した水戸配置で常磐無線アンテナを搭載していたキハ28です。中でも当車は通風器8個グループであったことから前寄りのアンテナがかなり前位側に寄っているという変形車でした。しかしこの写真を撮った当時は既にアンテナは撤去されていたのでその痕跡はありませんでした。

 

 

キハ28 2447

 

↑キハ28 447~449は千葉に新製配置されました。このうち2447・2448は総武電化後和歌山に転じ、「きのくに」全廃後は七尾に転じていました。元千葉車なのでヘッドマークステイが付いており歴史を物語っていました。

 

キハ28 2448

 

↑2448も2447とほぼ同じ経歴を辿りましたが、当車は千葉ヘッドマークステイが取れてしまっていました。

 

 

キハ28 2449

 

↑当車は総武電化後熊本に転じ、1986年10月改正で急行「えびの」が減車されると竹下に転じ、主に波動用で使用されました。1992年には長崎に転じここで一生を終えました。長く波動用で活躍したこともあり貫通扉には九州タイプのヘッドマーク掛けが取り付けられなかったので、千葉ヘッドマークステイが残っているという九州ではレアな車でした。

 

 

キハ28 2450

 

↑当車は東北生え抜きで、冷房車でした。JR化後は山形・小牛田・新庄で活躍し末期は「月山」用でした。東北のキハ28冷房車はデッキ上の通風器が残ったままの車が多く見られました。

 

 

キハ28 451

 

↑当車は、キハ58系では比較的後期車であるにも関わらず運悪くJRへ継承されなかった可哀そうな車でした。1966年製造で1987年廃車なので約20年しか活躍せず、意外と短命です。非冷房車というのはやはり早く淘汰される原因になってしまいますね。

 

 

キハ28 2452

 

↑キハ28 2450と似たような経歴を辿りましたが当車は秋田に残りました。急行「よねしろ」の整備の際はキハ28 2047などの若番が抜擢され、当車は田沢湖線や男鹿線の普通列車で細々と活躍していました。しかし田沢湖線のミニ新幹線化で用途を失い廃車になってしまいました。

形態は2450と似ており、やはりデッキ上の通風器が残っています。

 

 

キハ28 2453

 

↑当ロットでは唯一の山陰地区配置車でした。JR化後に「ほのぼのSUN-IN」に改造されていましたが、顔は後藤工場タイプでした。

 

後期車になると大きな転配も少なく、新製区から動かない車が多いので形態的には概ね落ち着いています。大きな特徴のある車はいませんでしたね。次回は454~467のイラストを修正・更新しようと思っておりますのでお待ちください。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。